旅の歯車


053 : 真珠一粒

 少年らが海賊の島を探索していると、不意にヒバリが鳴き出した。
 ヒバリを追いかけていくと、そのうち二人と一羽は島を取り囲む砂浜へたどり着いていた。何があるのだろうと辺りを見回していた詩人が、思わずあっと声を出す。
「……人が倒れてる!」
 入り江でうつぶせに倒れていたのは、一人の男だった。
 
「助かったよ、二人とも」
 泉から汲んできた水を飲みながら、男は静かに微笑んだ。
「どうしてあんなところへ倒れていたんです?」
 少年が尋ねると男は少しだけ怪訝そうな顔をして、ため息をつく。
「……わからないんだ」
「わからない?」
「ああ、君たちに出会う前の記憶がないんだ。ただ……この白い珠だけは、ずっと握りしめていたように思う」
 男がそういって二人に見せたのは、たった一粒の――けれども見たこともないほど大粒の――真珠だった。
「これ……真珠?」
「ああ、そうみたいだな」
 少年と詩人は少し顔を見合わせて、男と同じようにため息をついた。
「記憶喪失……か」
 男は申し訳なさそうな顔をして少年達を見ていたが、終いにおずおずと話し始める。
「すまない、頼みがある。……私が倒れていたときの事を話してもらえないか? どうして記憶を失ったのかはわからないが、どうしても思い出さなくてはならない事があるような気がするんだ。何故そう思うのかは分からない。だが……この真珠を見ていると、そんな気になる」
 二人は頷いて、男を見つけたときの少ない情報や、この島の事をいっさい話した。途中で詩人とヒバリは男の倒れていたところに何か無いかを探しに行き、帰ってくるなりこういった。
「浜辺近くの崖の上に、足を滑らせたような跡があった。まだ新しいみたいだし、多分あなたのじゃないかな。もしかしたらそこから落ちたショックで、記憶が混乱しているのかもしれない」
 男はそうか、とだけ答えた。少年はふとある事に気づいて、男の上着を指して尋ねる。
「その上着、布地は黒いのにボタンは色々なんですね」
「本当だ。自然にはとれないような部分のボタンまで、取り替えた跡がある。私か、それとも他の誰かが、元あったボタンを何かに使ったのか?」
 その様子に詩人は何かに思い当たった様子で、一瞬視線を泳がすと、心得た手つきでリュートを構えた。
「何するんだい?」
 少年が尋ねると、詩人は悪戯っぽく笑う。
「君は確か、人を捜しにこの島へ来たんだったよな? それをふと思い出して、ちょっと思ったんだ。黒いボタンって、人形の目を作るのにちょうどいいと思わないか?」
 少年ははっとして男を見た。男はわけがわからない様子で詩人のリュートを見る。
「遠き昔の音の奥に、伝え伝わる物語――」
 詩人がそうして吟じたのは、とある勇者の物語だった。少年が成り行きで演じる事になった、勇者と魔王の話である。男はそれに聞き覚えがあったのか、食い入るように物語を聞いている。詩が終わりに近づく頃には、男は両の目から涙を流していた。
「――ああ、そうか」
 男はつぶやいた。
「だから俺は……」
 男は記憶を取り戻したのだった。
 
 島から戻ると、港で子供達のはしゃぐ声が聞こえた。
「さぁ行け、勇者! 魔王を倒すのよ!」
 子供達の輪の中で、一人の女性が威勢良く物語を語っている。詩人はそれを見て頬を掻いた。
「すごいなぁ、あの人。俺、この前「花売りの娘」みたいだって言ったけど、あれ、取り消しにしてくれよな」
 男は子供の観客に混じって一瞬微笑むと、次の瞬間、声を張り上げてこう言った。
「勇者よ、本当にそれで私を倒せるなどと思っているのか!」
 一瞬の静寂。そしてその後すぐに、子供の大歓声が響き渡る。
「がんばれ勇者! がんばれ!」
 勇者の人形を持った女性は唖然とした様子だったが、男が再び笑って見せたのを見て、弾かれたように彼女も笑った。
「勿論! 僕はそのために来たんだ。さあ、降参するなら今のうちだ。魔王め、覚悟!」
 劇が終わると、拍手が役者二人を包んだ。その拍手の中、男は少しはにかんで、自分の持っている唯一の宝を、勇者が海賊の島から持ち帰った唯一の品を、女性に手渡している様子だった。少年と詩人も同じように拍手して、役者達がまだ小さなお客に囲まれている間に手を振ると、歩き出した。
 役者の男が、声を張り上げて言う。
「ありがとう! ……ありがとう!」

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