異次元のキャラバン Untitled-2-


 荷物を下ろし、若手の隊員達に問われるがまま、簡単に指示を出し終えた。そうしてようやく自由の身になったオザンは、ひとり密やかに丘を下り、星空の下をただひたすらに歩いている。
 どこを目指すわけでもない。だがどうしても、——今は、丘にはいたくない。それでついふらふらと、辺りを彷徨うことになってしまったのだ。
「大体、オイラ人に指示を出したりとか、そういうの得意じゃないしなぁ。誰か得意な人が入隊してくれたら良いんだけど……」
 溜息混じりにそう言って、肩に乗った花びらの尾の頬をそっとくすぐった。以前この次元に立ち寄った一年ほど前に比べ、彼女もまた随分大きくなった。このままでは、いずれオザンの乗れなくなる日が来るのではと心配しているのだが、彼女は気にする様子もない。ただいつものようにオザンの頬に顔を寄せるのを見て、オザンはもう一度、小さく溜息を吐いた。
 一年前。そう、以前キャラバンがこの次元に立ち寄ってから、まだ四百日と経っていない。様々な次元へ立ち寄るために、四季の移ろいを感じにくいキャラバンに加わっているとはいえ、時間の流れは先導師達が把握している。
——この次元の人達もとても協力的なので、二年の間に分類自体は随分進みました。
 先程漏れ聞こえた言葉を思い出し、今度は苛立たしげに、人目も憚らずに大きく深く息をつく。とはいえオザンが歩いている畑の脇道には人はなく、辺りを見回してみても、この星空の下、鍬を振り上げて畑を耕している人がちらほらと、遠くに見えているのみだ。
 『本の墓場』の住人達は、元々月明かりで育つ特殊な麦を育ててそれを食べ、地中から採れる鉱石を売って暮らしている。以前この次元を訪れた時に、確か、そう聞いていた。土壌は豊かで、鉱石は加工しやすく、農具の補充にも困らない。恵まれた土地だ。だからこそ人々は、いずこかの次元から流れ着く書物になど関心も持たず、ただ日々を過ごしていた。
(治安も良さそうだし、……きっと、暮らしやすい所なんだろうな)
 そんな事を考えて、感慨もなく、ふと視線を他所へと向ける。すると畑の隣に、何やらきらきらと光る箱があるのに気がついた。箱自体が光っているのではない。箱の中に入った何かが、きらきらと光を放っているのだ。
(なんだろう)
 中身を覗き込もうと、箱に近寄って覗き込む。両手で抱えるのに丁度良さそうな小さな箱に入っていたのは、きらきらと輝く——しかし宝石とはどこか様子の異なる——砂粒のような小さな石の山であった。製鉄に使う鉱石とも違って見える。だがオザンがその石に触れるか触れないかというところで、
「おや。お前さん、一体どこから来なすったのかね」
 唐突に聞こえたその声に、ぎくりと肩を震わせた。慌ててその場を振り返るが、咄嗟のことで、例の箱を地面に倒してしまった。光る石が地面に散らばってしまったのを見て、「ごめん」と短くまず言えば、相手は気にした様子もなく、むしろ悪そうに、「驚かせてすまなかったね」とオザンに告げた。
 農夫だろうか。土のついた上着を着た男が、担いでいた鍬を一度地面に置き、散らばった石を拾い始める。慌ててオザンもしゃがみこみ、石を拾うのを手伝えば、男はちらりとオザンを見て、「ああ」と笑顔を浮かべてみせた。
「『キャラバン』の人だろう。そういえばさっき、訪れがあったようだと聞いたよ。今日は腕によりをかけて料理を振る舞うと言って、女達が張り切っていたね。……そうか、そうするとお前さんは、シショさんの知り合いかい?」
 「シショさん?」オザンが思わず聞き返せば、男は鷹揚に頷いて、丘の更に向こうを指さした。「二年前、『キャラバン』から残った人がいただろう。ほら、トショカンってのを作ってる」
「……サナブ君のこと?」
「そうそう、そんな名前だ。やっぱり知り合いだったのか。それなら拾ったついでに、この石をトショカンまで持っていってくれないかい。丁度そこそこの量が集まったんで、シショさんの所へ持っていこうと思ってたんだ」
