吟詠旅譚

太陽の謡 第一章 // 忘却の風土

000 : Iam fulgurat

 町にその旅人が現れたのは、糸のような雨が降るある日のことだった。
 少しも秋の訪れを感じさせない、まだ蒸し返すような暑さを残した、夏の終わりの頃である。人々はじきにくる収穫の日々の為に、忙しなく辺りを立ち回っていた。――否、彼らはこの一夏中、身を粉にするように働き続けていた。日の出と共に起き、獣や害虫から収穫物を守り、家へ帰れば鋤や鍬の手入れをした。陽がとっぷり暮れるまで、内職に精を出す者もいた。ある不安の種を忘れ去る為に、そうして忙しく動き回る他になかったのである。
(――田舎町とは聞いていたけど)
 余所者をちらちらと盗み見る視線を感じながら、旅人は一つ溜め息をついた。東の砂漠でも旅して来たのだろうか、旅の男は大柄な麻のマントをすっぽり被り、馬にほんの少しの荷だけをつけた出で立ちだ。明らかに商人ではないその姿を見て、この町の人間達は彼をうさん臭そうに眺め、そそくさとその場を立ち去って行く。
 これが、内地の町であったなら。旅人慣れした町の人間達の手によって、大歓迎を受けるところであったろうに。そう考えて、旅人はもう一度あきれ調子に溜め息をついた。
 もっと、対外的にひらけた町であったなら。旅人はきっと旨い地酒を振る舞われ、やれ面白い話はないか、やれ珍しい香辛料でも持っていないかと囃されたことであったろう。それを旅の醍醐味と考えている旅人にとって、このバーバオの田舎町は、随分つまらないところに感じられた。
 旅人は辺りを見回して、ようやく、酒場らしいこぢんまりした店をみつけた。そうして中へ入るなり、こんなことを言う。
「儲け話があるって聞いたんだが」
 身にまとっていたマントを脱げば、若く自信に満ちあふれた青年の顔が現れる。小さな酒場の店主は苦笑して、「きっと、あんたには物足りない話だよ」とまず告げた。
 どうやら少し、雨脚が強まって来たらしい。雨音が大きくなっている。
 旅人は苦笑を浮かべ、肩をすくめた。
「承知の上さ。世の中、そうそう面白い事になんか関われないようにできてんだ。……まあ、いいから話してみな。困ってるって聞いてるぜ。路銀稼ぎに、助けてやるよ」
 青年の態度は横柄そのものであったが、酒場の主人は気を害した様子もなく、ただ、安っぽい木彫りのゴブレットへエールを注いだ。こういった若者の、身の丈を知らぬ言動には慣れている。そう言いたげな表情だ。
「化け物退治だよ」
 酒場の主人が、ぽつりと言った。
「化け物? この辺に、なにか厄介なもんでも出るのか?」
「ああ。……もう一年も前に死んだと思っていたのに、やつめ、今ごろになってまた悪さを始めたのさ。あんたには、そいつを退治してほしい」
 酒場の主人はそう言って、物憂げにただ、目を伏せた。それから仕切り直すように息をすると、「マカオの町へ行ってみるといい」と旅人へ言った。
「マカオの町? でも、あそこは」
 旅の男が眉をひそめた。
 無理のない話である。マカオといえば、このバーバオからそう離れてはいない町なのだ。だからこそここへ来るまでに、その噂は何度も耳にしている。男は怪訝な思いを隠しもせずに、酒場の主人へこう問うた。
「その町は、滅んだはずじゃなかったか?」
 確か去年の春のことだ。長雨に降られ、崖崩れと地盤軟化で人が住めなくなった町があると聞いた。それが、マカオという名の町ではなかったか。
 しかしそうして尋ねてみても、酒場の主人はしばらくの間、答えなかった。なにやら考え込んでいる様子であった。
 こういう手合いは、急かすと口を閉ざしてしまう。旅の男は酒を呷りながら、ただ言葉を待っていた。そうして不意に聞こえてきた言葉に、ただ、静かに、にやりと笑う。
「多分、復讐なんだろう」
 「……、復讐?」旅の男の声が、好奇の色にいささか弾んだ。
「復讐たぁ、穏やかじゃねえな。その『化け物』に、何か恨みでも買ったのかい」
 酒場の主人は、やはりしばらく答えなかった。そうしてまたゴブレットにエールを注ぐと、「俺も去年の春まで、マカオの町に住んでたんだ」と、まるで自らの罪を懺悔するかのように沈んだ口調でこう続ける。
「俺たちは間違ってない。全てあいつが悪いんだ。だが、それでも、……」
 雨脚が、また強くなる。遙か彼方の虚空から、雷鳴が轟く音を聞いた。
「今でも脳裏にまとわりつく。あいつの、怯えきった、……恨みに満ちた、あの瞳が――!」

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