旅の歯車


038 : 勇者と魔王

「さあこい、魔王め! 僕はどこへも逃げないぞ!」
「くくく、愚か者が。おまえのような子童に、私が倒せるものか。勇者め、覚悟しろ!」
 
 子供達の歓声が聞こえる。「頑張れ勇者!」「魔王なんかに負けるな!」
 箸のような剣がぶつかり合って、終いに魔王は倒された。
 
「ぐ、ぐう……よくも………」
「参ったか!」
 勇者はたかだかと剣を振り上げ、綿で出来た魔王にとどめを刺す。
 
 ――少年は疲れ切った表情で、手に魔王の人形を掴んだまま広場のベンチに腰掛けていた。広場の中央ではまだ興奮さめやらぬ子供達が、勇者と魔王の物語について語り合っている。
 子供のうちの数人が少年の所へ駆けていって、怖々と魔王の人形をのぞき込んだ。
「ねえお兄ちゃん、魔王はもう……動かないよね?」
 聞いて少年は意味深に笑うと、ばっと人形を起こし、その腕や足についた棒を動かした。
「くくく、あの程度でやられる私ではないわ……」
 低く笑うと途端に子供達は一歩退いて、顔をこわばらせる。その時ぱっと一人の女性が走ってきて、勇者の人形を持ち上げ、その剣で魔王を叩いた。魔王はあっけなく、倒れる。
「子供達を脅かすな、魔王め!」
 それからついでにというように、少年の頭も軽く殴る。
「いてっ!」
「わーい! また勇者が勝った!」
 子供達が去っていくのを待って、勇者の人形を持った女性は少年の隣に腰掛けた。
「さっきは痛かったよ、勇者」
「あら、ごめんなさいね、魔王さん」
 少年が不満げに言うのを軽く流して、その女性は言った。
「でも、突然だったのにつきあってくれてありがとう。急に一人でやることになって、困っていたのよ」
「ううん、どうせ暇だったから」
「そうね、広場でぼーっと座っていただけだものね」
「……、……、………」
 少年は視線で不満を訴えたが、彼女はくすくす笑って取り合わない。それどころか人形劇の小道具をいじりながら、こんな話を持ちかけた。
「あなた、何か目的のある旅の途中なの? あのね、もし良かったらの話なんだけど……。あなた、私とタッグを組まない? なかなか魔王、はまり役だったわよ」
「それは喜んでも良いものか……」
 少年は苦笑する。
「けど、君の本当の相方は? 『急に一人でやることになって』っていうことは、普段は他の誰かとやっているんじゃない?」
 女性はしばらくの間、黙っていた。その表情に影が降り立ったのを見て、少年も些か目を細める。どこからか、潮のにおいが風にのって流れてきていた。
「私のパートナーは、本物の勇者になっちゃったんだもの……」
「――?」
 本物の勇者になった、とは、どういう事なのだろう。少年が怪訝そうに顔をしかめると、女性は声を押し殺すように、一つ一つの言葉を噛みしめてこう話した。
「私は今までずっと、小さい頃からの幼なじみと一緒に旅をしていたの」
 幼なじみ、という言葉に、少年は噛みしめるように瞼を閉じる。幼なじみ――そう、昔自分のそばにもいたことがあった。
「ずっと一緒に旅をしてた。何年も。人形遣いの収入は少ないからいつもお金には困っていたけど、それでも私、幸せだったわ。でもある日……。この先へ行ったところに、島があるの。別名、海賊の島とも言われる場所よ。……今では海賊はいないんだけど、その分危険な生き物が沢山徘徊してるって聞いた。彼はその島の話を聞いて――」
 彼女はもう震えたり、涙声になったりはしなかった。ただ、敷き床の一点を見つめて、告げる。
「行ってしまった。止めたわ。でも、聞かなかった。……馬鹿なのよ。海賊の宝をとって帰ってこれると思ってる。私に綺麗な服を買ってやるから、って、笑って言っていた。ごめんなさい。こんなこと、名前も知らない私に言われたって迷惑よね。だけどそれでも、聞いて欲しかったの。誰かに聞いて貰わないと、分からなくなりそうなのよ」
 少年は彼女から視線を逸らして、散歩から帰ってきたヒバリを肩にとまらせた。潮っぽい臭いがする。恐らく海の方を飛んできたのだろう。
「それなら、僕は必要ないね」
 少年が言って立ち上がると、女性は一瞬驚いた表情をして、それからふと、笑った。
「そうね。……私、信じて待ってみるわ」
 その笑顔を見て少年も笑う。少年が手を差し出すと、彼女はそれを握り返して、静かに力強く、立ち上がる。
「ありがとう。つまらない話につきあわせてしまって、ごめんなさい」
「いや、そんなことないよ。どうせ君に会わなかったら、ベンチでぼーっと座っていただけなんだし」
 少年は彼女に手を振って、彼女が広場から去るまで見送った。それから短くヒバリに目配せして、彼自身も広場を去る。向かった先は港だった。
「この先にある『海賊の島』へ行きたいんですけど、船は出ていますか?」
 数人の船乗りに同じ質問を繰り返して、やっとオーケーの返事を貰ったのは夕方になってからのことだった。
「あんたも秘宝目当ての冒険家かい? 血気盛んなもんだな。……まあ、あんたみたいなのがいるから、最近じゃ俺等も上手く儲けさせて貰っているがね」
 聞いて、少年は笑った。頭上でヒバリがこれ見よがしにため息をつくのがわかったが、それは気にしないでおくことにした。

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