吟詠旅譚

太陽の謡 第二章 // 影、追う『影』

031 : Profectio -2-

「クラヴィーアって国の罪人を、わざわざレシスタルビアの都で裁くんだと。おかげで軍隊は動くわ、他国の要人の出入りはあるわ、都は今、てんやわんやの大騒ぎなのさ」
 聞いて、ラトは思わず瞬きした。マカオより外を知らないラトにはその様子を想像することなど出来なかったが、確かになにやら大変なのだろうと、中途半端な理解があった。
「だけどブルの月って言ったら、まだ三ヶ月も先の話でしょう。もう準備が始まってるの?」
「そうらしい。いや、準備自体は、処刑の判決が出た今年の春から始まってたらしいけどね。裁判にも一年かけたそうだし、なんにせよ、人ひとり殺すのに随分大がかりな話さ」
「……、一年か」
 ラトのブーツが、街道の小石を蹴り上げる。こつんと音を立てて転がっていくそれを目で追って、顔を上げると、ラトは小声でこう尋ねた。
「その人は、どんな罪を犯したの」
 上着のポケットへ手を入れると、放り込んであった天淵石の欠片に指が触れる。一方でキリは頓着しない様子で振り返り、きっぱりとした言葉でこう答えた。
「父親殺しさ」
 キリの言葉に、何故だか少し、胸が痛んだ。
 ラトの指先が、自然と石を握りしめる。
「父親殺し」
「そう。……とは言え、その父親ってのがクラヴィーアの国王でね。それを王位継承者だった息子が殺しちまったんで、ここまで大ごとになったってわけだ」
 軽い調子でそう言って、キリは「俺たちみたいな下々の者共には関係ねえけどな」と締めくくる。視線だけで振り返ると、ラトの蹴飛ばしたあの小石は、路傍の草むらに消えて見えなくなっていた。
 しばらくの間、ラトには何も言えなかった。
 父親を殺し、一年もの間、その罪を問われ続けた人物。そしてその罪のために、処刑を宣告された人物。詳しい経緯は知る由もなかったが、しかしその姿を思い浮かべると、タシャの命を奪って今こうしている自分自身と、ほんの少しだけ重なって見えた。
 俯けば、問いかけるようにラトを見る、金の瞳の狼に気付く。「なんでもないよ」と答えると、天淵石の欠片を握った掌が、その角に触れてちくりと痛んだ。
――母さんはさいごに、お兄ちゃんの話をしていました。ニナにはお兄ちゃんがいるから、独りぼっちにはならないから、だから安心ね、って、そう言って私の髪を撫でてくれました。
(母さんは僕を生かしてくれた……。なのに僕は、その罪も償えずに、)
――あの占い師は本当にお前のことを、そしてお前達兄妹と暮らしたあの丘のことを、愛していたのね。
(丘の精霊達のことだって、助けることが出来なかった。みんな、あんなに辛そうに叫んでいたのに。僕に、助けてほしいと訴えていたのに。……それに精霊の長様は、今頃、どうしているだろう)
 洞の中で見た石は、長の石棺と同じく青い光を放っていた。無関係とは思えない。事実あの石が傷つけられる度、精霊達は我が身を裂かれるかのように泣いていたのだ。
 やはりあの時なんとしてでも、鈴を奪いさるべきであった。そうしてさえいれば、兵士達も、そしてリストンと呼ばれた女も、あれ以上に石を傷つけることは出来なかったかもしれないのに。
 しかしそこまで考えて、ラトは唐突に立ち止まる。
――宰相閣下がおいでになる前に少しでも、天淵石を採掘しておかなくては。
(そうだ、あの兵士達)
「ラト?」
 キリが馬の足を止め、ラトに向かって問いかける。ラトは答えられぬまま、ただ首を横に振った。
――宰相閣下がいらっしゃる前に、お前達は町へ帰りなさい。『石』への案内は、私が一人で行います。
――宰相閣下は高貴なお方。お前達のようなものに、お姿を見せるわけにはいかないの。
「『宰相閣下』……」
「は?」
「キリ。さっきの、処刑祭の話」
 思わず声が大きくなる。キリはわけがわからないといった表情のまま、一つ、小さく頷いてみせた。
「処刑祭が、何だって?」
「確か、要人の出入りがあるって言ったでしょう。それは、例えば国の宰相とか、そういう人も参列するの?」
「宰相? さあねぇ。国王陛下も参列するらしいし、大抵の奴は顔を出すんじゃねえの?」
 聞いて、ラトは思わず息を凝らした。そうして天淵石の欠片を握り直すと、視線を彷徨わせ、眉間に皺を寄せて、数日前のあの夜のことを思い起こす。
「洞で見かけた兵士たちが、話しているのを聞いたんだ。『宰相閣下』が来る前に、石を採掘し終えなきゃならないって。名前は確か……、ラフラウトだ。ラフラウト閣下が来る前に、って、そう言ってた」
 忘れない。恐らくはその人物こそが、あの鈴を使って丘の精霊達を苦しめた首謀者であるはずなのだ。しかしラトは視線を戻し、思わずいささか狼狽えた。キリが心底驚いたという顔で、ラトの事を見ていたからだ。
「ラフラウトって、おまえ、それこそ渦中の人じゃねえか」
「渦中の……? どういうこと?」
「いいから、ちょっと来い。ハティアも」