「これは、何の石なの?」
 シショというのは、恐らく司書のことだろう。そう推察しながらオザンが聞けば、男は少し考えてから、「見ての通りの『光る石』さ」と笑った。
「名前は忘れちまったが、この辺の畑で採れる石なんだ。シショさんから、この辺りの土地は深く耕した方が、麦がよく実るはずだって言われてね。やってみたら、麦は育つしこんな石まで出てきてさ。一部は商品にもするんだが、シショさんにはここの月光だけじゃ暗いらしいから、灯りにしてもらうために、ある程度溜まるとトショカンへ持っていくことにしてるんだ」
 「ふうん」気乗りしないままオザンが答えても、男は察する様子もない。「じゃあこれ」とずしりと重い箱を手渡され、笑顔で去っていく男を見送ると、オザンはまた大きく深い溜息を吐いた。
 
——俺、キャラバンを抜けようと思ってる。この次元に残って、打ち捨てられた本の管理をしたいんだ。
 唐突に聞かされたその言葉が、今もオザンの耳の内に残っている。
 『本の墓場』を経つ前日、荷馬車の中で荷をまとめていた時のことだ。
 はじめは、何かの冗談だろうと思った。様々な次元から迷い込んできた人々の集う、このキャラバンのメンバーはいつだって流動的で、オザンもこれまでに、もう何人もの人々が隊を離れるのを見送ってきた。しかたがない。そう言い聞かせるしかない。偶然か必然か、キャラバンに迷い込んだ人々のおよそ半数は『帰るべき場所』を知っており、そこに向かって旅をする。やっとの事で故郷を見つけ、喜ぶ彼らの邪魔をするなんて、そんな事は出来やしない。してはならない。寂しがりこそすれ、妬んではいけないのだ。共に喜ばなくてはならないのだ。
 それが『人の情』なのだから。けれど。
「隊長にも、もう了承は得てる。……旅立ちの前日まで、言えなくてごめん。でもこの次元の現状を知った時から、考えてはいたことなんだ。キャラバンでの生活は面白い事ばかりだったし、ティモやオザンと一緒に馬鹿やるのも本当に楽しかった。でも、……」
 話を聞く内に、なにやらむかむかとした感情が、オザンの胸の内にとぐろを巻いて現れた。この思いはなんだろう。やけに胸がざわつくのは、寂しいのとも悲しいのとも違うこの思いは、一体、何だというのだろう。
 気づけば身体が動いていた。ティモが止めたのはわかっていた。サナブの胸ぐらを掴んだことも、オザンははっきりと覚えている。それなのに、その後のことが曖昧だ。恐らく殴ったし、殴り返されもしただろう。だがすっかり頭に血が上って、細かなことは覚えていない。
「オザン、話を聞けって!」
 故郷には特に未練もなく、むしろキャラバンに加わっていれば様々な世界の本を物色できると喜んでいたサナブは、いつだって自分の知識を蓄えることにばかり貪欲で、それ以外のことには、まるで無頓着なように思われた。だからその彼が何かを成すために、単独でどこかの世界に残るなど——キャラバンを抜けるなどということは、それまで考えもしなかったのに。
 「なんでだよ!」何度も何度も、叫ぶようにそう問うた。
「そりゃ、サナブ君の好きそうな場所だとは思ったけど、でもそんな風に急に決めて、オイラ達には相談もしないでさ!」
「おい、二人ともいい加減にしろ! 喧嘩もうまくねーくせに、……」
「師匠の時も、ギヨ君の時も、リズさんの時も、みんな元の場所に戻るんだって言われたから、喜ばなきゃならないことだって言われたから我慢したんだ。そうじゃなきゃいけないって思ったから! でも、今回は違うだろ! オイラ、絶対に笑顔で見送ったりしないからな。絶対にイヤだからな!」
 キャラバンの内と外とでは、時間の流れる速さが違う。キャラバンの行く先は流動的であり、同じ次元を訪れるのが何年後になるやら定まらぬ上に、再び訪れたその場所は、キャラバンに与する人々が感じていたそれより、ずっと多くの歳月を重ねていることだってざらにある。
「でも、もう決めたんだ。俺は、ここに残る!」
 一度袂を分かったら、もう二度と会えないかもしれない。
