鳴き沙のアルフェッカ


第五章 交戦 -3-

 剣戟の音が響いていた。
 海の祭壇に火矢が舞い、戦士らが雄叫びを上げる。カラヤもまた、その戦場の中を駆けていた。切りかかってきた敵の懐に入り込み、その胸を一突きにすると、相手の鼓動が揺れるのを感じる。青銅の剣を引き抜けば、同時に、まだ暖かい血潮が吹き出した。
 その場に倒れ込んだ敵の、——騒海ラースの民であった男の痩せ細った体を見て、カラヤは小さく息を吐く。騒海ラースの民の勢力が弱っているというヴィラの話は、どうやら真実であるらしかった。向かってくる戦士らに獰猛さはあれど、その動きは思慮を欠き、指揮には統率力を感じない。指導者に恵まれなかった故のことなのか、根を張る土を持たぬ故のことなのか、それはカラヤにはわからなかったが、しかし彼らのその姿に、カラヤは幾らかの憐れみを覚えていた。
(俺を殺せていれば、ダフシャからどれほどの報酬を得られたのだろう)
 逆にそれが果たせなければ、——彼らのうち、どれほどが困窮するのだろう。
 古くは海の猛者として名を轟かせたその民が、今はかつての敵の従僕となり、無闇に消費されようとしている。それを強いるダフシャと、それを受け入れざるを得なかった騒海ラースの民の末路を思えば、カラヤの胸の内にふと、ひとつ炎が燻った。
(イフティラームだって、ダフシャの属州だ。騒海ラースの民の境遇が、いつ、あの浜に重なるかはわからない)
 そこかしこに残る戦闘の痕跡を横目に見ながら、悠々とした足取りで、血溜まりの脇を通り過ぎた。途中、物陰にじっと身を潜め、しかし戦いを見守り続けるヴィラに声をかける。彼女は返り血を浴びたカラヤを見て、何も語らず、ただその後に従った。
「……、騒海ラースの民の戦士の中に、知った顔もいたんじゃないのか」
 カラヤが声をかけても、ヴィラははじめ、答えなかった。ダフシャに呼び戻されるまでの間、彼女は騒海ラースの民と共に暮らしていたはずだ。親しかった者でもいれば、この戦場は辛かろう。その配慮に至れなかったことを、カラヤは内心、彼女に侘びた。
 「いいの」しばらくの後、ヴィラが言う。「わかっていて、ついて来たの」
 ふと、ヴィラがカラヤの服の裾を引っ張った。何事かと振り返れば、彼女は先の石柱を指差して、「私ね、去年はあそこに縛られていたのよ」と事も無げにそう告げる。
「去年のあの祭の日。……兄さんに会わせてやると言われて、考えなしについて来たの。兄さんは七年前、突然連れ出されてそのまま帰ってこなかった。イフティラームで仕事をさせられていることは知っていたし、報告書に紛れさせて、たまに二言三言手紙をくれたけど、ずっとそれだけだったから……。会ったら何を話そうかって、脳天気にそんなことばかり考えてた。だけど私はこの島に着くなり石柱に繋がれて、——再会した兄さんは、もう、ダフシャや騒海ラースの民の言うなりになる人ではなくなっていた」
 「イフティラームの人間になってたの」ヴィラはぽつりと、そう言った。
「宝石のことを頼まれた時、私、兄さんに謝られたわ。『お前を選べなくてごめん』って。それでようやく気がついた。私はずっと、……兄さんを自由にさせないための、人質だったんだってことに」
——嵐の間、必死にこの岩場にしがみついて生き延びた。今日みたいに凪いだ日なら、ここからでも郷の灯りが見えるけど、あの一夜は地獄みたいだったんだ。
 あの時。あの祭りの夜。イスタバルはそう言った。
——それでも、こんなところで死んでたまるかって、そればっかり考えてた。だって俺は、帰らなきゃいけなかったんだから……。
「私ももう、ダフシャにも、騒海ラースの民にも囚われないで生きてみたい。兄さんがそれを選んだように。だから今はその為に、イフティラームに味方するわ。——だけどね、カラヤ。私本当は、あんたが嫌いなの。自分のことと同じくらい嫌い。だって私とあんたのどちらか片方でもいなければ、兄さんは、きっと死なずに済んだんだもの」
 ヴィラの言葉は刃のように、カラヤの心を裂いていく。しかしカラヤは彼女の刃を、今度こそ、受け流すことができなかった。
 受け入れなくてはならなかった。刻みつけねばならなかった。カラヤは彼女に応えずに、刃を持ったままの手で、左掌の傷跡をなぞる。
「俺達はイフティラームの人間なんだって、二人とも、胸を張ってそう言おう」
 小さく、小さく、呟いた。
 
 カラヤが祭壇の表へ戻ると、先頭に立って戦いの指揮をとっていたミスマールが手を振った。その背後には、神官を装ってこの島に訪れていたイフティラームの戦士らが立ち、すぐ隣に、生き残った騒海ラースの民の人間が数名、縄で縛られ、囚われている。
「……、イスタバルの残した手紙、それにお前達という捕虜がいれば、ダフシャへの脅しには十分だ」
 戦いで得た捕虜を見、それから、斬り伏せられた戦士らを見て、カラヤは低く、言い捨てた。
「一年前。イスタバルの提案を呑んで、陸地の争いごとから手を引いてさえいれば、こんなことにはならなかっただろうにな」

:: Thor All Rights Reserved. ::