旅の歯車


073 : 来訪者

 突然の来訪者に、町は湧いた。
 少年と破壊者が向かったのは、破壊者が育ったという谷に囲まれた町だった。
「育った町と言っても、それも俺があの女に引き取られてからの話だ」
 破壊者は言った。
「もう何年前になるか……。あの女の屋敷へ行ってから、俺は破壊者としての術とあの屋敷を得た。母――あの女が死んでからは、俺がこの町を統治してる」
「と、統治?」
 少年の問いに答えが返る間もなく、二人は町の外れにある大きな屋敷の前に来た。破壊者は着ていた外套を脱いで、それを腕にかけると門番を呼び、門を開けさせた。外套の下には、領主然とした上等な服を着ている。
「母は老いない体を持っていた故に、この町の住人からは畏敬の念を抱かれていた。引き取られた養子である俺も同じだから、そのまま母の役目が回ってきたのさ」
「君も……老いないのか?」
「気付いたのは、ここへ来て二月ほどした頃だった。母が何か細工をしたんだろうと思って、大して気にもしなかったが」
「じゃあ、僕らはもしかすると結構似て……」
「本当にそう思うのか」
 鋭い声で、破壊者が言った。
「俺とお前が本当似にていると思うのか。破壊者と守り人が似ていると」
 少年がしばらくの間押し黙っていると、破壊者は屋敷の入口へと向かいながら呟く。
「……もしそうだとしても、俺たちは絶対にそれを認めちゃならないんだ」
 しかし少年はそれを聞きながら、海賊の島の洞窟で見た幻影を思い起こしていた。
 あの時、聖杯を手に掛けたのは――。
 少年は町の人々の視線を極力気にしないようにしながら、屋敷へと入る。中では一通りのもてなしをされ、その後、少年は広いリビングの大きな机を挟んで、破壊者と向き合った。
「それで、早速本題に入りたいんだが」
 破壊者が言う。少年は頷いて、答えた。
「そちらから御願いしたいな」
「順序として、過去の情報を先に聞けた方が頭の整理がつくんだが」
「ここは君の屋敷だ。お招き頂いて嬉しいけど、ついでに、まずはそちらから歓迎の言葉に代えて情報をもらえないかな」
 聞いて、破壊者はくっくと抑えた調子で笑う。メイドが飲み物を運んできたが、少年は手をつけなかった。
「意外とお堅いんだな。情報を持ち逃げされちゃ適わないというところか」
「ここは君の領地だ。いざ何かあったら僕の勝ち目はないに等しい。それに正直なところ、僕は君が好きじゃない」
「好いてもらおうとも思わない。俺は破壊者、お前は守り人。決して相容れることなどないのだから」
 破壊者は一度目を閉じた。そして少年の求める情報について話し始める前に、こんな事を言う。
「毒なんかは入ってない。安心して飲むといい。ここの紅茶は美味いから」
 
