旅の歯車


034 : 契約

「おまえに世界をやろう」
 何かが、一人の男に向かってそう言った。男は始め、何のことだかわからないまま首を傾げただけだった。それで済むものと思っていた。
 しかしそれが二日三日と続いたので恐ろしくなり、声から逃げるように、生まれ育った村を出ることになる。それでも声は止まらなかった。
「おまえに世界をやろう。この世界はもう駄目だ。世界は作り直されねばならない」
 声は言った。
「この世界は今に消える。しかし全ては消さない。だから、遺物を守る者が必要だ」
 男もその頃には、既にそれが何であるのかを知っていた。しかしそれでも、認めようとはしなかった。認めることは出来なかった。
 それは懇願だった。真実であってはならないという、男の誠実さから来る懇願だった。
「何故俺に、そんなことを言うのです」
「おまえは選ばれた。おまえは遺らねばならぬ」
「どうして俺なのですか。俺はただの人間で、何の取り柄もなくて……家族も、いるのだし」
 聞いて声は笑った。耳をつんざく、人間にはあるまじき笑い声だ。
「おまえにもう家族はいない。選ばれた者に家族は要らない。おまえは、」
 声が言う。男は聞くまいと耳を塞いだが、声は頭の中へ直接響いてきていた。
 そして男には、その時全てが見えていた。
「おまえは、新しい世界の時を司れ。おまえが世界を動かすのだ。おまえに世界をやろう。だからおまえは、遺るのだ。遺らねばならぬ」
 男に抗う術はなかった。
 そうしてこれが、今の世界の全ての始まりだった。

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