吟詠旅譚

風の謡 第二章 // 導きの炎、風の刹那

028 : The Palace in Flame -5-

「じゃあ、フェイサル様も敵の仲間かも知れないということですか?」
 焦りを含んだ声で、リフラが言う。クロトゥラは歩く速度を変えずに、曖昧に首を振った。
「断言はできない。それにしちゃどうもおかしかったし……もしそうだとして、マラキアへ火をかけようとしているのがあいつらなのかどうかは、まだわからない」
 駆け足に近い速度でクロトゥラを追いながら、アルトは思わず顔をしかめた。その言葉が何を示しているのか、すぐに思い当たったからだ。
「敵が、二派いるかもしれないっていうことか?」
「さあ。ただあの手の奴らが、宮殿に火をかけるだけなんてせこい仕事を引き受けるかって考えると」
 中途半端に言葉を切って、クロトゥラが立ち止まる。その目の前には、質素な馬小屋があった。
 アルトが駆け寄り扉を開くと、中にいた全員が直ちに立ち上がり、たった今やって来た年若い領主に向かって頭を下げる。その様子にアルトはいくらか気圧されたが、すぐ後から入って来たクロトゥラに背を小突かれ、表情を引き締めた。
「状況は?」
「機織り場、風車塔、菜園の方から同時に三組が侵入したようです。一組の人数はおよそ十人。風車塔、菜園からの侵入は事前に見張り台から確認できていたため、侵入と同時に交戦中です。機織り場の方は後から侵入の痕跡が発見されたため、捜索中。現在はその三点以外に、宮殿内の見回りも引き続き行っています」
 答えたのは、バラム城時代に一個隊を任されていたという鷹匠のマルカートだ。普段は鷹達と寝食を共にし、どちらかといえば無口な部類だと思っていた男にすらすらとそう言われ、アルトは改めて唾を飲み込んだ。
「火は?」
「今のところはまだ出ておりません。ただ先んじて内部に侵入していた者がいたのか、あるいは内通者か、一部に不自然に積まれた藁の山が見つかりました。油をかけてありましたが、それについては対処済みです」
 マルカートの隣に待機していた、肉切り番のルバートが言う。
 今この馬小屋の中にいるのは、アルト達の他には五人だ。しかしその中に、本部で待機している予定であったデュオの姿はない。アルトが首を傾げながらも現状の確認をしていると、すぐ外で馬のいななく声が聞こえた。
「どうどう。もうゆっくり休んだだろう。活躍してくれよ」
 そう、馬へ話しかける声に聞き覚えがある。気づいたクロトゥラが扉を開けると、腰に剣を帯び、馬の手綱を引いたデュオがそこに立っていた。
「やっと来たか。祭りは、もう始まってるぜ?」
 活き活きとそう言ったデュオに苦笑を返しながら、アルトは用意されていた剣をベルトにとめる。デュオを手伝って何人かが引いてきた馬の中に、アルトがウラガーノから乗ってきた馬も含まれていた。
「新しい情報だ。風車塔の方は侵入者確保。機織り場の侵入者も、大多数は既に見つけて追跡中だ」
「すごいな、あっという間だ」
 駆け寄りながらアルトが言うと、デュオはどこか誇らしげに鼻を鳴らして、「いつ、どこに、さえわかってさえいれば、奇襲なんぞ厄介なもんじゃないのさ」と言い切ってみせる。
「俺はこれから、機織りの方を手伝いに行く。おまえは先に、風車塔の捕虜の所へ行くか?」
「いや、俺もデュオと行く。そっちの追跡隊は徒歩だろ? 馬が二頭出れば、大分有利になるはずだ」
 そう言って馬に飛び乗ってから、アルトは照れくささを感じて頬を掻いた。相手はバラム城の城主だった男だ。アルトが今言ったようなことなど、既に考慮済みだったろう。しかしデュオは満足そうに笑って、同じく馬に跨った。
「おまえがここまで伝えに来てくれたから、どうにかなったのさ」
