鳴き沙のアルフェッカ


第五章 交戦 -2-

「——俺に、この郷の戦士つわもの達を預からせていただけないでしょうか」
 カラヤが告げたその日のこと。カラヤの言葉にムハイヤラは、すぐには言葉を返さなかった。だが彼はしばしの熟考の末、「いいだろう」と先に結論を出す。
「首長様! そ、そのようなことを事情も聞かずにお決めになっていいのですか。戦士を扱うというのは、つまり、いくさを仕掛けるということでしょう」
 ミスマールが慌てた様子でそう問うても、ムハイヤラは考えを曲げることはせず、「事情ならカラヤが把握している」とお構いなしだ。
「様子を見るに、昨年のこと……、イスタバルが何故あんなことになったのか、カラヤは突き止めたのだろう。その上で戦士を動かさねばならぬと判断したなら、私がどうこう言ったところで仕方あるまい。まずはイフティラームの戦士にして、我が後継ぎたるこの息子の言葉を聞こうではないか」
 「そうだろう?」と微笑まれ、カラヤは小さく息を呑んだ。なんという、心強い言葉だろう。しかしそう思うからこそ、優しさに甘えることなどできやしない。カラヤは左掌の傷跡を握りしめ、「はい」と短く応えると、続けて彼らにこう告げた。
「戦を仕掛けるには仕掛けますが、なにもこちらから、諍いの種を蒔くわけではありません。このままではいずれにせよ、戦は起こります。海神祭かいじんさいの日、今年も海の祭壇に、騒海ラースの民が乗り込んでくるはずです。……ダフシャの客人方が、警備体制の件で口を出してきたのも、それに関係してのことでしょう」
 カラヤが言えば、ミスマールもいくらか声に勢いをつけ、「もしやダフシャと、騒海ラースの民が手を組んでいる証拠を掴んだのですか?」とそう問うた。
「知っていたのか?」
「その可能性は、——その、以前から考えてはいたのです。しかし証拠がなければ、我々からダフシャに事を問いただすわけにいかないでしょう。弾圧されて、お終いです」
 確かにそのとおりであろう。宗主国であるダフシャと、それに属するイフティラームでは、国力があまりに違いすぎる。そも、戦いに用いる青銅器ですらダフシャを通じてしか手に入れることのできぬイフティラームが、かの国に挑んだところで、勝敗など目に見えている。
「そうでなくとも、ダフシャはこの郷に攻め入る隙を虎視眈々と狙っていますからね」
 ジャッドが言ったその言葉に、カラヤも大きく頷いた。
「そうだ。ダフシャはイフティラームに攻め入る口実を探っていた。その口実すら作ろうと考えていたらしい。例えば、……ダフシャ王の実子である俺が、イフティラームの落ち度で命を落とすようなことがあれば、それが『最良の口実』になると考えた。イフティラームという郷が、ダフシャ王族に血を流させたことになるからな。それも、長く敵対している騒海ラースの民の手にかかって死ぬようなことがあれば、尚更都合がいいと」
 カラヤの言葉に、応じるものは誰もいない。おそらくは皆、可能性を考えないことではなかったのだろう。それでも今まで、カラヤの前でその可能性を口に出さなかったのは、彼らの優しさなのだろうか。
 それとも、——生まれ故郷に捨て駒とされたカラヤへの、憐れみからであったのだろうか。
(……、どちらでもいい)
 そうだ、どちらでもいい。構うものか。今は他に、やるべきことがいくらでもあるのだから。
 カラヤがちらと視線をやれば、それまで黙って話を聞いていたヴィラが、手にした箱を差し出した。乞食の皿アルフェッカの宝石。あの隠れ浜を星座の形に見立てた時、最も煌く星の位置に、深く埋められていたものだ。
「それは?」
 既に答えは得ているのだろうに、ムハイヤラがそう問うた。
「……、イスタバルが遺したものです。イスタバルが俺に宛てた手紙と、——ダフシャ、それに騒海ラースの民から秘密裏に届いた手紙が全て残してありました。それらの手紙の受取人は、全てイスタバルです」
 それを聞き、ミスマールがごくりとつばを飲む。握りしめた拳が、震えている。この警備隊長は、イスタバルの腕を見込んで、彼を息子のように可愛がっていた。そのことはカラヤもよく知っている。彼も辛いだろう。しかしカラヤは怯まなかった。怯むことを許され得なかった。
