旅の歯車


003 : さいごの皇帝

 その国では、何故か誰もが模様もない真っ黒な服を着ていた。少年とて人のことをとやかく言えるものを身につけていたわけではなかったが、どうにも妙な心持ちがして、道を行く人に声をかけてみる。
「何故皆さんは、そんなに真っ黒な服を着ているんです?」
「何故って、今朝方この国の父がお亡くなりになったのです。だから、人々は皆、喪に服しているんですよ」
 国の父とは、一体どんなものなのだろう。少年が尋ねると、その人はその頬に静かな笑みを浮かべて、丁寧に教えてくれた。
「国の父とは、国王のことです。人々へ平等に恵みを与え、祝福を与えてくださいます。しかし、王はついにお世継ぎに恵まれないまま天へ旅立たれてしまいました。今日の夕日が完全に落ちたら、自らの手で王の後を追うつもりでいるという人も、沢山います」
「何故ですか?」
「王がいなければ天に日が昇ることはありません。日が出なければ、いずれ草木は枯れ人々は死に絶えます。獣とて、例外ではありません。世界は永遠に闇に包まれてしまうのです」
 少年は、それを聞いてたじろいだ。やっとのことで道を掴んだと思ったのに、この人の言うとおり世界は明日にでも闇へ放り出されてしまうのだろうか。闇とは、昔少年の目に焼き付けられた、あの戦禍よりももっと酷いものなのだろうか。
「それなら、この国を出れば良いのに」
「いいえ、この国だけの話はないのです。この国を出ても、どこを探しても、もう明日から、希望のある光などどこにも存在しなくなってしまうのです。……あなたも、今日のうちにこの美しい光を目に焼き付けておくと良いでしょう。明日からはもう、永遠に失われてしまうのですから」
 色々教えてくれてありがとう、と、少年は礼を言ってその人と別れた。
 この美しく力強い光が、本当に失われてしまうのだろうか? 彼の目の前で砕かれた、あの針のように?
 針の欠片は、今でも目に見えない光をまとって存在している。けれど、明日からはそれすらも無くなってしまうのだろうか?
(ああ……。でも、それは嫌だ。絶対に、嫌だ)
 そうしてそのうち日が暮れて、少年は町の外れの大きな樹にもたれて眠った。
 
 翌日少年が目を覚ますと、昨日失われたはずだった太陽が顔を出していた。
 少年は驚くと同時に喜んで、針の欠片を確認した。こちらの見えない光も、失われてはいない。
 太陽は昨日のうちに死んで、また生き返ったのだろうか? なんにせよ、これほどまでに喜ばしいことはない。太陽は生きている。失ってしまったと思っていたものが帰ってくるこの一瞬ほど、この世で嬉しいものはない。
 少年は胸一杯に朝の新鮮な空気を吸って、それから、再び歩き始めた。
 そうして少年は最後の皇帝を失った国民の大半が、この新しい日の出を見る前に彼自身とは違う道へと旅を急いでしまったことに、気づかずにいた。

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