旅の歯車


028 : カーニバル

 町は賑わっている。
 町を行く人々は浮き足だって、いっぱいに笑みを浮かべながら少年の隣をすれ違っていく。そんな様子を見て、少年は何となく満足だった。
 歩くだけで体力を食うし、熱気のおかげで体が蒸し暑い。それでもこんなに気分がいいのは、恐らく人々の表情故のことだろう。こんなに大がかりな祭を見るのも、初めてだ。長いことはやらないと聞いたが、あとどれくらいなのだろう。どこか落ち着けるところをみつけたら、少しその辺りも聞いてみよう。
 しばらく行くとだんだん人通りも減り、そのうち少年は、大きな川に面した道に突き当たった。
 川といってもその幅は広く、対岸は肉眼ではほとんど見えない。それでもそれが川だとわかったのは、道の外れに舟渡しがいたからだ。
「すみません、この船はどこへ向かうんですか?」
「うん? ああ、よく勘違いされるんだが、これは大きな川なんだよ。この船は、その対岸へ行くだけさ。おまえさん、乗っていくかい?」
 少年はそれを丁重に断って、今来たのとは別の道で町へ帰ろうときびすを返した。
 振り返って間もなく、誰かと正面衝突をして、軽くよろける。相手は尻餅をついたようだった。
「すみません!」
 少年が慌てて手を出すと、相手は笑ってその手に掴まった。
「僕の方こそよそ見をしてて……大丈夫ですか?」
 そう言って立ち上がった人物は、少年よりも些か幼げだ。旅人ふうの荷物は背負っているが、衣類などにくたびれた感じはない。どちらかというと祭を見学しに来た、田舎町の領主の子供、といった感じだ。
「あなたも、川向こうへ?」
 聞かれて、少年は首を横に振った。
「君は、この川を渡るの?」
「はい。僕も、渡るのは初めてなんですけどね」
 胸を張ってそう答えた彼の目の内には、これからへの期待と不安が入り交じっている。
 彼も、これから長い長い旅に出るのだろうか。
「じゃあ、そろそろ。幸運への導きがありますように、旅行者さん」
 その挨拶は恐らくこの地域独特のものだったのだろうが、それを言った相手の顔は、とても頼もしく見える。
「幸運への……みちびき? が、ありますように」
 たどたどしい口調ながら少年もそう返して、右手を差し出した。相手もそれに会わせて、二人で固く握手をする。
 舟渡の元へ歩いていく相手の後ろ姿をしばらくの間目で追って、少年は彼に声を掛けた。
「一つ、聞いても良いかな?」
「なんですか?」
「いや、大したことじゃないんだ。あの……」
 どうしてわざわざこんな事を聞くのだろう、と、少年は思わず自問した。しかし、どうしても聞かなくてはならない気がする。どうしても、答えが聞きたかったのだ。
「どうしてわざわざ今日なんだ? 町では凄いお祭りをやっているし、何も焦って今日川を越えなくたって、良いじゃないか」
 聞いて、相手は微笑する。
「今日だから行くんです。……このカーニバルは、僕の旅のほんの幕開けなんです。僕はこれから旅に出る。僕自身のお祭りは、これからだから」
 少年も微笑した。あの目の持ち主にふさわしい返事だ。……そうか、これが聞きたかったのか。
「ありがとう。わざわざ呼び止めてごめん。……頑張って」
「そちらも」
 これほどのカーニバルでも、彼にとってはほんの幕開けに過ぎないのだ。あの目を見た後ならば、確かにそれも頷ける。
 少年は祭り騒ぎを背に、進んでいく船を見送っていた。

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