旅の歯車


015 : 主従

 その日、少年が日課を終えて庭で一息ついていると、師がやってきて、言った。
「暇なら、向こうの庭の木の実を収穫しておいてくれ。そろそろもいでおかないと鳥の餌にされるからな。……そうだ。それから、井戸へ行って水瓶を満たしておくこと」
 少年は釈然としない様子で、師の顔をのぞき込んだ。
「先生は何をするんです」
「俺は、ここで寝る」
 少年は呆れて、しかし師が本当に寝そべってしまったのを見て、しょうがなく果実の収穫に赴いた。
 少年がここへやってきてから二年。やってきた当時は右も左も分からなかったものの、流石に二年も経てばある程度の仕事は身に付いた。先ほどの男が少年に仕事を教えたのだ。ただ、先生、という呼び方は師が指定したものだったが、少年は最近、彼を先生と呼ぶことに違和感を持っていた。
 師は確かに見た目も中身も少年よりは年長だったし、多くのことを知ってもいた。だが実際は先ほどのようなああいった感じで、仕事は少年に押しつけてばかり。自分はいつもぐうたらしていて、それを無条件に先生と呼ぶのは嫌な感じだ。
 少年は隣の庭へ行って実の様子を見てみた。実はまだ青い。これを収穫しろと言うのか、と、少年はため息をついた。少年は農園での経験があるわけではなかったが、これは素人目にも収穫するには早そうだ。少年は遠回りをして水瓶だけを満たすと、もう一度、師のいる庭へ向かう。師はまだそこで寝そべっていた。
「おお、早かったな」
「寝てばっかりの人と違って、僕は働き者ですから」
 聞いて、師は笑った。
「それよりも先生、どうしていつもいつも面倒な仕事は僕にやらせるんですか。確かに僕はまだ新入りかもしれないけど、最近では時計の整備をやるのだって僕じゃないですか。先生なら先生らしいことをしたらどうです」
 言った少年の瞳をしばらく見つめて、それから師は寝返りを打った。
「先生!」
「ああ、わかったわかった。俺も少しは仕事しろって事だろう。もう耳にタコができるほど聞いたよ。明日はやるから」
「それこそ耳だこです! ……全く、これじゃあ師弟と言うより主従じゃないか」
「おお、難しい言い回しを知ってるんだな」
 からかうように師が言うので、少年はそれを睨んだ。
「主従ねぇ、懐かしい単語だな。……もっとも、俺等のような奴には関係ないけどな。そうだ、因みにお前、言葉の意味は知ってるのか?」
「……本当は。従者はその主人の力と才を認め、主人はその従者の力を認め、お互いに、信頼しあってできる関係のことでしょう。従者を横暴な力や金品で買う奴もいるけど、僕はそんなのを本当の『主従』だとは思いません」
 少年が所々にアクセントをおいて言うと、師は苦笑した。
「なるほど、俺はお前に認められないと、お前の先生にはなれないってわけだな?」
「わかったなら、明日は果実の収穫、手伝ってくださいよ?」
「了解。愛しの生徒のためには頑張りましょうとも」
 
 翌日少年が庭へ訪れると、果実は思った通りに熟れていた。
 いかにも美味そうだ。しかし少年が収穫を始めるとあちこちから昨日は姿の見えなかった鳥がやってきて、それを妨害する。それを見て師は、爽やかに、だからこそ逆に嫌味を見て取れる感じで笑った。
「あっはっは、だから昨日のうちに収穫を始めろって言ったのになぁ」
「ど、どういうことですか?」
「ああ、こういう事だよ」
 師は実を一つもぎ取ると、それを向こうへ放り投げた。数羽の鳥がそれを追う。
「人に美味そうに見える果実は、鳥にも美味そうって事さ。だから少し早めに収穫しておいて、自然に熟すのを待つ。どうだ、為になっただろう?」
 師はおちゃらけて言った。
「これで俺も先生になれるかな?」
 少年はむっとした顔で師を見上げて、それから観念したように、浅く頷いた。

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