旅の歯車


067 : 歌姫

 だがあの時の俺は、そのことにまだ気付いていなかった。だってそうだろう? 世界の端の小さな村で生きて来て、知っていたのは戦う術と、女の口説き方くらいなもんだった。まして大時計の存在を知っている一般人なんて、この世に普通はいないもんだ。
 俺はさっきも言ったように西の町の重役を二人も生け捕りにして、これ以上ない程に得意な気分に浸っていた。
 小さい町の事だ、話が伝わるのも早い。町の英雄になったのだ。
 帰り道は気分が良かった。自分が犯した最大の失敗の事になんて、これっぽっちも気付いていなかった。
 
 村に戻った俺は、期待通りに迎えられた。西の町の人間達はどうだった? 一体どんなふうにして物見のオヤジを見つけたのか? 俺は一つ一つの質問に時間をかけて答えてやった。時には密やかな声で、また時には真実を誇張しつつ。
 ――西の町は人という名の鬼が住む場所だった。第一に、町へ入ると同時に左右から同時に飛び掛かられてさ……俺は咄嗟に手綱を引いたんだ、それで……そいつらが戸惑っているうちに俺は剣を抜き、それから、それから――。そう、俺にとっては西の町の人間のことも、そこで起こった戦のことも、すでに話の種でしか有り得なかったんだ。
 それから三日も経つと祭り騒ぎも徐々に下火になっていって、そんなある日、俺は町の集会所を訪ねた。あの町の政治は、騎士がその集会所で年交替に代表となって行っていたんだ。俺の捕らえた二人の捕虜もその集会所の一室にいた。……とは言っても俺がそこを訪ねていったのは、別にそいつらに会おうと思っての事ではなかった。俺はその時『代表騎士』に呼ばれていて、捕虜が囚われている部屋の前を通ったのは全くの偶然だったんだ。
 その部屋の前を通った時、俺は思わずそこに立ち止まった。中から歌声が聞こえたからだ。
 不思議な歌だった。悲しげなものではない。だが憂いを帯びている。俺は歌など随分聞いていなかったが、その時の歌声は本当に綺麗だと思った。
「そこで歌っているのはおまえか? 西の町のまじない娘」
 途端、歌が止んだ。しかし止んだだけで返事はなかった。
 俺は少しの間返事を待ったが、馬鹿馬鹿しくなってすぐにその場を去った。
 俺が向かったのは、小さな町では名ばかりの応接室だった。勿論代表騎士に会うためさ。俺の顔を見ると相手は柔和な笑みを浮かべて、俺に座るようにと促した。
「今回は大した手柄だったな。村中大喜びだ。君のような若い人がこう上手くやってのけるとは、我々ももう世代交替かな。作戦もなかなか上手かった。君は発想がいいな」
「……私の成功は、貴殿方の指揮のおかげです」
 聞くと相手は笑って、そう堅くなるなと茶を勧めた。
「ところで君に来てもらった理由というのは……我々の方でも色々と話し合ったのだが、君、次の代表騎士になる気はないかね」
 相手はそう軽く言ったが、俺はとことん驚いた。この年で代表騎士だって? 聞いたこともない。それはこの町の短い歴史上初めてのことだった。
 相手はどうやら俺のそんな心情を察したらしく、こう付け足す。
「無論、君がまだ若すぎるのは承知している。だが、今この町に必要なのは若い風なのだよ。……引き受けてはくれんかね?」
 俺はホンの一瞬押し黙った。自分などでその役が務まるだろうかと悩んだわけじゃなく、自分がそうすることで、自分と町の双方に何かマイナス面があるかと考えたのだ。同じようなものだと思われるかもしれないが、そこは微妙な違いを察してほしい。
 結論は否だった。いくら何でも現在の代表騎士だとて、いきなり何もかもを俺にやらせるわけではあるまい。ならば……と思って、俺は首を縦に振った。
「お引き受けします。これよりどうぞ、この未熟者めに町を治める術をお教えください」
 
