吟詠旅譚

風の謡 第四章 // 存在しない王子

066 : BIRTHDAY -2-

「ここへ来るまで、随分時間がかかったようだな」
 すげない様子でそう言われ、アルトはようやく、呆気にとられて言葉を失っていた自分自身に気がついた。
 民衆や兵は慌てふためき、押し合いながら臣下の礼をとっている。それも当然のことだろう。王が自ら門へと足を運び、民衆と同じ視線の高さで姿を見せるなど、この国クラヴィーアではあってはならない光景なのだ。付き従って出てきた従者達が、王に城内へ戻るようにと進言する。しかし王は少しも構う素振りを見せず、真っ直ぐに、アルトの方へと歩み寄った。
(ジルウェット・ティル・アドラティオ・ダ・ラ・クラヴィーア――)
 静かに拳を握りしめる。アルトは自らも膝をつくべきか逡巡して、しかし逆に、その男を睨み付けるように顔を上げてみせた。
 胸が焼け付くように熱い。この思いはなんだろう。しかしアルトがその答を得るより早く、王の次の言葉が続いた。
「何か、言いたいことがあるようだな」
 アドラティオ四世が、そう言って目を細めてみせる。笑んだわけではなかった。どちらかといえばその逆だ。
 アルトには、その瞳に覚えがあった。
(同じだ)
 諦めの影をたたえた瞳の色。アルトのよく知る友人が、度々見せた寂寥とした目の色だ。
 この男が何故そんな表情を浮かべるのか、アルトには少しもわからなかった。それはアルトにとって、この王がするべき顔ではなかったのだ。
(それはデュオが、あなたの振る舞いのために浮かべざるをえなかった目の色だ)
 なのに、何故、おまえが。――絶えぬ思いがとぐろを巻く。
「父上、……陛下。私達にとって唯一の、共通の友が死にました」
 アルトの口から、するりとその言葉が零れた。聞いてアドラティオ四世が、ふと、足を止める。しかし答える声はない。
「戦いの最中に負傷して、……それが原因で一昨日の朝、冷たい洞の中で息を引き取りました。自分の知りうる限りのことを、この私に伝えてから」
 城からまた何人か、王を連れ戻さんと出てくる人影がある。その中に見たことのある顔を見つけて、アルトは少し、俯いた。見たことはあるが、よく見知った顔ではない。誰であったかとしばらく考えて、ようやく、どうやら肖像画で見た第一王子サンバールらしいと思い当たった。遠目でよくわからないが、その後ろにも何人か、奢侈をこらした出で立ちの人間が連なっている。名のある家の貴族だろう。
 誰にしたって、この王を連れ戻すことなど許すものか。そんな思いが、強く脳裏を過ぎっていった。連れ戻させなどするものか。この王と話すべき事が、まだいくらも残っているのだ。
 しかしアルトの思いをよそに、王の立ち居は涼やかだ。そうしてアドラティオ四世は、静かにぽつりと呟いた。
「それで?」
 少しの感情も思わせない、随分短な言葉であった。アルトは驚き息を詰まらせて、ぴくりと震えた腕に手をやる。
「それで、って……」
 一体何を言われたのか、ちっとも理解ができなかった。彼が、――デュオが死んだことを聞けば、驚くなり、悲しんだりするはずだと思っていた。当たり前のことのように、アルトはそう信じていた。
 それなのに。
「まさかそんな事を言うために、ここまで旅したわけではあるまい」
「――、っ!」
 なんでもないかのようにそう言うと、この国の王がくるりとアルトに背を向ける。
 「昔は仲が良かったんだ」シャリーアでデュオはそう言った。性格こそ正反対だが、だからこそ互いの欠点を補い合えたのだと。
 そう話した彼は、寂しげながらも笑っていたのに。
 王がこの場を去っていく。アルトは食らいつくようにその後を追うと、必死になってまくし立てた。
「陛下! デュオは、最後まであなたのことを信じていました。言葉にこそしなくても、何か理由があったはずだと信じようとしていた……! だから、だから私は」
「死んだあの男の代わりに、事実を問いにきた、とでも?」
 アドラティオ四世が、首だけを向けて問うてくる。アルトははっと息をのみ、言葉を続けられずに立ちすくむ。
 腕にじわりと鳥肌が立つ。わけのわからない緊張感が、背筋を走って行くのがわかった。
(この人は)
 鋭利な刃を、首もとに突きつけられたような思いがした。
(この人は、俺とは違う何かを見てる――)
 触れたものを音もなく瞬時に両断する刃。それが、この男の内に潜んでいる。
