旅の歯車


093 : 罪の記録

 始めの世界において、人々は常にその瞬間を生きていた。太陽が昇り、また沈むことなど、彼らにとっては気にするべきことではあり得なかった。
 いずれ彼らは星を読み、太陽の昇った数を数え、時というものを知ってしまった。
 時の概念が発達した世界は急速に変化を遂げ、結果世界そのものに壊される。
 始まりの時だけの話ではない。ある時は信仰が、ある時は権力が、差別が、善悪が、世界の怒りに触れ、多くの文明を消し去った。
 しかし、ならばなぜ世界は過去の文明の「罪」たる遺跡を常に取り置いたのか。
「世界は、ただ思いどおりにならないからといって文明を壊していたわけじゃない」
 浮き島への道を歩きながら、少年はそう話した。
「過去の文明を裁いたのは、世界の心ばかりじゃなかったんだ。なぜなら、世界の本当の姿は……」
 唐突に大きな音が鳴り、少年の足場が揺れたように感じた。少年は思わずバランスを崩したが、すぐに、それが物理的な出来事では無かったことに気づく。――目の前に、人影がひとつ立っていたからだ。
 
 ただ無機質な空間であるそこに、一人の人間が立っていた。
 
「待ちくたびれたぞ」
 地の底から響くような声だった。今や地上に残るほぼ全ての遺産を食いつくし、力を蓄えた者の声。
 
 少年は微笑んだ。相手が友好の微笑みを返してくれることなど、ありえない事だとわかっていた。
「剣を置いて引き返せ。できるなら、戦いたくはない」
「それは無茶な注文だ。せっかくこんな辺境の地まで訪ねてきたっていうのに、手ぶらで帰れということか?」
 卑屈な笑い声をあげながら、破壊者の少年が振り返る。同時に、表情を怪訝そうなものに変えて眉をひそめた。次いで出た言葉に、少年も思わず苦笑する。
「――おまえ、本当に時計の守り人か?」
「そうさ。髪も伸びたし、背も少し伸びたけれど」
「時の軸は完全に狂ったはず」
「君の驚いた顔が見られて、満足だ」
 小太刀へすっと手をかける。ひんやりとした柄の感触。それはまるで、大時計の前に竦んでいたころを思い起こさせるような……
「決着をつけよう」
 破壊者が言った。
「残念だけど、僕の決着の相手は『世界の心』だ」
 少年が返す。破壊者はそれを聞いて今度こそ苦笑をすると、長剣を抜いて構えを取った。
「つれないな」
 破壊者が地を蹴り、駆けてくる。少年は慣れた手つきで剣を取ると、じっと破壊者を見据えた。
 破壊者の後ろには、大きな影が見える。時を失った王宮で再会した時よりも濃く、深い色の影。
 少年は最後にもう一度だけ声をかけようとして、やめる。そのまま大きく息を吸った。
「困ったな。――僕はまた、話し方を忘れてしまったみたいだ」
 二つの剣が、乾いた音をたてる。

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