廻り火

【 第二章:ポリフォニーを耳にして 】

024:代り役 -2-

 クラウスを見据え、ぎゅっと拳を握りしめる。だが「それで?」と応じるクラウスの言葉には、なんの感慨もこもらない。
「……言ってくれればよかったのに」
「何を」
「昔は友達だったって」
「そんなこと、言ってどうする」
 「それは、……」言いよどむのと同時に、思わずウィルの視線が泳ぐ。「知ってたら、もっと親しみが湧いたかもしれないし」
「へえ、成る程。親しみねえ」
 ふとクラウスの口調が強くなったのを感じて、ウィルは思わずはっとした。そうして慌ててクラウスの方へ視線を戻せば、いかにも嫌味っぽい笑みを浮かべたクラウスが、机に片肘をつき、そこに頬を載せて、じっとウィルを眺めている。
「さて、実際はどうだっただろうなあ。アビリオでは俺の真摯な説明を、『人違い』の一言ではねつけて、終わりまで聞きもせずに飛び出していった奴がいたと思うが」
「あ、あの時は色々、突然だったし。列車の中とか、この町に着いてからとか、」
「列車の中では緊張感無く終始爆睡、この町に来て間もなく、待ち合わせの場所から失踪。それで、いつ話せって?」
「それはその、でも、」
「まあいずれにせよ、俺からお前に、その話をする気は一切無かった。第一、俺がセドナの臣下であることも嘘じゃない」
 葉巻の煙を吐き出したクラウスが、ウィルの言葉を待たずにふと立ち上がる。そうして山になった書類をまとめると、部屋の両脇に備え付けられた書棚へ向かって歩いて行く。
 ぴたりと隣を着いて歩くスターを避け、振り返ったクラウスは、ウィルを見据えてこう言った。
「セドナが死んだ後、俺はグリーヴァでの地位を破棄してセドナの臣下になった。色々あって、俺の立場で帝国の人間をまとめるためには、あいつの臣下になるのが一番手っ取り早かったからな。とはいえ忠誠は誓ってるし、お前がセドナの生まれ変わりなら、まあ、お前は俺の主って事になる」
 「それは、逆に言えば」ウィルの口元がへの字に歪む。「セドナが生きてるうちは、臣下じゃなかったって事じゃないか」
「やけにこだわるな」
「こだわるよ。……、だって」
――友人でもあり、兄弟のようでもあり、見ていて微笑ましかったです。
 そんな話を聞いた時、ウィルはなにやら、嬉しかったのだ。
――こうして再びお目通りが叶ったこと、無上の喜びにございます。どうか現世でも、お側にお仕えすることをお許しください。
――セドナ様が崩御されて以降、こうして来世でまたお仕えすることだけを、唯一の望みとしてまいりました。
 帝王セドナの生まれ変わりとして、言われるがままにファーマティカへまでやってきた。正直なところ、それがどういうことなのか、ウィルはちっとも理解していなかった。けれど。
――存じ上げなかった事とはいえ、あの路地裏で助けていただいてよりこれまで、多大なるご無礼をいたしました。どのような罰もお受けします。
 覚醒するなり態度を改め、余所余所しくなってしまったイレーネのことを思い出す。
 前世の縁のためだけに、ウィルに傅く人々の姿を思い出す。
「俺、セドナのこととかちっとも思い出せないし、イムのことだってみんなに聞くまで、何も知らなかったし、……。なのにこんなことを言うの、図々しいかもって思うけど、でも、」
 ぎゅっと拳を握りしめ、恐る恐る、しかしきっぱりと視線を上げた。見ればクラウスは書棚の前に立ったまま、ウィルの言葉を待っている。
 クラウスの手にした葉巻の先が、じりじりと灰に変わっていく。その足元に佇むスターが、無邪気な顔で振り返る。ウィルは腹に力を込めると、じっとクラウスの目を見たまま、はっきりとした口調でこう言った。
「俺は現世でも、――できれば王と臣下じゃなく、クラウスの友達になりたい」
 ウィルを王として敬うのではなく、友人として接してくれる人が一人でも居たのなら、それはどれ程心強いことだろう。
 それがどれ程、ありがたいことだろう。
(だけど、それじゃあ結局、……俺は『セドナの代わり』の友達にしか、なれないのかな)
 告げたばかりの己の言葉が、小さな無数のトゲを持ち、ウィルの心に傷をつける。思わずその場に目を伏せれば、また顔が上げられなくなってしまった。
 クラウスからの返答がない。何か会話を続けなくては。しかしそうは思うのに、気の利いた言葉など、何一つも浮かんで来ない。
(何か言わなきゃ。でも、)
 辛うじてそっと顔を上げ、一つ大きく息を吸う。しかし、
 続けて響いた音を聞き、ウィルはその場へ立ち竦んだ。
 ぐぐうと何やら間抜けな音。部屋中いっぱいに響き渡ったその音は、クラウスの耳にも届いたらしい。