 いつの間にやら吹き出した汗が、アルトの頬をなぞっていく。同時に後ろからそっと肩を掴まれ、アルトはびくりと振り返った。
「アルト。……民衆の目がある。今は堪えろ」
 追ってきたクロトゥラが、囁くようにそう言った。聞いてアルトははっとして、伏し目がちに頷いてみせる。
 辺りを取り巻く民衆のことなど、すっかり失念していた。否、本当は周囲の目などお構いなしに、目の前に立つこの男へ、アドラティオ四世へ、掴みかかってやりたかった。
 『そんな事』。『そんな事』とはどういうことだ。
 沸々とわき出る怒りが、心の内に燻っている。
 貴族に兵士、見覚えのある近衛の制服を身に纏った者まで、王の取り巻き達が次から次に追って出て来た。その誰もが目障りで、アルトは奥歯を噛みしめる。
(ここに誰もいなければ、俺達以外にいなければ……)
 人々が周囲を囲めば囲むほど、手足を縛られ自由を奪われてゆくような気になった。
 感情にまかせて動いてはならない。そう思って、自らの左手でもう片方の腕を掴む。相手は一国の王なのだ。ここで彼に危害を加えれば、アルト一人が罪に問われるだけではおさまらない。
 耐えろと自分に言い聞かせる。アドラティオ四世が王だから、敬うべき相手だから耐えるのではない。ここに集った民の前で、王家の権威を失墜させぬ為に耐えるのだ。何度も何度も言い聞かせる。だが、しかし、それでも――。
 アルトが拳を握り締めた、まさにその瞬間の事だ。二人の間に分け入った影に、アルトは苛立ち目を細めた。錫色の詰め襟に、上から紫紺のトーガを羽織った出で立ちで現れたのは、第一王子サンバールだ。
「……父上! なりません、このような場所へ護衛もつけずに」
 急ぎ足に寄ってきたサンバールは、声を落とした咎める口調でそう告げる。そうして声なく、ちらりとアルトを睨み付けた。その視線に潜む思いに気付いて、アルトはふと、この男もやはり敵であったのだと思い出す。一体どうやって兵達の目を掻い潜ってきた、もはや始末できたものと思っていたのに――。恐らくは、そんなことを思っているのだろう。そう考えると、心が酷くざわついた。
「父上。さあ、はやく」
 サンバールがまた言い、アドラティオ四世に目配せする。王は感情を読ませない強い視線をいくらか落として、再びアルトに背を向けた。
(ああ、――このまま、行かせるものか)
 脳裏で揺らいでいた何かが、すっと冷えて固まっていく。これは一体なんだろう。考えてみても、答えが出てくる様子はない。
 見れば王城の前にはずらりと兵士が並び立ち、その合間にちらちらと、官僚らしい人間が紛れ王の様子を窺っている。民衆は遠巻きにアルト達を取り囲みつつ、臣下の礼をとったまま、事の次第を窺っていた。
 こんなに多くの人間がいるのだ。この胸の疼きが一体なんなのか、誰かに聞けばわかるだろうか。そんなことをふと思う。それで解決するのなら、いくら聞いてみても良い。だがこの中の誰に尋ねようとも、アルトの求める答がそこにないことは、解りきったことでもあった。
「……、おまちください」
 アルトは一度大きく息をすると、立ち去ろうとするアドラティオ四世に向かってそう言った。
 それでも王は、足を止めようとはしない。しかしアルトも屈しなかった。
「市井の噂に、マラキアの使用人が既に数名、捕らえられたと聞きました。……彼らへの面会を、お許しいただきたい」
 王はそれでも立ち止まらない。代わりにサンバールが振り返り、アルトに向かってこう問うてくる。
「会って一体どうする気だ」
「私が王になるまでの、もうたった一日の辛抱だからと伝えます」
 即座にそう言い返す。サンバールが鋭い目付きで、不愉快そうに片眉をあげたのがわかった。対してアルトは一度目を閉じると、穏やかな口調で、しかし明確な意志を込めて、短く、強く、こう続ける。
「陛下、私はここに、国をいただきに参りました」
 ざわりと、周囲の空気がざわめいた。事を理解していない民衆達は安穏とした様子で事をさざめきあい、一方で官僚達は緊張感を一気に高めて、アルトの一挙一動を凝視している。見ればいつの間にかアドラティオ四世までもが立ち止まり、アルトの方へ振り返っていた。
 その目がしっかりと、アルトの視線を捉えている。深い青の眼。これまでずっと、アルトを避け続けてきた王者の眼――。
「それともこの私の勝手な行動に愛想を尽かして、既に兄上達に継承権を譲っておいでですか」
 話しながらも、緊張に胸が高鳴るのを感じていた。体中の血液が耳の奥に集っているかのように、どくどくと聞こえる音が耳に障る。