「イスタバルは元々、ダフシャ官僚の奴隷だったそうです。そのことは、ヴィラからも話を聞いています。はじめはダフシャと騒海ラースの民との橋渡し役、ヴィラがその役目を継いでからは、イフティラームで暮らす間諜として、その両者に、イフティラームの内情を伝える役目を果たしていたそうです。それで昨年、——海神祭の日に、ダフシャが騒海ラースの民を使って俺を殺そうとしているのだと知った」
「だから、……カラヤ様をかばって、自らが祭壇に向かったというのですか」
 ジャッドに問われ、カラヤは小さく頷いた。だが答えようとするカラヤの肩を、ヴィラがその手で押しのける。ここは自分が答えるという意思表示であろう。彼女はカラヤの手にある箱をちらと見て、息をつくと、明瞭な口調でこう語る。
「兄さんは、騒海ラースの民と交渉をする気だったのよ。元々、騒海ラースの民がダフシャと裏で手を組むなんておかしなことになったのも、騒海ラースの民の勢力が、もう昔ほどのものではないから。昔はその獰猛な振る舞いで周囲の国を怯えさせていたそうだけど、今ではもうどこかと手でも組まなければ、自前の船すら維持できないくらいなの。
 だからダフシャが目をつけた。騒海ラースの民にカラヤを殺させれば、それを口実にいつでもイフティラームを糾弾し、攻め入ることが出来るようになるし、騒海ラースの民程度の勢力なら、ダフシャの力をもってすれば、後でどうとでも始末することができると考えたのよ。
 ……兄さんは、そのこともよくわかっていた。それであの晩、騒海ラースの民達の前に一人で現れて、ダフシャが彼らを捨て駒にしようとしていることを告げたの。イフティラームに攻め入ることをせず、陸地の一切から手を引くように提案したのよ。騒海ラースの民から逃がすという名目で、イフティラームの神官達を全て追い払ってからね。だけどそんな行為は、——騒海ラースの民達の神経を、逆撫でしただけだった」
 ヴィラは一度言葉を切り、ぽつり、呟いた。
「奮闘したと思う。だけど最期は、……騒海ラースの民に同行していた、私の目の前で殺された。ただそれを見ていることしかできなかった私に、この箱のことだけ託して」
「——ダフシャの人間も、公に騒海ラースの民と手を組んでいるわけじゃない」
 ヴィラの言葉を引き継いで、カラヤは静かにそう告げた。
「そんなことが知れたら、イフティラームだけじゃなく、ザミール、タンムズ、アイヤール……ダフシャに属する全ての郷が反旗を翻す可能性だってある。だからダフシャと騒海ラースの民の繋がりを証明する、この証拠を、客人方は何より恐れているはずだ。今までにも内密に探しに来ていたはずだけど、それが見つからなかったからこそ、今回こうして大人数で、この郷まで乗り込んできたんだろう」
 ヴィラももう一度顔をあげ、「兄さんのことがあったから、不安だったんでしょうね。私のことまで、騒海ラースの民のところから手元に呼び寄せたくらいだもの」と苦笑する。
「きっと今頃、私の姿がないのを知って恐々としているんじゃないかしら。私が裏切るだなんて、思っていなかったでしょうし。……あいつらが兄さんの墓を暴くつもりなのだと知った時、人でなしとはこういう奴らのことを言うんだと思ったわ。まさかその道中でカラヤに会って、こんなに何もかも話してしまうことになるとは思わなかったけど、……。きっとこれも、私の必然でしょう」
 そう言って、ヴィラがカラヤに目配せする。その真意は判じかねたが、ヴィラがこちらの味方をする以上、彼女の身は常に危険にさらされることとなる。恐らく、それを忘れるなと念を押されたのだろう。
「……、この証拠がある限り、ダフシャは派手に動けない。となれば、」
「まずは目下の諍いの種、——騒海ラースの民の連中を、武をもって制す、ということか」
 ムハイヤラがそう受けたのを聞き、カラヤは深く、頷いた。

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