廻り火

【 第二章:ポリフォニーを耳にして 】

023:代り役 -1-

「従兄弟とはいえ、見た目も中身も、セドナ様とイムとはちっとも似ていませんでしたけどね」
 屋敷の廊下を小走りに進みながら、先程ローザが語って聞かせた、彼についての言葉を思い出す。
「イムの生まれたグリーヴァは、アライス・アル・ニール帝国の南にあった、草原地帯の王国でした。騎馬民族の興した、自由を愛する、気のいい人間の多い国で――。イムはその国の七人目の王子として、特別強い雷のマナを宿して生まれたそうです。マナの力は通常、アライス・アル・ニール帝国とそれに連なる土地の人間のみに現れるものでしたが、帝国の人間であったお母上の血を濃く継いでいたのでしょう。
 ただ、強いマナは制御にも一定以上の力を要します。それでマナの扱い方を学ぶために、イムは子供の頃、一時的に、アライス・アル・ニール帝国に留学しにきていたんです」
「その頃に、セドナ様とも交流があったのでしょう。歳が近かったこともあって、お二人は特に仲が良いようでした。友人でもあり、兄弟のようでもあり。見ていて微笑ましくなるほどで」
 そう言葉を続けたレオナルドは、まるで帝国での日々をそこに見るかのように眼を細め、穏やかに微笑んだ。その言葉に、苦笑したのはイレーネだ。「兄弟……。確かに、そうでしたね。セドナ様が品行方正な兄、イムがやんちゃな弟という感じで」やれやれと零れた溜息に、言外の思いが滲んでいる。
「マナの扱いを覚えたイムは、一度グリーヴァへ帰りました。そうして二十歳になる頃に、今度はグリーヴァからの正式な使者として、帝国に派遣されてきたのです。それからは、我々も随分手を焼かされたものです。なんでもかんでも、すぐに『これは他の奴にも出来る仕事だ』などと言っては、部下に仕事を押しつけて出かけてしまうものですから……」
「よく仕事をサボっては、ソロン殿に叱られていましたよね」
「ええ。でもあれは、甘やかすエイル殿もいけなかったんですよ。騎士団の詰め所が、完全に彼の隠れ家になっていたじゃないですか」
「ふふ、懐かしい。イムとは良い飲み仲間でしたからね、つい」
 そう言ってくすくすと笑ってから、ローザはじっとウィルを見て、何か言葉を呑み込むように、にこりと一度笑ってみせた。「いつの間にか、ちっとも愛嬌のない人になってしまいましたけど」と続ける声が、それまでよりもいくらか固い。それでも彼女は、自らの発する言葉を一言一言噛みしめるように、ウィルに向かってこう言った。
「気分屋で、堅苦しいことが大嫌いで、……ですが、誰より負けず嫌いで。セドナ様亡き後、途方に暮れていた私達を奮い立たせ、蛇との戦いに赴けるよう鼓舞してくれたのは、――他でもない、イムでした」
 
(――二階の、一番奥の部屋)
 心の中で繰り返し、ウィルを見るなり廊下の脇へと避けるメイド達に、会釈だけして疾く駆ける。前を行くスターが小走りに、しかしちらちらとウィルを振り返りながら進むのを追いかけ、階段を下り進んでいくと、奥に目当ての部屋が見えた。
――歳が近かったこともあって、お二人は特に仲が良いようでした。
 聞いたばかりのその言葉が、胸の内に燻っている。ウィルは通りがかりのメイドを捕まえると、念のため、口早にこう確認した。
「ローザさんの執務室って、あの部屋であってますか」
――友人でもあり、兄弟のようでもあり。
 相手が驚いた様子で頷くのを見て、礼を言う。そうしてウィルはノックも忘れてドアノブに手をかけると、一気にそれを押し開けた。
「――クラウス!」
 勢い込んで立ち入ったウィルの足元を、スターがするりと抜けていく。その足を踏みそうになり、避けようとしたウィルは躓いて、咄嗟に壁へと手をついた。しかし部屋の内側から聞こえた声に、はっと慌てて顔を上げる。
「突然、一体何なんだ」
 窓を背にして置かれた机に向かい、呆れた様子でそう問うたのは、クラウスである。
 濃茶の絨毯が敷かれた室内に、煌々と朝日が射している。机の端に空き缶が重なっていることから察するに、どうやら何か仕事をしながら、列車の中でそうであったのと同じように、また缶詰を食べてでもいたのだろう。折角町にいるというのに、何故ここでまた缶詰なのだ。疑問が喉まで出かかったが、ウィルはそれを、ひとまず胸に呑み込んだ。
 今問いたいのは、そんな事ではない。そうして大きく息を吸うと、扉に片手をかけたまま、一息にこう言い募る。
「クラウスが王子でイムは帝国の臣下じゃなくて友達だったって聞いたんだけど本当!」
「……、……は?」
 眉間に皺を寄せ、訳がわからないといった様子のクラウスの側で、便乗するようにスターが一声勇ましく吠えた。それを見ながら大きく息を吸うと、ウィルはまた脳裏に渦巻くとりとめもない言葉を、そのまま素直に口に出す。
「セドナが王で俺はセドナで、みんながセドナ様とかウィル様とか呼ぶから俺は肩が凝って仕方がないのに、クラウスはセドナと友達だったなんて聞いてない!」
「いや、何が言いたいのか知らないが、」
 クラウスの言葉を掻き消すように、またスターの便乗する声が響く。それを見たクラウスは観念したように一度ペンを置き、深々と溜息を吐くと、自らの額に手を添えた。
「とにかく落ち着け。深呼吸でもしろ。言ってることがとっ散らかってて、いきなり言われても訳がわからん」
 スターが大きく尾を振って、クラウスの足元へと駆けていく。それを目で追い、視線の先にクラウスの首元を見ると、ウィルは小さく息を吸った。そのまま息を吐き出して、はやる呼吸を整える。
 彼が常に身につけていた、クラバットが首元にない。そのせいで、爛れた例の火傷痕が、ありありとそこに見えていた。ウィルの胸にあるのと同じ、赤黒く皮膚の引きつった、生まれ持った醜い傷痕――。帝王セドナを主と敬い、転生を経て尚も臣下として仕えることを選んだ人々は、皆その身体のいずこかに、同じ傷痕を持っているのだと、以前クラウスはそう言った。
「イレーネさん達から、クラウスの前世のこと、……イムのこと、聞いたんだけど」
 「ああ」とようやく納得した様子で相槌を打ったクラウスが、つまらなそうに葉巻へ手を伸ばす。
「よりにもよって、あいつに聞いたのか……。あの水のマナ、ソロンだろ? なんだ、悪口でも聞いてきたのか」
「悪口は、……それはその、ともかく」
 マナで見当はついている、と言った言葉の通り、イレーネの前世が誰であるのか、クラウスも察していたらしい。そういえばイレーネも、悪漢を叩きのめした際にクラウスが使ったマナの色合いで、彼の前世を察していた。とすると、マナの色というものは、それ程雄弁に個性を語るものなのだろうか。そもそも、それは目に見えるものなのだろうか。それとも何か、感じる類のものなのだろうか。
 今のウィルにはわからない。わからないが、しかし。
「クラウスは俺に、『お前が主だ』なんて言ったけど……。あれ、嘘なんじゃないか。確かに帝国の時代から現世へ転生した、イム以外の人達は、みんなセドナの臣下だったって聞いた。でもクラウスは、イムは、同盟国の王族だったんだろ。それに、あの……セドナの友達だったって」

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