旅の歯車


065 : 亡国の騎士

 扉の中は野原だった。いや、この場合「扉の中」と言ってもいいのだか、あるいはこの場所を野原と言っていいのかは甲乙つけがたい。ともかく少年が扉をくぐると、そこには一面の野原が広がっていた。
「扉は残っているのに……」
 言った少年の背後にはたった今くぐり抜けて来た扉が。その向こうには変わらぬ遺跡の姿が広がっている。
「これは過去の遺物ではないんですか?」
「違うと思う。でも……ただの野原に迷いこんだっていうわけじゃ、なさそうだ」
 そう言った少年の視線の先には野原がある。しかしそれも、もはや先程の野原ではなくなっていた。
 木が芽を出し、恐ろしいスピードで成長を遂げ、大きな動物が小さな動物をくらう。やがて逆に、小さな動物に食らわれる。一つの生き物が生まれ、生き、いつかその血も耐えていく。少年の見ている前で、大きな牙を持った動物へ槍が投げられた。……人間が現れたのだ。
 ふと吹いた風に、扉が閉じられた。少年はチラと一度だけそれを振り返ったが、仕方なしに歩き始める。少年の目の前ではすでに小さな村が町になり、賑やかな声が聞こえてきていた。
「行ってみよう」
 
 その町がどこであるかはすぐに知れた。この通り、この家の作りは…
「遺跡の町…」
 間違いない。そこは今し方、少年らの通ってきた遺跡だった。
 町へ入ると時の流れは急に穏やかになり、道を行く人々はお互いに立ち止まって話をし、市を開いて威勢よく商品を売りさばいている。
 少年が狐につままれたかのように町の様子を見物しながら歩いていると、急に町の反対側から、一人の男が群がる群衆の中を号外号外、と叫んでやってきた。
「我らが『偉大な騎士』達が、ついに野蛮人どもの町を打ち取ったぞ!」
 その報告を聞いて人々は沸き立ち、思い思いに町の入口へと走り去った。少年もその流れに押されてついて行ってみると、地平線の遠くから馬に乗った男達がやって来るのが見える。
「お帰りなさい!」
「これでもう、あの町に怯えずにすむ! 更に交易の範囲を広げられるぞ!」
 町人達の話を聞く限り、どうやら馬に乗ってやって来た彼らが『偉大な騎士』であるらしい。
(この町が栄えていた頃の、英雄か――)
 街道を行く顔ぶれをぼうっと見ていた少年は、その中に知った顔を見つけて驚いた。驚いたどころではない。一瞬自分の目を疑って、それが見間違いでも何でもない事に気づくと、弾かれたかのように人々を押しのけ押しのけその人の乗った馬を追った。しかし人の群れはそれを妨げるかのように立ちはだかり、なかなか進む事が出来ない。
「……せぃっ…!」
 少年はその人物に向けて、あらん限りの声を張り上げた。
「……先生ッ!」
 途端に、聴力を欠いてしまったかのようにあたりがシン、と静かになった。といっても町衆達がいなくなったわけでも、少年が町の外へ出たわけでもない。ただ、馬に乗っていた人物のうちの一人が少年の方へ振り返り……
 
 気づくと、少年は夜の町を見下ろす具合に佇んでいた。立っている場所は小高い丘の上で、町ではどうやらお祭り騒ぎが為されているようだ。人々がなにやら騒いだり、酒を飲んだりしている様子が伺える。
「やっとここまで来たんだな」
 少年の背後で突然声がした。振り返った先にいたのは、相変わらずの冷笑とも苦笑とも言えぬ独特の笑みを顔に浮かべた男だった。
「お久しぶりです、先生」
 少年は出来る限りの落ち着いた声音で、言った。
 目の前にいるのは少年のかつての師、先代の時計の守り人である。……とはいえ、相手は少年の見た事もないような衣服に身を包み、剣を帯刀していた。何より全体的に雰囲気が若い。少年の思考を察したようで、相手は苦笑の色を強めると、丘に腰を下ろして少年にもそれを勧めた。
「久しぶり……確かにお前にとってはそうかもしれないな。……おい、俺が死んでから何年経った?」
 不思議な問いではあるが、少年は少し考えて、答える。
「恐らく、十五年程」
「そうか、まだそんなものか」
 相手はそう答えたが、大して気に止めた様子はない。少年はおそるおそる隣に腰を下ろすと、逆に質問を返した。
「先生は……いえ、あなたは先生、ですよね?」
「今更何を。お前がそう呼んだんだろう」
「それじゃ、これは一体何なんです? ここは一体? それに、どうして先生が?」
「まあ待て、一気に質問されてもな。……それに、お前が本当に聞きたいのはそんな事じゃないだろう?」
 言われて少年は押し黙った。そう、質問はこの程度ではない。もっともっと、聞かねばならない事があるのだ。
「まず、この場所と、今の俺のことだな。……簡単に言うと、この場所も、俺も、俺本人の記憶の産物だ。実際の世界には物理的に存在しない。……ここは、いわば俺という存在が遺した記憶の世界だ」
「記憶の……世界? それじゃあ僕は今、先生の記憶の中に入ってしまっているということですか? だけど、どうやって……」
「過去の遺物の事を少し研究してな。あとは……」
そういって先代守り人が見せたのは、黒光りする何かの付いたペンダントだった。
「それ、まさか!」
「ご名答。これの力も、少し借りている」
 先代守り人はペンダントを大事そうにしまうと大きく息を吸って、そのまま全て溜め息にした。
「本当はここで、時計の事だのなんだのをお前に教えようと思ったんだがな。今色々起きているだろう? 時計が壊れたり恐ろしげな女が出てきたり」
「恐ろしげな……? それは、わかりません。だけど先生、やっぱりそのことを知ってるんですね?」
「ああ、そうさ。そのことも説明しなきゃならないな。……説明か。めんどくせえな……」
「説明するって言い出したの、先生じゃないですか」
「そうとも。俺はそうするようにプログラムされた記憶上の人物だからな。……ああ、でもめんどくせぇ」
 彼はそうしてよっこいしょと立ち上がると、少年を見下ろし、難儀そうに話し始めた。

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