 破壊者が話した内容は、こうだ。
「俺は数年前に母――先代破壊者に拾われて以来、この屋敷で破壊者としての術を……世界の大時計を破壊する手段を学んで来た。そして全て伝え終えた数日後、唐突に母は死んだ。母が死んだ時、俺は……大時計の前にいた」
 聞いて少年ははっとした。「あの日」か。守人と破壊者が初めて会った日。少年の旅が始まった日。
「俺はあの日、時計を壊し損ねた」
 破壊者ははっきりとした口調で、言う。
「時計に触れた瞬間、全身を貫くような痛みがあった。それがあの時計の魔力のようなものなのか、それとも他の原因があったのかはわからない。だがそれも予定のうちだった。そういうことはあるかもしれないとあらかじめ聞いていたから、俺はその場合の行動をとった。それが時計の秒針を奪い、砕くことだった。
 一度砕かれ、持ち主の意志に従った欠片は、ある物を使えば強力な武器になる。だが砕いた欠片は俺の意志にかかわらず世界中に飛び散ってしまったから、俺はそれを探さなくてはならなかった。お前も欠片を探し始めたということはすぐにわかったが、俺はそれを、敢えて黙認した。お前が少しでも多くの欠片を集めてくれれば、捜し物が減るからな」
「それで、最終的には僕から奪い取ればいいっていう魂胆か」
「怒るなよ、まだ話は終わっちゃいない。――さっきも言ったとおり、針の秒針は武器になる。だがそれだけでは、大時計本体には通用しない。そこで必要になってくるのが……そう、お前の持っている『成長する種』さ」
 言って、破壊者は少年の身につけている腕輪を指さした。
「これが……時計を壊すのに必要……?」
「そう。先代時計の守り人が、長年かけて作った道具。その性能は俺にもまだわからないが、過去の文化から残った『記憶』に命を与えることもできるという。だが先代時計の守り人は、いざ出来上がるとそれをどこかに隠してしまった。俺の母にもその場所は知らせず、自らはお前に守り人の任を預けてこの世を去った……。だから、母もその方法はいざという時のためにと俺に教えただけだったが。
 俺は時計を破壊した後、どこか他の遺産の近くに隠した可能性が高いと考え、あちこちを探し回った。『種』のように強い力を持った道具なら、そうでもしないと気配の隠しようがない。事実……お前がそれを持って歩くようになってからは、その動きが手に取るようにわかったし」
「この腕輪を探して、他の遺産のところへ……。それなら、そこで他の遺産を壊したのは何故だ」
「新しい可能性を見つけたからさ」
 破壊者はにべもなくそう言いきった。
「いくら探しても『種』はみつからなかった。だが俺は他の遺産を見ていくうち、それぞれが持つ力を使えないかと思うようになった。それさえ使いこなせれば、『種』などいらない。――そして他の遺産をも破壊し、作ったのがこれさ」
 破壊者が左の袖をめくる。その下には『成長する種』によく似た、黒い腕輪が覗いている。
「海賊の島で本物の『種』を見てからも、あちこちで力を集めた。今では本物と同等くらいの力を持っているはずだ。あとはお前の持つ剣さえあれば、今度こそあの時計を破壊することができる。そう思った時急に、お前と『種』の居場所がつかめなくなった。
 直感的に、俺は先代守り人がお前にコンタクトをとっているのではと推測した。それがどうだ、どんぴしゃりじゃないか。ちょうど俺も、事の背景も知らずに動き回るのはばかばかしいと思っていたところだ。お前から剣を奪う前に、少しくらい話を聞くのも悪くない」
 少年はしばらくの間、黙って今聞いた事柄を吟味していた。
 ――恐らくそいつは、何らかの理由で時計を壊し損なった。あるいは、壊すことが出来なかった。だからこうして秒針の剣を作って、時計自身の力で時計を壊そうとしているんじゃないか?
 師の言葉が蘇る。どうやらあの推測は、あながち外れてもいなかったようだ。だが、『成長する種』については……
「さあ、そろそろ良いだろう。そっちの話を聞かせてくれ」
「その前に一つ。君は時計を壊したがっている。時計を壊したらどうなるのかを、知った上で……。だけど、そうしたところで君に利点はないだろう」
 少年が言うと、破壊者は笑って、
「無いね」
 言った。
「利点なんかはハナから期待してないさ。俺はただ、母の期待に添いたいだけ。あの人の願いを叶えてやりたかっただけさ」
「――先生も同じことを言っていた。その女の人には、会った人にそう思わせる何かがあったんだろうか」
「先代守人と、同じ?」
「ああ。……今度は、僕の番だったね」
 少年が師から聞いたことを話す間、破壊者は黙ってそれに耳を傾けていた。
 そうして一通り聞き終えた後、大きく深い息を吐く。
「僕の知っているのは、ここまでだ」
「そうみたいだな」
 言ってから破壊者はにやりと笑い、少年を見る。それはまるで相手を射殺そうとしているかのようにまっすぐな視線だったが、少年は決して目を逸らさないようにと自分に言い聞かせていた。
 ――時計に触れた瞬間、全身を貫くような痛みがあった。
 先ほど破壊者は、確かにそう言った。
 ――本来ならば守り人に選ばれるべきだった人間を、私が見つけて破壊者として育て上げる。
 先代の破壊者が言ったという言葉だ。師に話を聞いた時から、わかってはいた。今では破壊者も、そのことをはっきりと自覚しているだろう。
 本当なら、守り人になるはずだったのは少年ではなく……
 ……目をそらしてはならない。ここで負けてはならない。今投げ出してしまうことなどできない。
「それじゃあ、次にこれからのことを決めようか」
 破壊者が言った。その瞬間に彼は自分の秒針の剣を引き抜き、少年が応じようとした方へ切っ先を向ける。見ると、今まで部屋の脇に控えていた数人のメイドまでが、そのたっぷりとしたスカートに隠された細い剣を構えている。

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