廻り火

【 序章 】

去りゆく国の王の間にて

「我が王、何故です――」
 涙に掠れた声がする。すすり泣く声が通りに響く。
「何故こんなにも唐突に……、何故こんなにも呆気なく……」
 街中に満ちる嘆きの声。見れば人々は誰も俯いて、ある者は地に伏せ、またある者は顔を覆い、ただただ悲しみに打ちひしがれていた。
 そうして彼らの口からは、何故、と違わず言葉が落ちる。その問いに答える者の姿はなく、嘆きの声は空と地に、虚ろに染みゆくばかりであったのだが。
(誰も皆、認めたくなどないのだろう)
 心の中で呟いて、ふと、こうべを上げた男があった。その目は決意の意志を湛え、目の前の一点をのみ見つめている。
 この国の、この町の、人々の心の中心にある、王の居城のその先を。
「イム」
 名を呼ぶ声に振り返ると、蹄の音と共に近づいてくる人物があるのに気がついた。相手は馬の歩む速度を落として身を翻し、毅然とした立ち居で地に降り立つと、渋面を隠しもせずにこう告げる。
「神官達をお連れした」
 彼女もまた、この国で得た友人のうちの一人である。女の身ながら大隊を率いる姿は物々しく、始めは大層面食らったものであったのだが、こうなると、彼女ほど頼もしい人間は他にないとさえ思われた。
 少なくとも、彼女は絶望していない。
「神官達とは町の入り口で分かれたが、昼前には王宮へ訪れるだろう。その前に、全ての準備を済ませなくては」
「エイル、その必要はない。同志は既に集っている」
「事情は説明したのか」
「ああ。……だが誰の決意も揺らがなかったよ。皆、王と命運を共にする、と」
 そう言った、自らの言葉に苛立ちが混じる。やるせない思いに胸がきしみ、続く言葉は闇に隠れた。しかしその口惜しさは、言葉にせずとも伝わったのだろう。彼女は何も言わずに頷いて、そっと手綱を引いて歩いた。
「あの方は、きっと我らをお許しになるだろう」
「それは願望か? それとも、予見の能力でも得たか」
「どちらでもない。ただ、そうなるだろうと素直に感じた。お前だってそうだろう」
 王宮殿の扉をくぐり、通い慣れた道を行く。同志の集う謁見の間は、まるで無人の部屋かのように、酷く静まりかえっていた。しかし彼らの先のその玉座に、在るべき人の姿はない。
 空の玉座の前にはただ、無機質な漆塗りの箱が置かれるのみである。
「転生の儀を受けるための、準備が全て整った」
 エイルの声が、場に響く。
「もうじき神官達が到着する。だが術を施されても、我々の現世において影響はない。皆この身が果てるまで、成すべき事に殉じよう」
 重い沈黙のその後に、誰もが黙って頷いた。頷く以外に為す術を何も持たない事を、この場の誰もが承知していた。
「この魂は、我が王のために……」
「この身の全てが、いずれ王の糧となるよう……」
 静かな決意の言葉の中を、ただ黙して歩いていく。そうしてイムと呼ばれたその男は、玉座の前に置かれた箱、――帝王の眠る棺の前に跪き、そっと、深く、息を吐いた。
(お前には、王の務めを果たしてもらう。だが俺達のことを許す必要はない。願わくば、……この期に及んで尚もまた、お前の力に縋るしかない俺達のことを、ただ憐れに思ってくれ)
 軋んだ音をたて、扉が開かれると、謁見の間に風が流れ込む。神官達が到着したのだろう事はすぐに知れたが、彼はその場を動じなかった。
「イム、……。この一時、王との別れを受け入れなくては」
 凛と張り詰めたエイルの声も、不安の色に翳っている。イムはその場に立ち上がると、声を押し殺し、眠る友へと声をかけた。
「来世での再会を。……我が王、セドナ」
 それは誓いであった。
 違えることを許されない、生涯をかけた誓いであった。

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