旅の歯車


077 : 太陽と月

 二つの剣が互いを受け止めた、その瞬間のことだ。
 左腕に持った『成長する種』が急に熱を持ったことを感じ、守り人の少年は剣を弾いて間合いを取った。すかさずメイド達が寄ってこようとするのを視線で威嚇し、一方で破壊者へ注意を向ける。破壊者の方の種に似た何かにも同様のことが起こったようで、破壊者は驚いたと言わんばかりに自分の左腕を凝視していた。そうして彼は唐突に笑い出し、部屋の大きな窓を開け放つ。
「世界の要が傾いた……」
「……なんだって?」
「もう全ては手遅れだということさ!」
 そう言いながら振り返った破壊者の瞳には満面の笑みが浮かんでいた。少年は一度その様子に得体の知れない寒気を覚えたが、すぐに破壊者の背後に広がる、外の世界に目を向ける。そこはすでに昼でも夜でも無く、何かが交じり合ったような混沌とした世界となっていた。
「強大な二つの力がかち合って、バランスが崩れたんだ。今なら……」
 呟くように言って、破壊者は自らの剣を見下ろした。その瞳は好奇の色に満ちている。少年は反射的に自分の剣をかまえたが、五人ものメイドから一度に邪魔をされ、瞬時に繰り出された破壊者の剣を、右の腕に受けてしまった。
「っ……!」
 握力を失った腕から、秒針の剣がするりと滑る。キン、と乾いた音を立てて床に落ち、剣は何かの力に引っ張られているかのように、床の上で回転しながら破壊者の方へと向かって行った。奥歯をかみしめた口から、それでも重苦しい悲鳴が漏れる。
「おっと、下手に動くと腕が無くなるぜ?」
 破壊者の剣は、いまだ少年の右腕に突き刺さったままだ。
剣を取り戻さなくては。だが、腕がひどく痛む。傷口から体全体に炎が走っているかのように、体全体が熱い。立っていられるだけまだましというものだ。
「いままで、御苦労だったな」
 破壊者の表情が歪む。笑ったのだろうか。少年にはわからなかった。
「喜べよ。おまえは、これでもうこんな諍いからは解放されるんだから」
 破壊者の左腕が、少年の『成長する種』に触れる。
「君……は?」
 少年がかすれ声で言って、ほほ笑んだ。まるでこの場に似つかわしくないほほ笑みに、破壊者は一瞬不審そうに少年を見下ろして、それから少年の『成長する種』を強くつかむ。
「その言い方だと、君も……解放されたがっているように、聞こえる、けどね?」
 ほほ笑んだままそう言って、少年の左手が機敏に動いた。その手は自らの右腕に突き刺さった破壊者の剣へ伸び、それを引き抜くのではなく強く握り締める。
「……まだ僕は負けていないよ。残念だけど、ここで負けるわけには……いかないから」
「――一体何をする気だ!」
 少年は問をほほ笑みで返し、左腕に神経を集中させた。刃先を握り締めた掌からも血が流れ落ちる。右腕の感覚は既に無い。
「今、僕に勝ち目は無いけど……」
 『成長する種』の熱がどんどん上がって行くのがわかる。だがそれと同時に、自分の中に体力とはまた違った力が生まれてきていることを、少年は自覚していた。
「君の思いどおりに、させないことはできる」
 破壊者がはっと息を飲む声が聞こえた。少年のやろうとしていることに気づいたのだろう、彼もまた自分の『種』に神経を集中させ始めたようだ。
 少年の『種』が破壊者の剣を砕くのが早いか、破壊者の『種』が少年の『種』を砕くのが早いか。
 パキ、と、乾いた音がした。二つの『種』が共鳴するように光を発し、それから――
 
 少年が目を覚ますと、そこは見知らぬ野原だった。赤紫色の草の生い茂った、ただ広いだけの野原。少年の他には誰の姿も無い。
 少年は自分の右腕に、砕けた破壊者の剣が突き刺さっているのを見て、弱々しく笑った。
 少年の剣は奪われてしまった。しかし二本を併せた時に剣が完全な状態でなければ、破壊者の力は半減するだろう。破壊者は何が何でも、この残りの欠片を奪いに来るはずだ。
 ――時間が無い。進まなくては。そうは思うものの、少年は仰向けに倒れたまま幾度か瞬きをする。
 体に力が入らない。腕の傷が疼く。
 進まなくては。進めない。立ち上がらなくては。立ち上がるだけの余力がない。
 砕けるのではという程に奥歯をかみしめて、少年は目の前に拡がる空を見る。
 そこは昼でも夜でも無く、何かが交じり合ったような混沌とした世界。太陽と月が解け合ったような、奇妙な空が拡がっていた。

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