旅の歯車


100 : 白い地図

 少年は、無色の光の中を歩いていた。
 そこがどこなのかはわからない。だが少年が辺りを見回していると、背後から唐突に声がする。
「旅の方ですか?」
 まだ幼さは残るが、しっかりとした声だ。
 唐突に、周りの風景が色づいていく。肩にヒバリを乗せた少年は、瑞々しい草葉の茂る草原の中へ佇んでいた。
 振り返った先に立っていたのは一人の子供だった。見覚えのある、部族の服を身につけている。少年が驚きながらも頷くと、人受けの良さそうな笑みを見せながら、彼は自分の胸の上に左の拳を置いた。
「あなた達を歓迎します」
 部族の少年の肩越しに、いくつかのテントが見えた。見覚えのある形に、懐かしい色づかい。しかしそこが、以前少年の暮らしたあの草原でないことだけは確かだ。記憶の中の世界でないのなら、ここは一体どこだというのだろう。大時計の見せる幻なのか、それとも――。
 その時少年は、草原の中に一人の男の影を見た。それは見たことの無い、だがこの不可思議な景色の中で、唯一親しみを覚える姿だ。
 少年は、「ああ」と小さく呟いた。「そういうことか」
 少年は誰にともなく微笑みかけ、それから聞いた。
「あそこに立っている人は?」
「あれは私の父です。この部族の長ですから、あなたがここに滞在するのなら、きっと後で会いますよ」
「そう」
 少年が答えると、その肩でヒバリがくすくす笑う。少年と同じく、ここがどこであるのかに気づいたのだろう。
「君のお父さんに、また会いましょうと伝えておいて」
「また……? 父に、会ったことがおありですか?」
「うん。……僕はもう行かなくちゃ。いろんな経過を飛ばしてしまったみたいなんだ。君のお父さんに会うのは、全て終わった後じゃないと」
 部族の少年はそれを聞いて、首を傾げる。しかし詮索はしない。ただ微笑んで、「では、またその時に」と少年を送り出した。
 
「危ないところだった」
 しばらく進んでから、少年がそう言った。
「そうですね。だけど少しくらい話を聞いておいた方が、これからの旅には役だったかもしれませんよ」
「そんなの駄目だ。面白くない」
 聞いてヒバリが、また笑う。「そうですね」と繰り返した。
 少年はまたしばらく進んで、唐突に部族の集落を振り返る。少年のいる草原を見渡せる位置に、丘があった。その上に、やはり先程の男が立っている。
 少年はこれ見よがしに丘へ背を向けると、再び歩き始めた。急ぐでも無く、ただ、自分のスピードで。
「――ここに全ての答えがあるとしても、僕はそれを見てはいけないんだ」
 ヒバリが美しい声で啼いた。丘の上の男へ向けて啼いたのだった。
「さあ、行かなくちゃ。僕はこれから色々なものを見て、聞いて、自分の力で知っていくべきなんだ。――丘の上で僕らを見送っているあの人も、きっとそうしてきたはずだから」
 少年は歩いて行った。丘を振り返ることは、その後もう二度と無かった。
 
 自分という存在は歯車だ。少年は思った。そして今までに見た太陽の光、星の瞬き、人々の歓声、木々のざわめき、一つ一つがまた、あの時計の歯車だ。
 
 丘の上に、一人の男が佇んでいる。男に右腕はなく、髪にさした赤い大きな羽根が、風に遊ばれふわりと揺れた。
――Fin.
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