 俺がもう帰る頃になって、入り口まで送りに出ていた代表騎士が何事でもないかのようにぽつりと呟いた。
「そういえばお前のとらえた捕虜二人、これから一体どうするかで議論になっていてな。近いうちにお前の意見も聞くかも知れぬ。まあ、打ち首にするか奴隷にするか……いつまでも客室を占領させておくわけにはいかないからな」
「殺すやもしれないのですか」
「ああ、まあな。まじないを使うとか言うから、奴隷にしたところで誰が引き取るものか」
「女の方は先ほど、歌を歌っていましたね」
「ああ、あれは見事だ。しかしだからこそ、どのような力を持った者なのかがわからぬ」
「帰る前に顔を見ていってもよろしいでしょうか」
「いいだろう。だが君は……」
「捕らえたときには、奴ら仮面を付けておりましたので」
 そうして俺と代表騎士は一度集会所の中へ戻り、女のいる部屋の鍵を開けた。
「二人で話をしてみたいのですが」
 言うと、代表騎士は俺に鍵を渡して立ち去った。部屋の中から声がする。
「またいらしたのね」
 声は、女のものだった。
「また、とは?」
「先ほど、私に何かお尋ねになったでしょう」
「わかっていて返事をしなかったのか」
「いいえ、返事はしましたわ。ここでこうして首を縦に振りましたもの。貴方が見ていなかっただけでしょう。何せ忌々しい鍵のかかった扉が、私達の間を隔てていましたから」
 その毅然とした話しっぷりに、俺のその女へ対する好奇心は俄然高ぶった。俺が部屋へはいると、女は粗末な椅子を窓へ向けて、そこからゆっくりと立ち上がった。
「それから、その前にも一度お会いしましたね。……私とお父様をここへ連れてきた兵隊さんかしら?」
 挑戦的な響きのある声。俺は、あくまでも窓を向いて話し続ける女に近づくと、その腕をとった。
「相手の目を見て話せ、と、父親からは習わなかったか?」
「あなたは、敵国の者のことを人と思いますか?」
 俺は苦笑した。だが手は離さなかった。
「それならそのまま窓の外を眺めていればいい。だが、歌ってくれないか。何故とは言うなよ、俺はそう聞かれるのが嫌いなんだ。……お前の歌を、ちゃんと聴いてみたい」
「それは捕虜への命令ですか、それとも私を口説いているおつもり?」
「後者さ。……それから、歌の後で一緒に外を歩かないか? おまえは外が好きなようだから」
 女が小さく笑うのが聞こえた。鈴のようだ。決して強い音ではないのに、必ず心まで音を届かせる。
「それは嬉しいわ」
 そう言って、彼女は初めて振り返った。
 
 俺たちが本当に愛し合うようになるまでに、そう時間はかからなかった。
 俺はその女のために出来る限りのことをしてやった。まず、女と女の父親に関して、父親の追放を条件に、二人には何の罪も問わない方針に決めた。彼らはふたりでまじないをするからこそ力を持つのであり、一人では何も害を及ぼさないと主張したんだ。
 それから、女の方は俺の……次期、代表騎士の妻とすることで話しがおさまった。捕虜の女を妻に迎えることは、そう珍しいことではなかったから。
 
