旅の歯車


081 : 王冠

 少年が案内されたのは、町の中心に構えた城だった。
 荘厳な門に門番の姿はなく、少年は子供に連れられるまま、その門の見張り戸をくぐる。
「驚かないのだな」
 子供が言った。
「驚くって、一体何に」
「私が王子であることや、突然城へ立ち入ることに、だ」
 王子は辺りをきょろきょろと見回して、人気のないのを確認する。時たま人とすれ違う時には少年を隠すように立ち止まったが、隠しきれていないのにもかかわらず、相手は何事もなかったかのように立ち去った。
「君の話しかたは特徴的だから。それに……」
 少年は一瞬、ほほ笑んだ。
「僕にとっては、いや、今のこの世界にとっては、城も旅籠もそう大差ないのさ」
 
 少年は城の中へ通され、その中で一人の妊婦に出会った。
 静かな、静かな部屋だった。妊婦はその中で一人静かにいすへ腰掛け、少年や王子に注意を向けもせずに自らの腹を、いや、その中にいる子供を撫で続けている。
「母上。もう心配しないでください。赤ん坊は、ちゃんと生まれてきますから」
 
 赤ん坊の産声が聞こえた。力強く、凜とした美しさのある誕生の声。
 少年は豪奢な廊下に座り込んでいた。生まれてきたのは男女どちらだろうなどと悠長なことを考えつつ、その一方で左腕に得体の知れない鳥肌が立つのを感じていた。
「命が生まれた……」
 母親の腹の中で十月もの間鋭気を蓄えてきた人間が、また一人、この世界へやってきた。その人間が成長して、また、同じように子供を産む。……本来あるべき世界なら。
 呟く。
「世界が元に戻っても、僕には関係の無い話だろうけど……」
「今やこの世界で、時に触れることができているのは俺とおまえだけなのに?」
 鳥肌が止んだ。
 奇妙なほど、少年は自分の気の落ち着くのを感じた。
「破壊者か」
「探したぜ。……持ち逃げされた針のかけら、早く帰してもらおうか」
 少年は静かに、破壊者のいる方を見上げる。
 もう逃げられない。
 なぜかは明確だ。
 破壊者の後ろに、――闇が憑いている。
 
「おい、聞いたか? 礼を言うぞ! 姫だ。私に妹ができた!」
 小さな王子が、はねるように廊下を駆けてきた。王子は廊下にうずくまった少年を見て、歓喜の声をあげる。明るく、晴れ晴れとした、幸せな笑みをその顔に浮かべていた。
「私に、妹ができたのだ。ありがとう。本当にありがとう」
「お母さんの具合は?」
「大丈夫だ。産婆達も大喜びしている」
「そう……」
 少年はゆっくりと微笑んで立ち上がると、王子の頭を軽く撫でながら、言った。
「これからはご両親も、生まれた妹も、この国も、君が護るんだ。君はきっといい王様になれる」
「当たり前だ。大きくなったら……いや、今からでも、絶対にそうすると誓う。私はいずれ、この国の王になる男だ。みんな私が護ってみせる」
 少年は満足そうに頷いた。
「……その気持ちを、忘れないで」
 王子は一度頷いて、それから少年を見上げた。だがたった今返事をしたはずの得体の知れない男は、既に、その城の中のどこにもいはしなかった。

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