(あなたが、真実を語ろうとしないなら)
 心の内で呟いて、そっと王を、睨み付ける。
(あなたのその目が一体何を見ているのか、俺が、この目で見定めてやる)
 その場の人間全ての注意を浴びながら、アドラティオ四世はすぐには言葉を返さなかった。戸惑っている様子ではない。迷っているふうでもない。しかし王は沈黙のままアルトのことをじっとみて、ふと、口元のみに笑みをこぼした。
「マラキアで会ってからそれ程日が経ったわけでもないのに、随分と顔つきが変わったな」
 そう言って、一歩アルトへ歩み寄る。アルトは黙ったまま、目の前に立つこの男を、食い入るように見つめていた。
 苦み走った王者の風格。アルトを見据える双眸は、――昏い、昏い、青色だ。
「私にははじめから、お前以外の人間に王位を継がせる気など、これっぽっちもありはしない」
 起伏のない平坦な口調で、アドラティオ四世がそう話す。聞いてアルトは苦く笑うと、その時になって初めて、この男に頭を垂れた。
「ありがたき幸せに存じます、……『父上』」
 音にすればたった四文字のその言葉に、思いの丈を叩きつける。
 何も知らない民衆達が、無邪気に騒ぎ立てている。サンバールが見せた憎悪の視線になど、注目する者は誰一人いなかったことだろう。
(新王誕生の、何がそんなに楽しいんだ)
 誰もわかっていないのだ。この王室が、どんな血の上に成り立っているのか。
 どれだけの思いを踏みにじりながら、この国に君臨しているのかを。
 その時ふと、王城の方から「父上」と呼ぶ声があった。聞いてアルトはわずかながら、安堵のための溜息を吐く。この場で王を父と呼ぶ人間は、サンバールとアルトの他に、もう一人しかいないはずだったからだ。しかし門前に並び立つ人々の顔を眺めてみて、アルトは釈然としない思いに瞬きする。
 当然そこにいるはずだと思っていた人物――第二王子ラフラウトの姿が、どこにも見当たらなかったのだ。しかしそうしてアルトが訝しむ一方で、一人の男が悠々と王に歩み寄り、こんな事を言った。
「部屋を用意させました。続きはそちらで話されては?」
 肩の長さで切り揃えた金の髪に、王のそれとよく似た青の瞳。以前どこかで会ったことがあるように思うが、それがいつで、どこであったかはにわかに思い出せない。
「必要ない。話はちょうど終わったところだ」
 平然と答える王をよそに、アルトは困惑を隠せずにいた。この男は何者なのだろう。王の面前にも関わらず、少しもはばかる様子がないのは一体何故だ。
 その上アルトは、不穏な予感に恐々としてもいた。
 聞き間違いであってほしいと切に思う。だが、どうにもそうは思えない。
(今、『父上』と声をかけたのは)
――私が授かる子供は三人。それ以上でも以下でもいけない。全てが息子。それも、皆違う母を持つ。
 早鐘のように脈打つ音が、再び脳裏に響き渡る。
 アドラティオ四世が、その男へ振り返る。そして。
「それよりも、案内の者をよこしてやれ。――ラフラウト」
 王が見知らぬその男を、はっきりその名で呼びつける。
 離れの廊下。
 夕暮れ時。
 母の肖像画の空虚な微笑みと、……それから。
「御意のままに、父上」
 明らかにそうと知れる嘲りの笑みを浮かべて、ラフラウトと呼ばれたその男が、王と同じく青い瞳をアルトに向ける。
 顔に、王の面影がある。この男と王とを見比べて、彼らが親子であることを疑う者などいないだろう。第一、その笑みの持つ温度に覚えがあった。
(五年前にマラキアで会ったのは、確かに、この男だ――)
 だが、それならば。
 身の毛がよだつ思いがした。この男が本当に第二王子ラフラウトだというのなら、森で『再会』し、ルシェルの町でアルトに支援を申し出たあの男は、一体誰だったというのだ。
 顔の作り、髪型、背丈、そのどれもを、この男に似せてはいた。だが、――全くの、別人だ。
 さっと血の気が引くのを感じながら、恐る恐るクロトゥラの方を振り返る。すると相手も同じように虚を突かれたという表情で、アルトに対してゆるゆると、首を横に振ってみせた。
「どうした? 折角の再会なのに、まるで幽霊にでも会ったような顔をして」
 言って『ラフラウト』が苦笑する。
 正午の訪れを告げる鐘の音が、昼の町に鳴り響いた。

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