旅の歯車


041 : 吟遊詩人

 森の奥から、不思議な旋律と、強い歌声が聞こえてきた。
 その正体はわからなかったが、惹きつけられるようなメロディーに追い立てられて、少年は森を歩く。しばらく行くと、少し拓けた土地に出た。
 遺跡の様な場所である。朽ちた建築物があちこちに倒れ伏し、いびつな形を見せている。例の海賊がどれほど前にこの島を利用していたのかは定かでないが、もしこれを作ったのがその海賊達だとしたら、随分古い時代に栄えたもののようだ。
 そんな中、歌声の主はなんの障害もなくあっさりと見つかった。
 白い、裾の長い外套を羽織った人物が、弦を張った楽器を奏でて歌っている。内容はどうやら、この周辺を根城にしていた海賊の物語のようだ。
 
 
春、花の色は足下を照らし
佳人、砂の流るるままに身を任す
この弦の震えはどこから来るのか
この弦の震えはどこへ行くのか
答えを知るものは誰もいない
歌人になすべき事があるなら
それはこの詩を紡ぐことだけ
 
遠き、遠き
遙か東の果てのことを
覚えているのは誰だというのか
遠く、遠く
名も知られない彼の人を
呼んでいるのは誰だというのか
 
赤き心を燻らせ、彼はその日を待っていた
知る人が呼ぶその時を
知る人が待つその場所を
 
ああその昔、時の果て
ある少年の成したこと
唄にこうしてのせるには
あまりに小さな物語
 
少年がもつは多くの名前
一人の時は無音坊
ミルク売りには働き者で
けれど彼には何も残らず
その日手にしたひとかけのパンにも
支払う物はなにもない
 
少年の持つ名前は増えた
盗人、どろぼう、どぶ鼠
それでも彼は待っていた
いつか手にする愛の言葉を
 
生まれたときから彼の前には
愛のかけらも用意されずに
立って歩けるようになると働きに出され
そこで知ったのは鞭の味だけ
 
母を求めて
愛を求めて
彼は屋敷の柵を越え
三つの丘と二つの山と
しまいに大きな平原を越え
一つの町にたどり着いた
 
彼を迎えたのは歯がゆい思いだけ
母の行方を知ることもなく
愛の言葉を知るすべもなく
彼の名前は増えていった
 
いつしか彼は船に乗り
戦友たちと海を渡り
そうして金銀財宝と
ほんの少しの満足感を、手に入れた
戦いの日々に飽くこともなく
人々からは宝を奪い、命を奪い
しかしそれでも彼の心は
求めたものを探しつづけた
 
やがて彼は船を去り
自分のことを忘れてしまった
少年の頃の躍動はなく
ただ疲れに萎えた体をふるわせ
彼は一艘の船に乗る
それはちいさなおんぼろ船で
彼を長とした帆船でもなく
彼以外の乗組員も
ほんの少しの食料でさえも
少しも乗ってはいなかった
そしてちいさなおんぼろ船は
小さな島へとたどり着く
 
彼は何もしなかった
食べることをも眠ることをも
彼は自分が人間であることを忘れたかのように
ただそこに横たわって
幸運が降って湧くのを待っていた
何をするにも疲れ果てていた
 
できることはしたはずだった
何かをしても駄目ならば
何もせずに待っていようと
ただこの胸のじれるのを
どこか遠くで見守って
救われる日を待っていようと
 
彼は待った
待つだけだった
何も考えることができなくなった頃には
彼の体は塵に還っていた
それでも心は待っていた
 
いつかその島にも人がおとずれ
彼のわたった小さな海を埋め
広い大地で人々は自らの命を燃やした
彼は人々を見守ったが
それも長くはなかった
自分が待ち望んでなお手に入らなかったものが
ここにはある
自分以外の人間がそれを持って
ここにこうして生きている
彼は怒った
その島が海に沈むまでに
大した時間は要さなかった
 
