旅の歯車


027 : 旅の仲間

「ねえ、聞いた? 南の方でまた紛争ですって」
 甲高い声がした。その直後、しわがれた聞き取りづらい男の声がする。
「ああ、そうらしいな。しかし俺たちゃここから他の所へなんぞ行かないんだ、人間達の馬鹿ないざこざになんざ興味はねえさ」
 おそらく、先が川鷺、後が蛙だ。少年は黙って話を聞いていた。
「それに比べて」
 この声はうさぎだ。
「西の方ではカーニバルをやっているとかで、人も鳥もうきうきですって。すごいらしいのよ、町の大通りをたくさんの人間が不思議な服を着て、歩き回るの。ちょっと音がうるさいそうだけど」
 少年は南へと行きかけていた足を止めて、話にもう一度耳を傾けた。
「私も行きたかったわ、でももう何日もやっていないらしいし……」
 決まりだ。少年はさっさときびすを返すと、足を西へと向かわせた。その様子を見て、肩の辺りを飛び回っていたヒバリが言った。
「やっぱり、私たちの言っていることがわかるんですね。それなのに、どうして私の呼びかけには答えてくれないんですか? 私は、あなたとお喋りがしたくてしょうがないのに。あなたがいつもそうだって事は知っていますよ。相手が例えあなたと同じ人間でも、必要がなければあまり話そうとしませんね」
 少年はやはり、答えなかった。
「ねえ、寂しくありませんか? 私は確かに、口数が多すぎる、ってカラスさんにいつも怒られていましたけど、あなたは喋らなさすぎです。折角優しい心をしているのに」
 ヒバリにそんなふうに言ってもらえるなんて、人間としてはまたとない機会だろう。そうは思ったが、少年はやはり何も言わなかった。しばらくすると針の欠片が見つかった。ほんの小さな欠片だったが、それでも少年は見逃さなかった。
「ねえ、それは何ですか?」
 やはり答えない。終いにはヒバリも諦めたのだか、それとも腹を立てたのだか、もう何も言わなくなった。
 夕方頃になって、一人と一羽は小高い丘の上に到着した。地平線を太陽が照らしだす。何にも勝って、美しい。
 しばらく風に遊ばれるままになっていた少年が、ふと口を開いた。
「寂しい、のかなぁ……?」
 ヒバリは少し驚いて、それから静かに、彼の指しだした右の手の指にとまった。
「寂しいのかなぁ。……僕は今まで、十何年もあの時計の前で、独りぼっちだったんだ。はじめは確かに少し、少しだけ寂しかったかもしれない。だけど、最後に僕をおいて逝った人があんまり幸せそうに死んだから、それもそんなに長くなかった」
 彼は少年に全てを遺して、何も持たずに死んでしまった。少年はあの時、確かに全てを受け継いだのだ。守護者としての仕事も、力も、責務も。
「それまではずっと二人でやっていた仕事を、初めて一人でやった時。話す相手がいなくて、自分が話し方を忘れていたことに気づいた時。あの時に感じた感情が、もしかしたら寂しいというそれだったのかもしれない。でも……やっぱり僕にはわからないんだよ。わからない。わからないよ」
 ヒバリは何も言わずにその瞳をのぞき込んでいた。少年はその羽を軽くなでつけて、笑う。笑ったけれど、その頬には涙が流れた。そういえば最近、そういうことが多くなった。前は涙など、無いも同然だったのに。
「涙って温かいんですね」
 ヒバリが言った。
「涙って、温かいですよ。涙は嫌なことを流してくれるし、それに頑ななものを溶かしてくれます」
「そうかな」
「そうですよ」
 ヒバリの言葉には心がこもっていた。
「でも、自分の心がわからないんだ」
「わからなくなったらいつでも言ってください。言葉に出して、誰かに言って初めてわかる心もあるでしょう? 私はいつでも聞いてあげられます。だって、一緒に旅をしていくのですから」
 少年は深く頷いた。一人と一匹は、そこで眠ることにした。
 
 翌日ヒバリが目を覚ますと、早起きなヒバリより更に早く少年が活動を始めていた。今までにはなかったことである。
 少年が地面に引いていたマントの上には、一房の木の実が置いてあった。ヒバリが訝しんでいると、少年は無言でそれを食べるようにと促した。マントの上は歩きづらかったが、ヒバリは素直に、それをついばむ事にした。
「これ、ありがとう。急にどうしたんですか?」
 少年はやはり喋らなかった。ヒバリは呆れたようにそれを見て、内心で、「昨日のことは夢だったんじゃないだろうか」と考えていた。

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