旅の歯車


009 : 龍の眠り

「これは?」
 少年が声をかけると、店の奥で商品を並べ直していた店員が出てきて、にこりと笑った。
「タピストリーですよ。この地域の特産物で、梳毛糸に色糸を織り込んで作ってあるんです。嵩張らないから、旅のお土産などにもよくお求めになる方がいらして。お一ついかがです? これなんて、よそじゃお目にかかれない出来ですよ」
 土産か、と、少年は苦笑した。
 少年が帰る場所に、土産を待つような人間はいない。そのことを寂しいとは思わなかったが、流石に自分自身に土産を送る行為は侘びしい気がして、やめた。
「……この模様は?」
 少年の視線の先にあったのは、青みがかった薄い紫をベースとした織物で、尋ねたのはその中心にあった不思議な形についてだ。
「それは、龍という生き物を模様にしたものなんです」
「龍?」
「ええ。空想の生物にして空の覇者。その知識は海より深いと言います」
「空想の生物なのに、空の覇者? 今まで旅をしてきたところでは見かけなかったけど、もっと遠いところにならいるのかな、それとも、今はどこかで眠っているんだろうか?」
 それを聞いて、店員はくすくすと笑った。
「変わったことをおっしゃるんですね。……そうだ、もし気に入ってくださったのなら、これ、差し上げます。お持ちになって下さい」
「これは、商品じゃないの?」
「ええ、商品です。だから、このことは秘密ですよ」
 少年には意味がわからなかったが、それでも思わず笑い返した。自然とそうなるほど、相手の笑顔が清々しいものであったからだ。
「それ、実は私が織ったんです。……その龍は、何をしているように見えますか?」
尋ねられて、少年は視線でじっとタピストリーの上をなぞった。龍、空想の生物で、空の覇者たる者――。少年は一度頷いて、自信ありげにこう言った。
「うん、この龍もまだ眠っているね。いや、力を蓄えてるって言った方が正しいのかな」
 店員の少女は、それを聞いてきょとんとした。
「でもきっと、この龍が目覚めたら、誰もが龍の母親に注意を向ける。それもそんなに遠くないな」
「あら、まだ眠っているんですか?」
 声は、どこか不服そうだ。
「目は確かだよ。……ね、信じて」
 少年が言うと、店員の少女は微笑んだ。
「考えておきますね」

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