旅の歯車


025 : 剣

 ある町での出来事だ。
 少年が町の路地を歩いていると、不意に後ろから声をかけられた。
「物騒なものを持ってるじゃないか、ボウズ。なんだ? そんななりで剣士のつもりか? それとも、これからお友達と勇者ごっこかい?」
 少年は少しむっとしたが、いちいち構っているわけにはいかない。無視をして通り過ぎようとすると、今度は腕を捕まれた。
「まあ待てよ。ちょっと俺につきあわないか?」
 相手はまだ、顔に幼さの残る青年だった。外見だけで言えば、年齢も少年と変わらないだろう。そう言う青年も、腰に剣を携えている。一体何の用なのだかはわからないが、とりあえず腹が立つことだけは確かだ。早くここから立ち去って、さっさと宿へ戻ろう。
 少年が無言でじっと見ていると、相手はようやく手を離した。そうして少年が立ち去ろうとするのをまたとどめる。先ほどと違ったのは、今度は剣を抜いたという事だった。
 彼は剣を抜き、刃を下に向けて腕を上げた。
「行くなら、こっちを通っていきな」
 要するに、剣の下をくぐれと言うのである。下を通った瞬間に剣を振り下ろされれば、一巻の終わりだ。
(何がしたいんだか)
 少年はしばし無言でその剣を見つめていた。手入れのなっていない剣で、血の付いた後もない。飾りもののつもりだろうか。
「どうした、怖じ気づいたか?」
 男が言った。少年は、自分の待っていた者が来たのを感じて歩きだす。少年が剣をくぐりかけた瞬間、男の肩にたった今飛んできたヒバリの糞がかかった。彼が狼狽えた間に、少年は剣の下を通りぬける。
「ま、待て! あーっ、失敗だ。もういい! ともかくおまえ、自分の剣を抜け! 俺と勝負だ!」
 彼の言っていることは支離滅裂だ。少年は呆れたように溜息をついて、自分の剣の柄に手をかける。そうして、精一杯冷ややかに、できれば脅しに聞こえるように、低い声でこう言った。
「僕に剣をとらせて、――本当に、後悔しない?」
 二人の間に、冷たい空気が流れた。
 
「いやー、あっはは。脅かすなよ。本気でヤバい事、しちまったかと思ったぜ」
 二人は近くの喫茶店で茶を飲んでいた。こういう店は大抵お高くつくので普段の少年ならば絶対に利用しないのだが、今日はこのよくわからない男のおごりである。食べたいだけ好きなように食べてやろうと思っていた。
「先に喧嘩を売ってきたのはそっちだ。それより、一体どうしてあんな事を?」
 少年が尋ねると、彼は自分の頭を掻く。それから面目ないといった感じで、一言。
「剣が見たかったんだ」
「剣?」
 彼は頷く。
「剣を見たかったんだ。だから挑発したりしてさ。大抵のやつは怒って、すぐに剣を抜くんだぜ。おまえは、子供のくせに大人だなぁ」
「それで、相手が挑発に乗って襲いかかっていたら、君は勝てるの?」
「いや、まず無理だな。そういうときは剣だけちょっと見て、逃げる。逃げ足なら負けない自信があるからさ」
「――そんなに危険を冒してまで、なんでわざわざ剣なんてものが見たいんだ?」
 少年が聞くと、初めて彼は表情を変えた。いや、先ほどと傍目には変わりないのだが、なんらかの決意が潜んでいるのが伺える。
「剣を捜してるんだ。……親父の形見の剣さ。親父が殺された時、その犯人が持っていった」
「……よくいう、「敵討ち」ってこと?」
「そう。だが肝心なカタキが誰なのかわからない。困ったもんだよな。……けど……」
 聞き逃してしまうような小さな声で彼は言う。
「見つけたら、必ず俺が殺す。たとえ、差し違えてでも……」
 少年は何も言わずにそれを聞いていた。スープに手を伸ばしたが、いつのまにやら冷えてしまっている。
「なあ、そういうわけだからさ、おまえの剣を見せてくれよ」
「まだ、僕を疑ってるの?」
「やだなぁ、一応だよ、一応。」
 少年が渋々手渡すと、彼はそれを見回して尋ねた。
「変わった剣だなぁ、刀身まで真っ黒だ。これ、一体何でできてるんだ?」
 聞かれて思わず、少年は首を傾げる。
「何でできてるんだろう」
「知らないのか?」
「考えたこともなかった」
「ふうん、変な奴」
「それは、君の方だろ」
 少年が言う。二人は顔を見合わせて、同時に吹き出した。
 
