僕の中の時計


「わかるんだ。君の生きられる時間が、その命が終わる時が。僕の中の時計が、皆の時を刻んでいるから……」
 俯いて、僕はそう言った。いつも通りに薄暗がりの、あの工場でのことだ。
 かち、かち、かち。ゼンマイ仕掛けの君の鼓動。君は答えず、ただ僕の手を取って、指の関節に油をひいてくれた。手を掲げて間接の曲げ伸ばしをしてみると、やはり君の仕事は最高だと感心してしまう。
「ありがとう、リア。この前自分でやったときには油を使いすぎて、何を持つにも滑るもんだから困っていたんだ。これなら、どんな精密な仕事でもこなせそうな気がするよ」
 そう言って僕は、僕達の仕事場を振り返る。
 ここはしがないおもちゃ工場。ここでは僕を含めた沢山のマリオネット達が、世界中の子供達のためにおもちゃを作り続けている。僕はそのリーダーだ。いつからリーダーだったのかなんて、覚えていない。どうしておもちゃを造ることになったのか、なんて尚更だ。僕達は生まれる前からここでおもちゃを作り続けることが決まっていて、今までずっと、その事に誇りを持って働いてきた。
 だけどマリオネットといったって、僕の体に糸は一つもついちゃいない。それは僕が特別だからだ。僕はこの工場のリーダーなのだから、糸なんかでぶら下げられていては仕事が出来ないのだ。僕はリアの手を離れ、他のマリオネット達に指示を出す。だけどこの日常が終わってしまうのも、もうすぐだ。
「僕にはわかっているんだ。僕はこの工場のリーダーだからね……。僕たちはゼンマイで動いている。だけどいつの間にやら、僕たちはゼンマイを巻いてくれるあの人を失ってしまったんだ。ゼンマイを巻く道具は、あの人しか持っていない。だからもうすぐ――多分クリスマスを過ぎた頃には――僕の中のゼンマイは動きを止めてしまうだろう。僕のゼンマイが止まるということは、ここにいるマリオネットみんなのゼンマイが止まるということだ。そうしたら、みんな死んでしまう。勿論リア、君も」
「そうね」
 呟くように、リアが言った。リアも、僕と同じ特別なマリオネットの一人だ。体のどこにも糸なんてついていないし、それに、彼女だけには名前がある。「リア」というのがその名前だ。
「あなたは今まで、よくやったわ。この工場のリーダーとしていろいろな問題を解決したり、みんなをまとめあげたり。だから私達は、子供達におもちゃを届けることが出来た。――ねえ、だけどあなたは『子供達』というのが何なのか、知っている?」
「おかしなことを言うな、リアは。『子供達』は『子供達』だろう。僕たちは『子供達』におもちゃを届けるため、ここで毎日働いている」
「ええ、そうよ。だけどあなたは、あなた達は、『子供達』をその目で見たことがある?」
 言われて、僕は混乱した。ふと見ると、リアの瞳からオイルが零れている。僕は慌てて駆け寄って、そのオイルを拭ってあげた。しかしオイルは拭っても、次から次に溢れてくる。何故、こんな所からオイルが出てくるのだろう。故障だろうか。そうだとしたら、大変だ。
「違うわ。これはね、涙というの。悲しいと、涙が溢れるのよ」
「悲しい? 悲しいって、なんだい?」
「悲しいというのは、あなた達とここでおもちゃを造れなくなる事。どうか覚えていてね。あなた達のからくりが止まった、その時も――」
 リアの涙は、その日いつまでも流れ続けた。僕にはわからなかった。わかっていたのは、僕がもうすぐ自分自身の役目を終えるということだけだった。
 
* *
 
 私は店のシャッターを閉めて、ふう、と大きく溜息をつく。
 ファーのついたコートへ身を包み、小さな鞄を手に取った。窓の外では木枯らしが吹いているのだろう。窓から覗くと、ちょうど枯れ葉が舞ったところだった。
 私はコートの襟元を手で押さえ、そこに顔を埋めるようにしながら外へ出た。ふと見上げると、入り口に古ぼけた看板がつり下げられている。
 『おもちゃによる おもちゃづくり 工場』
 それを見て、私は思わず微笑んだ。少し前までは、ここから世界中へ沢山のおもちゃを送り出したものだったけれど。今ではそのなりを潜め、店の中には既に、一つの商品も残ってはいない。最後の在庫も全て、二束三文の値段で売り払ってしまった。
 私は街道へ出ようとして、一度その足を止める。
 最後にもう一目。もう一目だけで良いから、彼らに会いたい。私は鞄の中から古びた鍵を取り出すと、店の側にある工場の扉を開けた。
 埃と、油の、暖かい臭い。ああ、やはりここが私の居場所なのだ。なのに、全てを置いて異国へ向かわなきゃならないだなんて。
 私は手を伸ばし、とうに活動を止めた魔法のマリオネットへ手を伸ばした。その時いつものように、胸ポケットへ古びた懐中時計を忍ばせるのを忘れない。かち、かち、かち、と音がする。こうしていればいつだって、彼らは私に仲間として接してくれた。
 嬉しかった。これからだって彼らと一緒にいられるのなら、どんなにか嬉しいことだろう。
「みんな、聞いて」
 私は物言わぬマリオネット達へ向かって、話し始めた。
「……工場長だった伯父様が、いいえ、ゼンマイを巻いていてくれた『あの人』が、亡くなったの。本当は私一人でも、この工場を続けていきたかった。だけど、私には伯父様のような魔力がない……」
 ぽろりと涙が流れた。これを見たら、彼らはまた「オイルの漏れる故障だ」と大騒ぎしたことだろう。そんなことを思い出すと、不安な心がいくらか安らぐ。
「何年先になるかわからない。だけど学校で沢山勉強して、きっといつか、必ずこの工場へ帰ってくるわ。その時にはまた、私達の手で子供達の笑顔を作りましょう。その時はあなた達を、子供達に紹介したい。あなた達にも、子供達を紹介するわ」
 言った、その時だ。
 かち、かちと音がする。私が驚いて振り向くと、リーダーのマリオネットがそっと私の目許を拭った。もう、ゼンマイは完全に切れているはずなのに。
 マリオネットの手は私の頬を撫で、そこで止まった。それ以上動くことはなかった。
「――約束するわ」
 ぎゅっと、鞄を握りしめる。それから胸元の懐中時計に手をやって、埃っぽいその空気を、胸一杯に吸い込んだ。
「あなた達の時計を、止めたままになんてしない。今度は私が、あなた達に息を吹き込んでみせる」
 
* *
 
 かち、かち、かち。今日もまた、聞き慣れたあの音が聞こえてきた。僕は振り返り、にこりと笑って手を振ってみせる。
「リア、おはよう。今日はおちびさん、いないのかい?」
 君も笑って、僕に手を振る。そのエプロンの影から、君によく似た小さな女の子が飛び出してきた。リアのスカートをぎゅっと掴んで、はにかんだ笑みを見せている。僕はたった今完成したばかりのおもちゃを手に取ると、その小さな女の子にあわせて腰を折り、笑顔でそれを手渡した。
 かち、かち、かち。この小さな女の子のポケットに、何が入っているのか今の僕は知っている。それは永遠に巡り続ける、僕たちの命の時計だ。
2008/2/25
『「わかるんだ。君の生きられる時間が、その命が終わる時が。僕の中の時計が、皆の時を刻むんだ・・・。」』お題提供:奏様

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