旅の歯車


088 : 亡霊

 私は空を飛んでいた。
 翼の隣には青い風が走り、私と共に、舞い踊る。
「ねえ、風さん。あなたはどこへ飛んでくの?」
「もっともっと、ずうっと遠くまでさ」
「ねえ、風さん、私はどこを飛んでるの?」
 私の翼は褐色で、暖かい空に抱かれていた。私は目を細め、陽光の中を過ぎて行く。
「忘れてしまったの?」
 風が言った。
 私は全て覚えていた。理解していた。けれどあえて言う。
「忘れてしまったの」
 風はしばらく、私に何も話してはくれなかった。私は羽ばたいて、風を切って飛んだ。
 お節介な風達が、私を追ってくる。
「今ならまだ間に合うよ」
 私は飛んだ。いつもと同じスピードで。
「帰っておいで、この空へ」
 私は飛んだ。頷いた。けれど私は知っていた。
「ありがとう。だけど大丈夫。私は私の選んだ道を行きます。――それが私の幸せだから」
 私の翼は赤黒く染まり、毛並みは病み、羽ばたく力も多くを失った。私は低く陸地を飛び、私を呼ぶ声の方へと、飛んだ。
 夢はそこで、唐突に途切れる。
 
「――ここだね」
 少年が言った。そこは赤い草の生い茂った、野原だった。
 少年は若干緊張した面持ちで、小さく唾を飲み込んだ。それを紛らわすように赤黒い羽の鳥が飛び、冗談めかせて言う。
――この草、私の病んだ羽の色とよく似てる。
 少年が大まじめな顔で答えた。
「君の翼の方が、何万倍も綺麗だ」
 鳥は一度空を見上げ、美しい声で、泣いた。

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