吟詠旅譚

風の謡 第二章 // 導きの炎、風の刹那

025 : The Palace in Flame -2-

 昔、城の作り方というものを習ったことがある。
 それによればこの城という物を作るためには、石を運び、滑車を廻し、十数年もの歳月と、多くの労働力が必要となるのだそうだ。その為に様々な職人が集い、彼らの生活を支える町が、つまり城下町が自然と形成されていく。
 そう聞いていたアルトは、ある時城壁を越えた外を見て首を傾げた。なぜこの大きなマラキア宮には、城下町がないのだろう。どうしてこの城壁の外には、草原が広がるばかりなのだろうと思ったのだ。
 その理由は、いずれ知れた。
 アルトが生まれるよりも以前のことだ。マラキア宮が、まだバラムという名の城だった頃の城壁は今よりも小さく城を囲んでおり、代わりにその周りには、小さいながらも城下町があったと言う。
 以前から他国に国土を狙われることの多かったクラヴィーアにとって、当時のバラム城は南東の鉄壁と呼ばれるほど守りの堅い軍事力を持っていた。……しかしいずれクラヴィーアが国土を増やし、国境が変わるにつれ、バラムは城としての機能を必要としなくなっていったのだそうだ。
 そうしていずれ城主は退き、皇王は城をマラキア宮として建て替える際、城下町であったところも全て取り囲んで城壁を建てるように指示をした。
「あの闘技場の位置にも、昔は店が軒並み並べる横町があったもんだ」
 昔を懐かしむように、デュオが言う。それを聞いて、いくらか混乱したようにクロトゥラが尋ねた。
「でも、それならどうして馬番なんか……いや、失礼。けど」
 馬番と言えば宮殿の中でも、普通ならば下から数えた方がはやいほど身分の卑しい役職である。一度は一城の主として構えていた人間が、やるような仕事ではないはずだと言いたいのだろう。クロトゥラは迷うように途中で言葉を切って、窺うようにアルトの方へと視線を移した。一方でその質問に苦笑で答えたデュオは、指の先で頬を掻く。
 アルトと同じで、デュオも何かに困ると頬を掻く癖がある。いや、正確にはデュオがそうするのを見て、アルトが真似るようになったのかも知れなかったが、その真偽はわからない。ともかくアルトはそれを見て、いったん黙って言葉を待った。デュオが戸惑いながらも、話を続けようとしているのがわかったからだ。
「色々あって、皇王陛下の不興を買ってな。その時に城主の座と、爵位は無くしたよ。それで、どうして馬番なのかって……」
 頬を掻く、手が止まる。
「どうしてだろうな。バラム城が……いや、マラキアが好きだったから、か」
 デュオがそう言って、目を伏せた。
 ナファンは何かを考え込むように目を閉じて、静かに首を横へ振る。クロトゥラは眉根をひそめながらも口を閉ざして、シロフォノは左右の手を合わせ、人差し指をくるくる回しながらアルトを見ていた。
(デュオらしい)
 マラキアが好きだったから、では何の答えにもなっていやしない。本人も恐らく、それは承知しているのだろう。承知していて、敢えて素直にそう言ったのだ。
 実のところ、デュオは嘘をついたり誤魔化したりといったことが得意ではない。今まで過去を隠し通せていたのだって、恐らくはナファン達の計らいあってのことだろう。わかっていたことだったから、アルトは何も言わなかった。
 何も言わなかったがしかし、その時唐突に、アルトの心を安心感のようなものが通り抜けた。しかしそれが何であったのかをよくよく考えてみる前に、デュオの言葉が短く続く。
「ここの使用人の、七割ってところだ」
 一瞬、それが何に対しての答えであるのか、アルトにはわからなかった。どうやらそれを見て取ったようで、デュオはこう言い直した。
「ここがバラム城と呼ばれていた頃からの、馴染みの数だ。事情を話せば力を貸してくれるだろう」
 アルトははっとして、息を飲む。
 七割。ある程度の数は覚悟していたが、予想していたよりもずっと多い数字だ。
(それだけの人間がデュオの過去を知っていて、だけど誰もが黙っていた――)
 胸が疼く。しかしその疼きの理由が手に取るようで、アルトはかえって驚いた。
(きっとデュオは、バラム城の城主は、名君だったんだな)
 アルトの心は沸いていた。
 十数年もの間、何十人もの人間が口を閉ざし続けた団結力。そうして、それを可能にした人徳。それを思うと、アルトの心は暖かく沸くのだ。
「それじゃあその中でも、それなりに腕のたつ人間を警備にまわしてほしい。それ以外は闘技場で待機して、もしもの時に会場内の人間を誘導する役だ」
