旅の歯車


066 : 黄昏

 ことの起こりは簡単だ。あの日の事は、今でも容易に思い出す事ができる。
 そう、おまえももう見ただろう。あの祭り騒ぎが起きた日の事だ。俺にとっての全ては、あの日に始まった。ついでに言えば、この世界の狂いもあの日に始まったのさ。……あいつが俺を見つけてしまったから。世界の力とやらも馬鹿なことをしたもんだ。それはもう、完全な人選ミスだったよ。
 その日は、朝起きた時から嫌な予感がしていた。だが、それが一体何を根拠にしての事なのかはわからなかった。いや、正確にいえば勘違いをしていたんだな。……俺はそれを、その日に決行するとされていた奇襲攻撃の凶兆なのではと解釈していた。
 俺が住んでいたあの町は、すぐ近くにある西の町と抗争していたんだ。実力はほぼ互角、町の規模もそう変わらない。二つの町はずっと互いに睨みを利かせあっている状態だったから、いつ本格的な戦争が始まってもおかしくなかった。だが、互いにそう大きくはない町だ。戦争が始まれば、決着が容易につくだろうことはすぐに予測のつくところだった。
 その作戦は、いわば二つの町の存亡を賭けた賭けだった。俺たちが勝つか、西の町が勝つか。俺は例の予感のせいで、自分達が負けてしまうのだと信じて疑わなかった。俺は昔から、そういう事に関して敏感でな。臆病者だった。だが、それを決して他人に見せようとはしなかった。
 俺はその予感の事を誰にも伝えなかった。実際、伝えた所で無駄だっただろう。当時二十歳へ届くかどうかだった青二才が、悪い予感がするから奇襲はやめようだって? 誰がそんな言分を聞くもんか……。
 実際、奇襲は成功に終わった。思ってもない大成功だ。西の町は壊滅状況、更に、俺はその戦いの中で大きな手柄を立てた。その町の重役、物見のジジイとその娘を生け捕りにしたのさ。西の町の政は大体そのジジイがするまじないを元にやっていてな。その娘は舞を神に祈りを捧げることで有名だった。その二人を捕まえたんだ、もちろんその青二才は名声を得たよ。有頂天だった。なんだ、何が悪い予感だ。あんな予感はなんでもなかったじゃないか、ってな。
 だけどこの話で大切なのはそこじゃない。まだ続きがあるんだ。
 ……その頃、西の町へは一人の旅人が訪れていた。ボロのマントを羽織っていて、俺がそいつを見つけたときも、始めは物乞いだろうと思っていた。しかしあろうことか、そいつが俺に向かって声を掛けてきたんだ。……戦争中だぞ? それでもそいつの声は穏やかだった。
「何故あなたは刃をふるうのですか」
「わからない。恐らく自分のためだろう。奴等が死ねば、俺たちの部族は栄える事ができるから」
 聞いて、奴は笑った。
「わからない……面白いことを言うのですね。では、何故あなた方は自らを栄えさせようというのです」
「……一体何が言いたいんだ?」
「私はただあなたに問いたいのです。何故? 何故です? と」
 俺は段々腹立たしくなって来ていた。こんな所で時間を無駄にするわけにはいかないのに、こいつは一体何を口走っているんだ? もしやこれは何かの作戦ではないか? それなら奴の仲間が、今ごろどこか家の陰に息を潜めているのでは……
 俺の心は焦りつつあった。そうして無自覚に、自分の腰に帯びた剣の塚に手を掛けた。
「あなたは私をも殺すのですか? 何故。何のために」
 俺は答えなかった。ただ、そのかわりに刃をきらめかせたのみだった。
 
 それは夕刻のことだった。忘れもしない。夏が終わったばかりの黄昏時だ。空にはちぎり雲が浮かんで、地に埋もれかけた太陽が尚も死にかけの光を零していた。日の明かりと夜の闇が共存する時間。そんな光の中で俺がさし殺した人物というのは……紛れもない、俺の先代時計の守り人だったんだ。

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