 そうして困惑するラトを招き寄せると、キリはこの人気のない街道へしゃがみ込み、道ばたへ唐突に何かを書き始めた。どうやら地図のようだとラトが気付いたのは、その少し後のことである。
「まずは俺達の今いるこの国が、大陸随一の領土を誇るレシスタルビア。そんでその北にある小国――これが件のクラヴィーアだ。この国は一年くらい前から、ダントン王っていう若い王が治めてる。先王が例の事件で殺されたんでね。……で、この新王の弟にして、この国の宰相を務めているのがそいつ、ラフラウトって人物なんだ。とはいえ実質的には、このラフラウトが実権を握ってるらしいって噂もあるけどな」
「王様より、宰相の方が偉いの?」
「裏で牛耳ってるって事さ。肩書きとしちゃ、宰相より王の方がずっと上だからな」
 そう言ってふふんと笑うと、キリがペン代わりにしていた枝をぽいと手放す。それが鼻先に当たったらしいハティアが抗議するように唸ったが、お構いなしだ。
「で、重要なのは、だ。処刑祭の話をしただろ? 今回ここで裁かれるのは、この現王ダントン二世と宰相ラフラウトの実の弟なのさ」
 言って、キリがにやりと笑う。
「クラヴィーアの先王には息子が三人いたが、この王が末の息子を冷遇して、恨みを買って殺された。それに関しても何やら色々と黒い噂が流れちゃいるが、何より一番囁かれているのは、どうしてそんな骨肉の争いを、わざわざ国外で裁くのかって事だ。
 確かにクラヴィーアとレシスタルビアには昔から不可侵の盟約があったし、数十年前からは同盟国としてもうまく折り合いをつけてやってきた。だけど、わざわざ内輪の揉め事を他国へ晒して、クラヴィーアに何の得がある? 別に事件がレシスタルビアの領内で起こったわけでも、クラヴィーアがレシスタルビアの属国になったわけでもないんだぜ。
 なのに、クラヴィーア人はそれをやった。そしてそれを全面的に指揮したラフラウトってヤツと、それを受け入れたレシスタルビア王家の魂胆が一体何なのか、誰もが固唾を呑んで見守っているって状況なんだ」
 「わかった?」と軽い調子で尋ねられ、ラトは渋い表情のまま、おずおずと頷いた。大まかなところは理解できた気もするが、今までには縁もゆかりもなかったような内容であることと、それがキリの口から語られたことであるという意外性に、正直なところ頭がついてゆかないのだ。
「キリは……そういうの、詳しいんだね」
「時勢くらい掴んどかねえと、旅も気楽に出来ねえからな。なに、ラト君ってば俺のこと、ちょっと見直しちゃったりした?」
 にやにやと嫌味な笑みを浮かべるキリを見ると、素直に肯定することは出来なかった。出来なかったがしかし、悔しさを噛みしめる一方で、自らの無知を思い知る。丘の上で羊飼いをしていた頃には、自分の今いるこの国の名前ですら忘れてしまいそうなほど、ラトの生活は外界からかけ離れたところにあったのだ。
「ま、いいや。小難しい話は道中いくらでも出来るし、これから好きなだけ教えてやるよ。それにしても、つくづく、ラフラウトってヤツは何をしでかすつもりなんだろうな。……こんな所で考えたって、わかりっこないけどさぁ」
 言って身軽に立ち上がると、キリはさっさと馬の手綱を引き、再び道を歩き始める。その後ろ姿を眺めながら、ラトは緩く拳を握りしめた。
(沢山、勉強しよう……)
 これから学ぶべき事は、どうやらいくらもあるようだった。だが様々なことを学んでゆけば、この長い旅路を行くのも、少しは楽になるだろう。
(もっと色々なものを見て、広い世界に触れるんだ。――やろう。今の僕には、そんな事しかできないんだから)
 そうして街道を進んでいくと、やがて小高い丘に出た。そこからひょいと木立の奥を覗いてみれば、遥か眼下に、マカオによく似た町が見える。
「……あれが、バーバオ?」
「そうさ。見るのは初めてか?」
「うん、そうだ。……初めて見た」
 だが、どこか見覚えがあった。小さな町だ。片田舎の木訥とした、マカオともそう代わり映えのない町。
(――、行こう)
 町に背を向け、歩き出す。
 そうして旅立つラトのその脳裏には、あの晩聞いた、ハティアの歌が響いていた。
 
   足りない足跡を探して
   風に行方を確かめる
   このまま進むとどこへたどり着く?
   このまま進めば誰に会えるの?
   問うても問うても
   応えはないのに
   
   足りない心をただ満たして
   嵐に言葉を投げかける
   私は何も持っていないわ
   誰にも与えてあげられないの
   行けども行けども
   道は続くけど
   
   進んでいくほど真っ暗になる
   私の視界が濁っていくの
   あなたに会いたいだけだったのに
   どうしてこんなに悲しいの
   
   涙の広がる虚しい大地
   私の足跡 掻き消していく
   このまま進むとどこへたどり着く?
   このまま進めば誰に会えるの?
   
   わからないまま
   ただ歩いていく
-- 第三章「砂中の灯」へ続く --
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