「――それで、アルト。僕らはデュオ殿のことを全面的に信じてもいいのかな?」
 シロフォノが言う。その目は相変わらず真っすぐにアルトを見据え、口元はやはり笑んでいた。尋ねはしたがアルトの答えは既に心得ているといった、あの笑みだ。アルトはうんと頷くと、もう一度デュオ、ナファンの方へ視線を向ける。
「昔がどうだったって、デュオが俺の友達でいてくれたこととか、ナファンが世話を焼いていてくれたこととか、……そういうのが嘘だったって事には、ならないと思うから」
 アルトはそう言って、はにかむような笑みを浮かべた。
 聞いたデュオも驚いたように、しかし嬉しそうに微笑んでみせる。アルトが「その『色々』っていうのに関しては、後で聞かせてもらうからな」と加えると、彼は一度、威厳を持って頷いた。
 その一方でアルトは、視線を移して面食らう。デュオの隣で、ナファンが顔を赤くして、ぽろりと涙をこぼしたのだ。アルトが異常事態に慌てふためいていると、彼はすかさず取り出した白いハンカチで自分の顔を覆い、涙声で「ご立派に育たれて」などと呟いた。
「な、ナファン! 泣くなよ、なんで泣くんだよ!」
「泣いてなどおりません!」
 涙声で断言するが、説得力のかけらも無い。ほとほと困り果てたアルトは行き場の無い手を泳がせていたが、クロトゥラがにやにや笑ってこちらを見ているのに気づいて、そっぽを向いた。
「今日がヨンゴの月三日……。ここからスクートゥムへはウラガーノを経由しなくても、十日はかかるって考えておいた方が良いぜ」
「明日、犯人を縛り上げてそのままここを発つとしても、スクートゥムへ着くのははやくても十四日ってことだね。即位式の十七日にはなんとか間に合う、か……。けど、手際よく進めないとね」
 続けていったシロフォノに頷いて、アルトはいくらか考え込んだ。即位式のことを思うと、またいくらか気分が沈んだからだ。
 確かにマラキアでの事を終えたら、スクートゥムへ赴こうとは考えている。しかしそれも、父王アドラティオ四世の面目をつぶす訳にいかないから、という理由からのことだ。
 父王の真意は知れないが、勅命が下ったとはいえ二人の兄たちや、他の重臣たちが誰もそれを支持しているとは思えない。
 恐らく、王権を巡って争いが起こるはずだ。
(そんなことになるくらいなら、王権なんていくらでも譲ってやるさ)
 そう口に出しかけて、やめた。今はマラキアのことに専念したい。ここで余計なことを言って、集中力が削がれることだけは避けたかった。
 アルトはひとまず、見取り図へと視線を戻す。
「……俺とデュオ、クロトゥラで動こう。ナファンには闘技会の準備とか、表向きの仕事を急ピッチで進めてほしい」
「僕は?」
「シロフォノは待機」
「えっ、どうしてさ」
 心外そうにシロフォノが言う。アルトは呆れたように、「どうしてって」と息をついた。
「シロフォノはまず、肩の傷の手当をしなきゃ。ここまで無理させちゃったけど、応急処置のままってわけにいかないだろ」
「あれ、覚えてたの?」
「当然」
 アルトが軽く睨めつけると、シロフォノはにへらと笑って頷いた。
「怪我を?」
 ナファンが尋ねたので、アルトは引き返す途中で刺客に襲われたこと、シロフォノが一人残って時間を稼いだことを説明した。その話を聞いてデュオは何故か押し黙ったが、ナファンはいきりたってシロフォノの左手をつかむと、歩きだす。
「矢を射られたのに、応急処置しかせずにマラキアまで馬を駆ったなど……! なぜ先に言わなかったのです! いけません、すぐに手当を!」
「大丈夫だよ、そんなに急がなくたって。……いてっ、ちょ、ナファン殿! 手当の前に左腕が抜けちゃうよ!」
 「助けて!」などと言いながらひきずるようにつれていかれるシロフォノを、アルトとクロトゥラは笑いながら見送った。そんな様子を見て、一度は黙ってしまったデュオもいくらか表情を緩めてみせる。
「ところでアルト。さすがにお前、ここじゃ顔が知れわたってるんだろ? 動くって、どうするつもりだ?」
 クロトゥラに言われて、アルトは思わずきょとんとした。それからにこりと一度笑って、「慣れてるから」と無邪気に話す。
「またあれか」
「頼むから女装はやめてくれ」
 デュオとクロトゥラが同時に言って、互いに顔を見合わせた。

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