 町に滞在して三日目の、夕方のことだ。少年を追うように飛んでいたヒバリが妙な鳴き方をするので、少年は表通りから路地裏へと入っていった。
(――嫌な予感がする)
 そしてそれを裏付けるかのように、つんと鼻をつく臭いがする
 血の臭いだ。道の奥から、声がする。
「あの男に息子がいたとはな。敵討ちとはかわいいもんだ。しかしなぁ、そんななまくらな剣一本で、俺にかなうとでも思ったか? ……なめた真似をしやがって。そういう馬鹿は、おまえの父親の剣で……殺してやる!」
 剣が振り下ろされる直前に、少年が自分の剣でそれをくいとどめた。しかし剣を振り下ろしたのは胴回りだけでも少年の何倍もあろうという巨漢である。少年は肩で息をしながらそれを押し返し、足下に横たわっている先日の青年を揺すぶった。
「しっかり……!」
 まだ息がある。少年は安堵の息をつき、すぐに巨漢へ振り返る。
「なんで……おまえがここに……」
「喋らないで!」
「これは、俺の用だ。おまえは……逃げ……」
「友達を見捨てて? 冗談じゃない!」
 言って、少年は自分の発した言葉に驚いた。……友達? 一体、誰が。
「ガキが、俺の邪魔をしやがったな?」
 巨漢がわめく。しかし、少年にはそれを恐れる気など全く起こらなかった。
「彼の父親を殺したのは、おまえか? その剣を盗んだのも?」
「おお怖い。もしそうだったら何だって言うんだ? その馬鹿なガキの代わりに、敵でも討つつもりかい? 立派な剣を持ってるじゃないか。どうだ、抜いてみな?」
 少年は迷わなかった。柄に手をかけて一言、冷ややかに。
「僕に剣をとらせて、――本当に後悔しない?」
 今度は、脅しでも何でもなかった。
 
「なんだ。おまえ、本当に強かったんだ。はは、すげーな……相手は大人なのに」
 誰の目も向けられることのない路地裏に、二人の人間が倒れていた。一人の人間のすぐ隣には、同い年くらいの少年が座り込んでいる。
「悪いな、変なことに巻き込んじまって」
 少年は静かに首を振った。目の前にいる自分の友人が、もうほとんど虫の息だということがわかっていて、だからなんともいえない孤独感で心がいっぱいだったのだ。
「さすが、旅なんかやってる奴は違うなぁ……。俺もそのくらい強けりゃ、自分でケリをつけられたのに。……でも、いっか。もう親父の剣が、わけわかんねー奴に使われることも、もう無いもんな。……俺なんかが敵討ちなんて……できるわけねーと思ってたし」
 聞いて、少年は奥歯を噛みしめる。心に込み上げてきた何かをこらえるために、そうせざるを得なかった。
「だったら……どうして、一人で行ったんだ。なんで、敵討ちなんかしようと思ったんだ……」
「弱い奴には、敵討ちをする権利もないって事か?」
「そうじゃ、ないだろ!」
 半ば叫び声だった。しかし、それに応える青年の声は穏やかだ。
「明らかに不可能だって思ったって、それを言い訳にして自分の心に嘘つくのは、ただの逃げだろ? 俺には待っててくれるお袋がいるわけでもないし、自分の人生に満足してる。いいんだよ、これで。ただ……」
 一度、そこで言葉を区切った。口からも言葉の代わりに、赤い血が吹き出てくる。
「最後になって、こんな友達ができたのは残念だったな。もっと前に会えたら、人生色々、違ったかも知れない。ああ、でも……今更、遅いかぁ……」
 その後に続く言葉はなかった。どこからか降ってきた水が青年の頬を伝ったので、いつの間に雨など降り出したのだろう、と少年は首を傾げた。見上げた空は、晴れ渡っている。
 袖でぐっと目元を拭うと、そこだけが心の雨に濡れた。

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