旅の歯車


080 : 自由市場

「死んだおまえが、こうして帰ってくれるだなんて! ああ、天よ、感謝します!」
「ねえ、この世界はどうなっているの? どうしてこんなおかしなことになってしまったの? ねえ、それとも今までの私が間違っていたの? この世界はずっとこうだったの?」
「救いを求めなさい! さすれば汝は救われます。我らが神、唯一のお方の手によって!」
 町は、少年が今まで見てきた通り、賑やかだった。だが少年にはそれが活気のための賑わいではなく、恐怖におびえた、いや、恐怖に酔いしれたかのような、奇妙な賑わいであるように感じられ、鳥肌のたつのを押さえつけるかのように、ぐっと奥歯をかみしめる。
 そうしてしばらく歩いて行くと、ふと、大通りの一角から複数の罵声が聞こえてきた。
「ガキが、大人をなめるとどういう目にあうか、教えてやるぜ!」
「やっちまえ、やっちまえ! ここ最近、どういうわけだかどいつをどれだけ殴っても、およそ死ぬって事がないからな」
「そうさ、昨日も気にくわねえやつをやってやったが、やつら、今日もピンピンしてらぁ」
 続いて、下卑た笑い声。肩の鳥がぱっと飛び立って声の方へと向かっていったので、少年もすぐにその後を追った。
 声の中心にいたのは、どこか高貴な身なりをした子供だった。
「場所を知らないのなら、おまえらに用はないと言っている! 道を開けろ!」
 既に幾度か攻撃を受けた後らしい。子供は尻餅をつき頬を腫らして、それでも今にも噛み付きそうな形相で自分を取り囲む男たちを睨みつけている。
「この、生意気な……!」
 男の一人が拳を上げた。少年はすっとその目の前を横切って、左手でその拳を受け止める。力任せの、粗暴な拳だ。少年はそれを払って、子供の方へと視線を向けた。
「大丈夫?」
 驚きに目を見開いた子供が、うん、と小さく頷く。
「この野郎、ふざけやがって!」
「おい、こいつもやっちまおうぜ!」
 こういったやりとりも、今までと何も変わらない。世界が変わっても、人々の気質が変わらなければ本質は変わらない。そういうことなのだろうか。
 少年はかかって来た男たちを軽々ねじ伏せて、時期を見計らって子供の手を取り、道の脇へと駆けていった。
 
「助かった。礼を言うぞ。おまえは片腕のくせに、強いんだな」
 子供がそう言って、尊大な態度で少年を見上げた。少年は苦笑して、まだ痛む右腕の傷をさする。
「怪我、少なくてよかった。僕はもう行くけど、気をつけて」
「うむ、ああ……」
 言って少年が立ち去りかけると、子供は何か曖昧なことを言って、慌てた様子で少年の左腕を掴んだ。袖から覗く子供の腕は、色白でか細く、しかし思った以上に力強い。「何かを守っている腕だ」と、少年は思った。
「聞きたいことがある。この市場で『時』を売っているところはないか?」
「――時?」
「ああ。庶民の市場では色々と奇怪なものが売られていると聞いた。教えてくれ。私は絶対に『時』を持ち帰らなくてはならないのだ」
 あまりに真剣な目だ。少年は一度頷いて、子供に問う。
「その話、詳しく聞かせてもらえるかな」
 
「おかしくなったのは、つい最近のことだ。空がおかしくなったのと同じころから……。急に死者が生き返ったり、誰も死ななくなったり……私は気味が悪くて仕方ないのだが、そうでもない者もいるようで……いや、それはまた別の話だ。ともかく恐ろしいのは、私が恐れているのは、新しい命や、世の再生もなくなってしまったのではないかという事だ」
「新しい命……」
「母上の腹の中には、随分前から私の弟か妹がいるのだ。本当にもうすぐ生まれるはずだった。なのに、今は全くその様子もなくて……それだけではない。父上が数日前にされた傷も、いつまでも傷口が塞がらなくて……。臣下たちもすっかりパニックになってしまって、だから……」
「だから『時』が必要だった。傷を癒すのにも、子が育つのにも必要なものは『時』だから」
 少年が言うと、子供は深く頷いた。
「残念だけど、市場にも君の探している『時』はないと思うよ」
「……っ、ならば、どこにあるのか教えてくれ! 私はどうしても『時』をとりもどしたいのだ、母上を……私の兄弟を助けてやりたいのだ!」
 あまりにも必死な目だった。『時』は今やこの世界のどこにもないだろうなどと、どうしたら言えるだろうか。
 少年は目を伏せ、まだ痛む右腕の傷に手を触れた。そうして、ふと気づく。
 少年の右腕の傷口は、少しずつだが確実に塞がり始めている。
 少年は服のポケットにいれていた針の剣のかけらを取り出して、それを目の前の子供の痣へあててみた。子供は突然のことに驚いたようだったが、痣はすっと消えるようになくなった。
「おまえ、今、一体何を……」
「君の家まで案内して。もしかしたら、君の家族を救えるかもしれない」

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