旅の歯車


091 : 焚火

「遠慮せずに、よく食べると良いよ。まだ沢山残っているから」
 そう言って、若葉色の瞳の少女が微笑んだ。少年は無言で、しかし感謝の気持ちを存分に込めて頷く。頷くだけ頷いて、すぐにまた、貪るように皿の中のものを食べ始めた。
 深い森の中でのことである。腹を空かせた少年は、あてもなく草原を歩いていた。狩りもしないではなかったのだが、少年にとってはそういった行為自体が久しぶりである上、時の感覚がおかしくなっているために、仕留めていた獲物に逃げられてしまうということがままあった。そんな状況で、鳴り続ける腹の虫を押さえながら、さまよい入ってきたのがこの森だ。
「餓死しかかった守り人なんて、初めて見たよ」
 少女が苦笑しながら、焚き火に向けてあった焼き魚を取り、少年に手渡す。温めていた鍋の中身を確認して、それをかき混ぜた。
「こんなに料理したの、久しぶり」
「――ごちそうさまでした」
「おそまつさまです」
「いえ、最高に美味しかったです。……ところで、かなり今更なんですが」
「なんでしょう」
「あなたも、過去の遺物の守り人ですね?」
 少女は笑って、頷いた。
「もっとも、道楽であちこち旅をしているから、他の守り人とは多少毛色が違うかも知れないけど」
 長い黒髪が、さらりと揺れる。彼女が視線を移した先には、使い込まれた弓が置いてあった。しかし、その近くに矢は見あたらない。
 少年は抱えるように持っていた皿を、丁重に返した。
 
 焚き火を囲んで、二人の会話は続く。
 
 始めに少女が、ただ一言「何故」と聞いたので、少年は時計のこと、破壊者のこと、世界の心のこと、成長する種のことを一通り告げた。少年にも何故だかはわからなかったが、彼女には説明する必要があると感じたからだ。
 少女は黙って話を聞いていた。聞き終えてからもしばらくは黙っていたが、ふと思い出したように「大変そう」と慰めにもならないことを言う。あまりに他人事じみていたので、逆に少年は心が和むのを感じていた。
「随分な厄介事に巻き込まれたね」
「その通りです」
「でも君なら大丈夫。絶対に」
「そんな無責任な」
 少女は構わず微笑んでいる。鍋の中に残ったスープが、いまだ爆ぜる焚き火の上から良い香りを漂わせいていた。後でもう少しもらおうかと少年が考えていると、若葉色の瞳の少女は黙って、再びスープをよそう。そうしてこんな事を言いながら、それを少年に手渡した。
「口ぶりでわかるよ」
「一体何が?」
 少年は言ったが、少女の言わんとすることはわかっていた。
 
 焚き火を囲んで、二人はしばらく黙り込んでいた。
 
「世界に出会え」
 少女が言う。
「あなたは、もう出会ったんですね」
「――そう。そして君も」
 食料を狩りに行っていた赤黒い羽根の鳥が、羽音をたてて帰ってくる。少年は左手を上げてそれを迎えると、少女と同じように微笑んだ。
「確信ではありませんでしたが」
「だけど気づいてはいたでしょう」
「はい」
「それにこの後、誰に出会ってどうするべきか、それも薄々ながら気づいている」
「――はい」
 風が吹いた。森がざあと鳴る。
 
 焚き火がぱちぱちと音を立て、やがて風の中にかき消えた。

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