 呟くように、デュオが言う。アルトは驚いてデュオへと視線を向けたが、馬に跨り、背を向けたままの彼の表情は、わからない。
(違う)
 あんな夢か現かもわからないような話だけでは、どうにもならなかったはずだ。そう言うつもりでアルトは首を横へ振ったが、デュオは取り合わない。そうしているうちに、アルトのすぐ隣から声がした。
「一頭、借りてくぜ」
 そう言って帽子を被り直し、手綱を引いたのはクロトゥラだ。馬小屋へ置いてあった騎士の剣を携えて、鐙へしっかりと足を下ろしている。アルトが一度頷くと、彼は軽く片手を上げて、たった今通ってきた醸造所の方へと駆けていった。
「よし、こっちも行くか」
 デュオの言葉に、もう一度大きく頷く。
「お二人とも、お気をつけて!」
 リフラの言葉が聞こえた頃には、アルトは既に馬の腹を蹴っていた。前足の上がった馬上から馬小屋を振り返ると、そこにいた全員が外へ出て、アルト達を見送っている。
 その頼もしい表情を見て、アルトは何故か赤面した。それから一言、何にも増して伝えたかった言葉を口に出す。
「――信じてくれて、ありがとう!」
 アルトの言葉だけでは、どうにもならなかった。
 その言葉を信じてくれた人がいたから、マラキアを助けることが可能になったのだ。
 馬は既に駆け出している。アルトは短くそれだけを言い残すと、手綱を握りなおし、前方へと視線を向けた。
 マラキア宮の、見慣れた道。しかしだからこそ、こうして馬上から見るのは随分不思議に思われた。狩猟場や森の方とは違い、こちらの通りを駆けることなど無かったから、新鮮さにいっそ清々しいとさえ思うほどだ。ちょうど隣を追い越したデュオがにやりと笑ったのを見て、アルトはその緊張感のない考えが読まれたのではと、内心冷や汗をかく。
 しかし間もなく聞こえてきた「あいつだ!」という声に、アルトははっとして背筋を伸ばした。
 見るとアルトの正面に伸びた小道から、数人の人間が駆けてくる。黒いマントで顔の半ばまでを覆い、暗殺者のような軽装をしてはいるが、その走り方はどたどたとして不格好だ。
 向こうも前方からやってくる二騎に気づいたようだったが、もう遅い。何故って、アルト達はマラキア宮の内部を完全に把握しているのだ。
 示し合わせるでもなく、アルトとデュオは二手に分かれ、それぞれで小道の出口を塞ぐ。黒マントの男達は後ろから追ってきていた使用人達と騎馬との板挟みになって、遂に足を止めた。
「降伏しろ! 既に風車塔から侵入した仲間も、こちらが捕らえた!」
 鞘から剣を引き抜いたデュオが、高らかにそう声をかける。もとよりここまで逃げ続けてきた黒マント達に戦意は残されていなかったようで、彼らはよたよたとその場に座り込んでいった。
――あの手の奴らが、宮殿に火をかけるだけなんてせこい仕事を引き受けるかって考えると。
 クロトゥラの言葉を思い出しながら、アルトは馬を下りた。帽子を脱いで、堂々彼らに歩み寄る。黒マント達は怪訝そうな反応を示したが、段々と近づいてくるアルトの顔を見て、一人が叫ぶように言った。
「だ、第三王子殿下……!」
 聞いて、アルトははっとした。
 言葉と同時に、侵入者達の間に戦慄が走る。マラキアの使用人達はアルトを守るように黒マント達を取り囲んだが、アルトは逆にそれをかき分けるようにして、たった今言葉を発した一人の前へと駆け寄った。
「――今、俺のことを『殿下』と言ったな」
 押し殺したような声で、尋ねる。それを聞いて何人かの人間が、小さく息を呑んだのがわかった。
 相手は口をつぐんで、答えない。アルトは今一歩前へと踏み出して、もう一度言う。今度は焦りを含んだ、唸りに近い声だった。
「お前達、このクラヴィーア国内の人間なのか? 一体、誰に命じられてここへ来た!」
 今にも殴りかかるのではというアルトの剣幕を前にしても、黒マントは口をつぐんだままだ。