「今の音、なんだ?」
 顔をしかめてそう問われ、思わず首を横に振る。だが得体の知れない音を相手に、威嚇の唸り声を上げたスターを宥めようと身をかがめたところへ、
 もう一度、ウィルの腹の音が悲鳴を上げた。
(頼むから、少しは空気を読んでくれ……!)
 泣き出したくなるほどの情けなさを噛み殺し、吠え始めたスターの近くにしゃがみ込むと、半ば強引にその首元へしがみつく。そうして隠すように顔を埋めれば、まだ興奮冷めやらぬスターの前足が、容赦なくウィルの胸を蹴った。
「今の無し! 頼むから、今の無しにして! 格好悪すぎるから、その前の話も含めて全部無し! 勘弁して!」
「無しって、なんだそりゃ。腹が減ってるなら、何か食べてくればいいだろ。メイドに言って用意してもらえ」
「食べ物はローザさんが準備してくれてるんだけど、でも俺、イムの話を聞いて、なんかこう、勢いでこっちに来ちゃったから」
「それで駆け込んできたのか? 落ち着きのない奴だな」
 これ見よがしに溜息を吐き、クラウスがふと、空になった缶詰を無造作にゴミ箱へ放り込む。そうしてウィルの拘束から逃れようと身を捩るスターの頭をわしわしと撫で、ウィル自身には目もくれず、ソファへどしりと腰掛けた。
「その犬、そういえばどうするんだ。連れて行くのか?」
 ウィルの腕から逃れたスターが、すかさずソファへ乗り上げる。そうしてクラウスに寄り添うように身を伏せるのを見て、「連れて行ってもいいの?」と取り残されたウィルが問えば、クラウスは鷹揚に頷いた。
「まあ、気づくとあちこち駆け回ってる、どこぞのガキより賢そうだしな」
 「落ち着きがなくてスミマセン」力無くウィルがそう言うと、「滅相もない」と抑揚なくクラウスが返す。
「で、友達がどうとかって話だけど。そっちも『全部無し』にした方が良いのか?」
 何でもないかのようにそう言われ、ウィルはぎくりと肩を強ばらせた。しかし無視も出来ないまま、クラウスとは目を合わせずに、その場へすっくと立ち上がる。
「……。さっきはああ言ったけど、でもその、わかってるんだ。友達って、なろうって言ってなるものじゃないよな! ましてや、あの、前世で友達だったから、じゃあ今もって、……そんなの、記憶もないくせに図々しいよ。だからごめん、そっちの話も聞かなかったことにして」
 またきゅうきゅうと腹が鳴くのを黙殺して、そそくさと、廊下へ続く扉の方へ歩み寄る。そうして冷たい金属のドアノブに手をかけると、「無しにして」ともう一度、呟いた。
「仕事してたみたいなのに、邪魔してごめん」
「……。まあそれは、別に良いさ。今後どの仕事ならソロンに押しつけられるか、考えてただけだからな」
 悪びれもせず応える声に、ほんの少しだけ笑ってしまった。よく考えてみればクラウスは、知り合ってから今日までずっと、変わらずこの調子であった。彼がウィルのことを心の底ではどう思っているのか、それはウィルにはわからない。だが少なくとも他の人々のようには、ウィルに傅くことをしない。
 それで十分ではないか。自分自身に言い聞かせて、しかしウィルは背後から聞こえたその言葉に、ノブにかけた手をふと浮かした。
「それよりこいつ、……スターって名前だったか? 連れて行くなら洗ってやろう。流石にこのままじゃ、野良犬にしか見えないし」
「あっ、そうだよな。それじゃ、俺、洗ってくる」
 浅く俯いたまま振り返り、スターに「おいで」と手招きする。しかしクラウスの傍らに寝そべったスターは、ウィルを一瞥するだけだ。
「その前に、とりあえず何か食べてこいよ。出立の準備もあるから、たいして時間はないけど、二人で洗えばすぐ済むだろう」
「ああ、うん、ありがとう。それじゃあ、食べたらすぐに戻ってくるから、……」
 何気ない言葉にそう答え、しかしクラウスの発した言葉に、ウィルがもう一度振り返る。
「二人って、クラウスも? いいよ、外は寒いし、俺がやるから」
 戸惑いながらそう言えば、新しい葉巻を咥えたクラウスが、足を組んでウィルを見る。
 彼の吐き出す白い煙が、窓から射し込む朝日の中へと消えていく。
「俺が手伝っちゃいけないか?」
「そうじゃないけど、でも、」
 「ウィル」大きく煙を吐き出して、クラウスが、ウィルの言葉を遮った。そうして彼はウィルを見て、にやりと笑んでこう言った。
「さっきの友達云々の話。無しにしてやるかどうかってのは、――俺が、決める事だよな?」
-- 第三章へ続く --
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