島の最後のひとかけが沈む頃
一人の女がその場所で
やせ細った身を震わせて
天に祈っているのを彼は見つけた
女の後ろには小さな子供がいて
彼女の祈りはもっぱら
自分のためのものではなく
そうしてそれを聞いているうちに
彼は求めていたものを垣間見た気がした
 
島が海に飲まれた後に
彼はついに命を絶った
 
時は過ぎ去り、いつかこの大地に新しい命が生まれ
それはいつの日か自らの羽で空を飛び
天から大地を見下ろして大きな愛の形を知った
そうして最後に自らの心で
自らのための愛を探しに出かけていったのだった
 
彼の行方を知る者がどこにいるだろうか
どこにもいない
だれもいない
けれど知ったところでどうだというのだろう
こんな小さな物語の
一人の男の行方なんて
 
 
 弦を操る指の動きが止まった。少年が思わず拍手をすると、長い外套を羽織った人物は驚いたように顔を上げる。
「凄くいい声だね。どうしてこんな、人のいない場所で歌っているの?」
 外套の人物は男性だった。表情にはまだ幼さが残っているが、ひょろっと長い身長が、なんとなく少年よりも大人びた感じを見せている。
「練習中なんだ。俺にリュートの扱い方を教えてくれた人に、曲を完成させるまでは絶対客に聞かせるな、ってきつく言われているし」
 言って彼は苦笑した。
「さっきは拍手をありがとう。だけどまだ、全然だっただろ?」
「そんなことないよ。その……リュート? の音も綺麗だったし、さっきも言ったけど、声も凄く良かった。……なんて、僕はあんまり歌を聴いたりすることって無かったから、偉そうなことは言えないんだけど」
 リュートを持った青年が荷をまとめる間、少年は近くの瓦礫に腰掛けて、その様子を眺めていた。
「ところで、さっきのはなんていう歌なの?」
 少年が頷くと、彼は一瞬戸惑うようなそぶりを見せて、首を傾げた。
「そういえば題名……結局わからないなぁ」
「どういうこと?」
「いや、さっきの曲は例のリュートの先生が教えてくれた曲なんだけど……この島にきたのもその先生の一言がきっかけでね。唄を唄うにはその曲の生まれた場所と、その詞の書かれた場所を訪ねろ、って。そうじゃなければ絶対に、満足できる唄なんて唄えないって言われてさ。曲の題名も聞こうとしたんだけど、それは唄うべき場所で唄えばわかる……とか。変なところにこだわる人なんだよなぁ。横柄で人使いは荒いし。奥さんや娘さんには甘いのに」
 彼が愚痴交じりにぶつくさいうのを聞きながら、少年は自分の師のことを思い出していた。
 ルーズな性格をしているのかと思いきや、時計の整備にはやたらとうるさい。職人とはそういうものなのかもしれない、と、適当に理由付けてみる。
「それじゃ、君はその歌を練習するためにこの島へ?」
「そう。君は? この島の宝を探してるのか?」
「ううん、僕は人探し。海賊が遺したものにも、多少興味はあるけどね」
 聞いて、リュートを持った青年は安堵の笑みを浮かべた。少年も時たまこの島で人を見つけるたびに思っていたのだが、この島へきている冒険者というのは大半が腕に自信あり、といった感じの強面の人物ばかりで、近づくにも近づけないのだ。その上こちらは一人となれば、それはなかなか心細い。
「そうだ、まだ題名がわからないなら、君はもうしばらく島を探索するんでしょ?」
「うん、そうだな」
「それなら、僕と一緒に行かないか? 僕にも昔、横柄で人使いの荒い先生がいたから、君とは話が合いそうな気がするんだ」
 少年が笑うと、相手も笑顔で頷いた。
「よろしく」
「……ところで、ごめん、一応聞いておくけど、君は普段、人形遣いをやってる……なんていうことはないよね?」
「うん? いいや、違うな。残念だけど、俺はただの吟遊詩人さ。君は?」
「そっか。……ええと、僕は……」
 少年は少し躊躇って、こう答えた。
「僕は守り人。こちらこそよろしく」

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