旅の歯車


074 : 二律背反

「意外に落ち着いているじゃないか」
 そう言って破壊者がせせら笑ったので、少年は負けじと言い返す。
「さっきも言ったとおりだ。僕は君が好きじゃない」
「予想はしていたって事か」
「わかっているなら剣をおろせ、破壊者」
 それでも破壊者は剣を下ろさない。少年は動かずに、静かに左腕の『種』に神経を集中させた。
 海賊の島で破壊者に会った時以来、『種』を使ったことはない。だがあの時のように盾にすることができれば、あるいは光を発させることができれば、こちらが剣を引き抜くくらいの時間は稼げるだろうか。
「選択肢は二つだ」
 破壊者が言った。
「俺に協力するか、それとも反発してここで死ぬか。どちらにしろ、お前の剣は渡してもらおう。それは俺の仕事に必要な物だから。――さあ、剣をよこせ守り人。お前はもう何もしなくていい。後は全て俺に任せろ。お前は元々、時計にも遺産にも何の関わりもなかった人間なんだろう。……さあ」
 少年は一度目を伏せて、それからきっと破壊者を睨み付けると、言った。
「渡せないな。君が時計を壊すのを、黙って見ているわけにはいかない」
「何故。よく考えてもみろ、時の存在なんて人々を縛り付け、追い立て、苦しめるだけじゃないか。だから生き物は皆、一度進んではもう引き返すことのできない未来という道に怯え、その先の死という終焉を恐れ、ほんの一瞬の命を、川に流れる雑草のように不確かに流されてしまう。世界の大時計さえ壊せば、そんなことはなくなるんだ。幸せを手にしたら、それを永遠の物にできる。誰の死にも怯えない。過去も未来も関係ない。今、この時が永遠になるんだ」
 破壊者が無表情のまま、少年の方へと一歩踏み出す。
 少年はその時、目の前の破壊者を見るでもなく、昔のことを思い出していた。
 小さな集落で幸せに暮らした日々、町との戦いへ不安を募らせたこと、先代守人に死なれ、孤独を感じた日。旅をする間にも、様々な人の生き死にを見て来た。
 ふと、長く旅を共にしたヒバリのことを思い出す。そしてあの小鳥の死骸を前に、口に出した言葉を繰り返す。
「僕は、道を決めた」
「なんだって?」
「僕は道を決めた。だからその道を進む。過去があって、先へ進む。この世界で生きている人々は、時を持っている人々は、迷いながら、後悔しながら、それでも先に進むことができる。未来に希望があるからだ。それは僕が長い間、忘れていたものだ」
「時がなくなれば、その希望とやらまで消え失せる、と? だから時計を壊すのは誤りだと言いたいのか」
「さあ」
「はっきりしないやつだ」
「君の考えと僕の考え、どちらが正しいのかは一概に決めることなどできない。だけど――」
 少年が唐突に一歩踏み出し、それに呼応するかのように『成長する種』が光を放つ。メイド達が少年へ駆け寄り切っ先を突き付けるまでには、少年も自分の剣を引き抜いていた。少年はそれを間を置くことなく破壊者の顔すれすれに突き付けたが、一連の動作の間、破壊者は瞬きもせずに少年を見ていただけだった。
「もう少し、僕の話を聞いてもらいたい」
「まだ何かあるのか」
 少年が浅く頷くと、破壊者は剣を持っていない左手でメイド達を制す。それから、先を促すように顎をしゃくってみせた。
「時計を壊すにしろ、直すにしろ、僕らはしばらく協力するべきだ」
「協力だって?」
「そうだ。……君も知っているだろう。『世界の心』のことだ。聖杯や海賊の島の塔の守り人が言っていた。時計の狂いで世界も狂ってしまったって。このままじゃ『世界の心』に、文化ごと消されてしまう。そうなったら、君の言う時のない世界を作るにしたって身も蓋もなくなる。そうだろう」
「そんなもの、剣さえあれば俺一人でどうにかできる」
「時計のことだけでもこんなに手を煩わせているのに、本当にそう思うのか」
 破壊者の視線が一瞬戸惑いを見せた。だが直後、そんなことは尾首にも出さず、彼はにやりと笑う。
「――できるさ」
 一度、そう言葉に出して、その後はまるで自分自身の発した言葉を肯定するかのように、
「できる。俺はお前とは違う。お前からその剣を奪えば済むことさ。そう、俺はそう出来るだけの力も技も持っているんだ!」
 繰り返して、破壊者は少年の方へと大きく踏み込んだ。その刃を、少年は自らの剣で受け止める。

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