「父にお別れを言ってきたわ」
 彼女がそう報告しに来たとき、俺は町の端の草原で、馬の手入れをしていた。その時の俺は既に代表騎士に叙任していたから、腕にはそれを表す銀の腕輪がはめられていた。
「敵国の男に娘をとられて、怒り狂っちゃいなかったか」
「初めは、少し。だけど私の話を聞いたら少しは安心してくれた様子。幸せにおなりと言ってくれたわ」
 俺は適当な返事をするとまくっていた袖を元に戻し、馬に鞍をかけ直すと彼女に向かって手を差し延べた。
「行こう」
「どこへ?」
「家族の今生の別れだ。もう少し劇的な盛り上がりがあってもいい」
 俺たち二人が馬へ乗って野を少し駆けると、先の方にみすぼらしい男が歩いていくのが見えた。俺がおぅいと声をかけると相手は振り返る。
「手を振ってごらん、お前のことにはまだ気づいていないようだから」
 女はそれを聞いてくすりと笑ったが、手を振ることはしなかった。……そう、彼女は常に、人の勧めるような行動をとらずに生きている。
 彼女は歌を歌った。草をそよがす風の音を伴奏に広い野の中で、旅人の歌う、旅立ちの歌を。
 父親は、娘が近くにいることを察したらしい。初めは立ち止まったままその歌を聴いていたが、やがてそれにも背を向けて、その歌に送り出されるように一歩一歩町から遠のいていった。
 
 ――その、帰り道のことだ。
 町へ戻る道すがら、俺は彼女一人を馬に乗せ、徒歩で手綱を引いていた。夕方の陽がだんだんと落ちていく。俺は内心西の町へ乗り込んだときのことを思い出してしまい、落ち着かない気分でいたのだが、それをどうにか女に感づかれないよう、必死でせかせかと歩いていた。
 陽が落ちていく。もうすぐ黄昏時だ……
「私、こんな夕日を見ていると、ある旅人のことを思い出すの」
 俺はびくっとした。幸か不幸か彼女はそれに気づかずに、馬上で夕日を眺めながらささやくように話し出した。
「私達のいた町が攻め落とされる三日前のことよ。あの町に一人の旅人がやってきたの。名前は聞かなかったわ。ただね、ここではいつ戦争が起きるかわからないし、こちらも素性の知れない者をおいておくのは町人に不安を与えるばかりだから、出て行くようにと言ったのよ。そうしたら、不思議なことを話し始めたの。きっと気が触れていたに違いないわ。だけど、その話ったら妖精の国の本にでも載っているかのように不思議なの。どんな話かというとね……」
 女の話し始めた物語は驚くべきことに、この世界と大時計のことについての話だった。旅人――俺が殺したあの人物が、彼女に語って聞かせていたのだ。何故そうしたのかはわからない。ただ彼女には、君さえ知っていれば安心だからと言ったそうである。
 あいつは、あの守り人は、あそこで俺に殺される運命にあったことを知っていたのだろうか。そうしてその後、彼女と俺が結ばれることさえ予測していたというのなら、俺にとってそれは恐怖だった。ただただ恐ろしかった。……今になって思えば、ある程度の先読みはそう難しいことでもないと思っている。けれどあの時はそんなこと、つゆとも思わなかったから、未知の力を本気で恐ろしいと思っていた。
 そうして彼女は物語の締めくくりに、こう付け足した。
「それで、こう言ったのよ。私にはいつ戦争が起こっても関係がない。私を殺すことが出来るのは世界中でただ一人、次代の守り人だけだから、って。自分が死んでもその人が役目を引き継ぐのだから、何も支障はないというのよ」
 俺はいつの間にか、馬の手綱を持って進むのを辞めてしまっていた。ただぼうっとその場に立ちすくみ、どこか遠くのうつろを眺めているような、だが、それを自覚はしていなかった。
「そいつは嘘つきだ……」
「勿論そうよ。世界が文化を壊してしまうなんて、まるで神話の中の話だわ」
 彼女は言った。俺はいつの間にか震えだしていた。
「違うんだ」
「違う? 一体どうしたの、酷く顔色が悪いわよ」
 違う、違う……。俺の叫びは、言葉になってはいなかった。ただその後で彼女から聞いたことには、俺はその時、しっかりこう告げていたのだという。
「そいつはとんでもない嘘つきさ。だって……そう、俺が……。俺は、俺が、そいつを殺したんだから!」

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