――心当たりが多くて。
 ウラガーノからの道すがら、アルト自身が言った言葉だ。「王族ってだけで、狙われることは多いらしい」そうとも言った。実感はなかった。ただそう言われていたから、そうなのだろうと思っただけだ。正直なところアルトにとっては、命を狙われるだの、奇襲をかけられるだの、そういったことはまだ、歴史か物語の中だけでの話だったのだ。
(それでも)
 刺客に襲われた時、相手がどうやら国内の人間ではないようだという話を聞いて、どんなに安心したことだろう。
 誰も、言葉を発せようとはしなかった。そんな中、何かの重々しい羽音が聞こえてアルトは深く息を吐く。
 それはどうやら、マルカートの鷹の羽音のようだった。
 鷹は迷う様子もなく、布をあてがったデュオの腕へとまり、羽を休めている。足に結びつけられた手紙をほどく間も悠々とした聡明な態度で、身じろぎ一つする様子はない。
「――菜園の方も、勝負がついたそうだ。白状させたところ、侵入者の数はこれで大体総数。もしかすると一人、二人は取り逃がしたかもしれんが、燃やす藁もない、仲間もいないじゃ大したことはできんだろう」
 デュオが、鷹を空へと放しながらそう言った。アルトは「そうか」と呟いて、もう一度黒マントへと視線を向ける。
 ひとまずこれで、マラキアを火の海から救うことは出来たのだ。捕虜も捕らえた。時間はある。一度馬小屋へと戻って、詳細を聞き出すのはそれからでも良いだろう。アルトもそうは理解していたのだが、如何せん、続く言葉が出てこない。
 ――心の中で、真っ先に疑ったのは二人の兄王子達だった。アルトに王権を譲るとの王の言葉に、腹いせでマラキアを燃やす程度のことはするかも知れない。兄王子達と最後に会ったのはもう五年以上も昔の話だが、それでもどれだけ彼らに嫌われていたか、アルトにはまざまざと思い出すことが出来た。
 しかしその程度の理由ならば。と、アルトは考え直す。大臣でも、騎士でも、一貴族でも、有力者ならば誰にだって出来ることだ。
 アルトのことを嫌っている人間など、恐らく数え切れないほどいるのだろう。アルトは自然と、そう考えた。何故ってアルトには平民の血が流れていて、それなのに父王の権威だけで王家に居座り、マラキアの中のことしか知らずに育ち、そして今、誰もが欲する王権を、何の苦労も無しに手に入れようとしているのだから。
「アルト」
 静かな声で、デュオが言う。アルトの心中を察したような、それは優しい声だった。アルトは頭の中で渦巻く考えを振り払うようにかぶりをふって、短く深呼吸をする。今は落ち着かなくては、と、そう思った。
 しかし実際の所、アルトはそうする間もなく再び駆け出すこととなる。
「アルト、デュオ殿!」
 切羽詰まった声と蹄の音に、アルトは慌てて注意を向けた。左手一本で手綱を操り、駆けてくるのはシロフォノだ。驚いたアルトが声をかけると、シロフォノは馬上から下りることなく、弾む息を抑えながら口早に言った。
「大変だ。二人とも、急いで正門へ向かって!」
「正門? おまえ、闘技場にいたはずじゃ」
「それは後で説明するから! ともかく、はやく来て。スクートゥムの王都軍が辺りを取り囲んでるんだ。あいつら公然と、デュオ殿とソーリヌイ侯が起こした謀反を、鎮圧しに来たって言ってる!」
 アルトとデュオは、訳がわからないまま顔を見合わせ、馬へと飛び乗った。
(落ち着かなくちゃ)
 それでもアルトは、自分に言い聞かせる。その時だ。
「俺達、――捨てられたっていうことか?」
 侵入者の一人が、ポツリと呟く。その呟きが、アルトの耳にはいやに大きく響いた。

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