旅の歯車


062 : マント

 ある朝ひばりが目を覚ますと、珍しいことに少年が既に起きて、何かを始めていた。いや、朝というにはまだ早い、夜明け前のことである。
 ひばりは巣の代わりにしている少年のタオルから這い出ると、近くの樹の枝まで飛んで声を掛けた。
「なにをしているんです?」
 顔を上げた少年は手にナイフを持って、マントを相手に格闘していた。一見してかなり奇怪な行動である。少年は自嘲気味に笑って、傷のある自分の首筋をなでると、昨日までその傷を隠すように巻かれていたマントを見下ろした。
「要らなくなった……からさ、もう少し小さく切って、君の寝床にしようと思ったんだ」
 ヒバリはあきれ返って少年の肩に降りると、少年の頬を嘴で突っ突いた。
「もう、なにやってるんですか! 私はあのタオルで十分です。大分南下して来たとはいえ、この辺りはまだ寒いんですよ? あなたなんてすぐに風邪ひきです」
 聞いて少年は苦笑する。
「そうかもしれない。だけど、僕にもうマントは要らないんだ。隠さないように、隠してしまわないように、これはもう使わないことにしよう、って思って。僕がこれからどういう道を選ぶにしろ、僕は……もうこの傷を、隠すべきではないから」
 少年の首から胸にかけて走っている、黒ずんだ傷。少年の師がつけたこの傷は、今でも毒々しい色をもって、少年の肌に居座り続けている。
「守り人の役目を受け継いだ時にできた傷……でしたね」
「そう。この傷から守り人の力や、最低限の知識が入って来た。守るべきはずの時計からはなれた今となっては、この傷が一番、僕に自分の役割を思い出させてくれる。……塔の姫神子が言ったように、世界の変動が既に始まっているのなら……僕はそれを止めるために、もう何からも逃げちゃいけない」
 少年ははっきり、止めるという言葉を口にした。
「僕はこの世界を残したい。壊してしまいたくない。時計が壊れた事で世界に異常が起こり始めたなら、僕はそれを止めたいんだ。僕がそれを止めるんだ」
 以前海賊の島の守り人に言われた言葉が、少年の脳裏によぎった。
 ――世界は、変化を好まない。だから『世界の心』は、生まれた文化が世界を変えるほどの力を持ってしまったときに、その文化を消し去ってしまうの。
 ――あなたはまだ若いようだけれど、そうね、一度文化の変化を見てみれば、きっと私の言ったことがわかるようになるわ。
「文化を消すこと、残すこと……どちらが正しいのかなんて、今の僕にはわからない。……だけど世界に、この文化を消してしまう力と権利があるのだとしても……それはきっと、今じゃない。時計の事は僕の責任だ。そのせいでこの世界を変容させてしまうなんて、そんなのは駄目だ。絶対駄目だ。だから……だから僕は、『世界の心』に会いに行きたいと思う」
 少年は言う。
「秒針のかけらを全て集めて、『世界の心』を探しに行く。この世界を変容させるのは、まだ早いと言いにいくんだ。そして時計を直して、元いた場所へ帰る。初めはかけらさえ集め終えれば大丈夫かと思ったけど………」
 少年は自分の剣を手にとって溜息をついた。刀身までが真っ黒に染まったその剣は、艶やかに朝日の光を受けている。
「多分、それだけじゃ駄目なんだ」
「じゃあ、これからはかけらを捜しながら世界の心も……?」
「……いや、残りのかけらがどこにあるかはわかってる。多分破壊者のところだ。この剣に触れると解るんだよ。僕はまだ全てを理解する事が出来ないけど、塔の姫神子が言ったとおり、この剣は色々な事を教えてくれる。――これから僕は、世界の心を探しに行く。きっと破壊者にもその途中で会うだろう。向こうも、僕の持っているこの剣をほしがっているみたいだからさ」
 少年はもう一度ナイフに手をかけると、マントの破れた部分から一気にそれを切り裂いた。
「これくらいの大きさなら、ちょうどいいかな」
「世界の心のいる場所、見当は……?」
「全くついてない。だけど、きっと会える。大丈夫だよ」

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