紫紺


 闇夜に一羽の梟が舞った。私はそれを目で追って、そっと、先が鍵型に丸まった鉄の杖を、明かり取りの窓から出してやる。
 ばさばさと、愛しく耳障りな羽音が聞こえてきた。ああ、早く。早く、おまえが持ってきた手紙を見せておくれ。そう心が急いてはいたが、私は平常心を装って、小さな鍋を掻き混ぜた。薔薇の花弁をふんだんに使った、甘く強い香りのする薬品。明日の市場に持って行くための大切な商品だが、今はその香りさえもうざったく、邪魔なものに思えてならなかった。
(あの方は、強い匂いがお好きではなかったもの)
 羽音が、止んだ。
 私は己の身分を象徴するかのような真っ黒のローブを脱ぎ捨てて、窓辺によると梟へ褒美をくれてやった。術を解いて、元の世界へ還してやったのだ。夢へまどろみ、こうしてこの世界へと迷い込んでくる魂など、ひっきりなしにいくらでもいる。だから私は一度きりの使いを頼むと、その後で必ず彼らを還してやることにしていた。
 梟の消え去った後に、一通の封書が残った。いつもと同じ、真っ白で正方形の封筒だ。私はそれを胸に抱いて、思わず頬をゆるませる。
 細く研がれた爪ではじくと、封筒はすぐに開かれた。中には数枚の便せんが入っており、いつも通りの几帳面な文字で、一行おきに文字が記されている。
 ――『拝啓、東の丘の物語魔女さま』
 ああ、いつもと同じ書き出しだ。私は杖を壁に立てかけると、窓の外へと顔を出す。
 オレンジ色の大地が続く丘、紫色の空。空には絵に描くような星形で、黄色く塗りつぶされた星が幾多も浮かんでいる。私の住むこの家は見事に全て真っ黒で、煙突から煙が出る度、その振動でゴムのように伸縮する。
 私は大地から生えてきた蔓に手を伸ばし、そこへひっかけてあったスタンプを取った。目を通した手紙には、スタンプを押しておくのがこの世界での風習だ。私はおなじみの青いインクで、封筒の表へ大きなスタンプを押す。
 手紙の用件はわかっていた。今日でちょうど、二千四百と二十七回目。あの方はいつものように、私に助力を請うてきた。
 こうして私を頼るのがあの方の役割であるのなら、それに応えるのが私の役割。私はペンを取りかけて、ふと、同封された花が転がり落ちたのを見た。
 かつんと音を立てて、その花弁が床へ落ちる。
 紫紺の色の、三枚花弁。透明な氷で膜を張ってはあるが、どうやら紫露草のようだ。私はその花の意味するところに思い当たり、笑った。
 『ひとときの幸せ』
 それは私にとっての幸せか、あの方にとっての幸せか。あの方は時たま、こうして謎かけに近いメッセージを投げかけてくる。だから私はあの方を想い、あの方からの手紙をこんなにも心待ちにしてしまうのだ。
 私はペンを取ると、物語をつづり始めた。この世界へ迷い込んだ者達から伝え聞いた、様々な世界での物語。それをあの方へ伝えるのが、物語魔女である私の宿命だ。
 返信の封書にも、私はまた、紫露草の花弁を同封することにした。
 『あなたを尊び、お慕い申し上げます』
 あの方は、私のメッセージに気づいてくれるだろうか。
2008/2/1
『紫紺』お題提供:しおり様

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