旅の歯車


097 : 赤い屋根

 少年は立ち止まった。立ち止まって、何も言わずに辺りを見回す。
 そこは荒野だった。
 人の温かみも、生命の清々しさもなく、ただ踏み荒らされた地面。
 辺りには申し訳程度に葉の長い草が生えているが、その草すらも色を忘れたかのように真っ白で、ただ土埃に揺られて少し黒ずんでいる。
 もう何度も訪れた、荒れ果てた故郷の跡地でのことだ。
「僕の故郷では、この草を『勝利の呼び鈴』と呼んでいた。戦いに出る時、町に残る女性たちにどれだけこの草を摘んでもらえたかで、運が変わるんだよ」
 言って、少年はくすくすと笑った。赤く病んだ鳥が、すぐに草を摘んできたからだ。
「ねだった訳じゃ、無かったのに」
――これくらいはさせて下さい。私だって、あなたのことが心配でならないんですから。
 赤く染まった少年の衣服に、勝利の呼び鈴はよく映える。少年は受け取ったものを胸の辺りに挿して、空を見上げた。
 少年と同じく、赤い色に染まった、夕焼け空。
「あの空はどこから始まって、どこで終わるんだろう。君は、空の果てまで行ったことがある?」
 病んだ鳥がかぶりを振った。少年が続ける。
「昔、僕は空を見ていると凄く開放的な気分になったんだ。どこまでだって行ける、そう思った。だけど今はこの空を見ると、まるでこの夕焼けが僕たちにのしかかる重たい屋根のように思えてならないよ。――どうしてだろう。これからが本番なのに、なんだか今までになく気が重いや」
――いろんなことが、ありましたから。
 少年はふと、立ち止まった。近くに生えていた枯れ木に、病んだ鳥が、いや、小さなヒバリがとまったからだ。
「空の果てへ、行きますか?」
「君からそんなことを言い出すなんて、珍しいね」
「世界の均衡がくずれている今なら、行けるかもしれませんよ。……回り道には、なってしまうけれど」
「ここまで頑張ってきたんだ。少しくらい、回り道しても許されるかな」
「……」
 ヒバリは自分で提案しておいて、どこか気乗りしない様子だ。その理由はわかりきっている。少年は一度目を瞑ると、言った。
「空の果てへ行ったら、僕らのもやもやは晴れるかな」
「私はこのもやもやが晴れるなら、今は何だってしたい気分です。……だけど、」
「だけど、きっと空の果てまで行っても、いや、もし太陽の裏側まで行ったとしても、このもやもやは晴れないんだろうな」
 ヒバリの言葉を遮って、少年が言った。ヒバリはそれに同意するように少年の肩へと移って、小さく鳴く。
 風に遊ばれて、勝利の呼び鈴がその音を鳴らす。さらさら、からからと、懐かしい音が耳に響いた。
「あなたと二度目のお別れをしなくてはならないのは寂しいけれど、私、この旅に最後まで同行できて、嬉しかった」
 少年ははにかみながら微笑んで、もう一度辺りを見回した。
 薄汚れた、白い野原。少年は今でもこの野原を美しいと思う。何故こんなにも、この荒れ果てた景色を美しいと思うのだろう。少年にはわからなかった。
「僕も、同じ気持ちだ」
 少年はそう言って、ただ一点を強く見据える。同時に時計の針が、少年の手の中でその形を変えていた。

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