 これは、そういう別れなのに。
「オイラはサナブ君のこと、友達だと思ってたけど、……サナブ君はオイラ達の事なんて、別にどうでもいいんだろ。目新しい本さえ近くにあれば、それで十分なんだよな」
 噛みしめるように発した自らの言葉が、じわりじわりと音を立てて、腹に影を落としていく。
(違う、こんな事が、言いたいんじゃなくて、……)
 息が苦しい。けれど、思いが言葉に変わらない。
 「ああ、そうだよ」聞こえたその低い声に、思わずびくりと肩が揺れる。見れば立ち上がったサナブが衣服を整え、オザンからふいと視線を背けて、こう言葉を続けてみせた。
「『そうだ』って言えば満足するんだろ? だったらそれで構わないけど」
 小さく息を呑む。しかし今度はオザンより先に、ティモが動いていた。
 鈍い音を立て、ティモの拳が荷馬車の梁を殴りつける。だが何を言うでもない。彼は先程までまとめていた荷が馬車内に散乱しているのをちらと見下ろし、大きく舌打ちすると、無言でその場を後にした。
 まさかこんな事になるだなんて、こんな風に気まずいまま、長くつるんだ友人と別れることになるだなんて、少し前までのオザンには、思いも寄らないことであった。
 しかしそれは確かに、オザンにとってはもう何度目になるかもわからない、ある別れの日の出来事となった。
 
 畑を抜け、小さな町を突っ切って、夜空の下をしばらく歩けば、例の『図書館』はすぐ目の前に見えてきた。
 ここらの家に使われているのとはいささか違った色合いの、煉瓦造りの建物だ。どうやらこの建物自体がまだ建築途中であるのか、増築でもしているらしく、見れば入り口は吹きさらしで、扉もはめ込まれてはいない。建物の右半分だけを見れば随分と立派な建物と思われるのに、左側を見れば今も数人の人々が煉瓦を積み上げているのを見れば、そのアンバランスさが何やら不思議に思われた。
「ごめんくださーい、……」
 控えめに声をかけ、本来なら扉があるべきそこをくぐれば、つんと黴臭いにおいが鼻をつく。古書のにおいだ。完成している建物の右半分には、既に大量の書物が収められているのだろう。
(そういえば、カールバーンさん達はもう丘に戻ったのかな?)
 耳を澄ましても図書館の中に、人の気配は感じない。ならばサナブも、まだこちらへは戻っていないと思いたい。こんなところで二人きりで鉢合わせてしまっては、気まずいにも程がある。
 薄暗い廊下を歩くため、先程の箱の蓋を開ける。名も知らないその石は、箱の中からでもきらきらと輝き、オザンの視界を拓いてくれた。
(スターリー君が居たら、この石がなんなのかわかったのかな。ああ、でも宝石ではなさそうだから、ストーンさんに見せたほうがよかったかな)
 石は図書館の誰かに託しておこうと思っていたが、どうやら中は無人のようだ。それならば、外で煉瓦を積み上げていた人々に渡そうか。それともいっそキャラバンへまで持ち帰って、そこを訪れたサナブ本人に渡そうか。この次元の人々も、明日にはキャラバンの品を見に来るであろう。そうなれば、顔を合わせる機会はあるはずだ。
 そんな事を考えながら、ひょいと書棚の並ぶ部屋を覗き込む。オザンが覗いたそこには、どうやら同系統の言語と思しき書が集められ、背表紙を揃えて整頓されている。
(これ、いつか見たことのある文字に似てるな。……あれは、みんなで妙な洞窟に迷い込んだ後だったっけ)
 洞窟内で見つけた石碑が、他の文字を解読するのに役立ちそうだと、サナブが熱弁を振るっていた。医学的な記述があったからとティモに話しているのを、オザンも話半分に聞いていたのを思い出す。
(あの二人が難しい話を始めると、オイラ、すぐ眠くなっちゃうからなぁ……。たまに一から説明してくれたけど、なんとなくしか覚えてないや)
 図書館の中を見て回れば、まだあちこちに、未分類と思われる本が山になって詰んである。
——オザン、話を聞けって! 俺は、
 山積みの本の側へ寄れば、書きかけのノートが数冊、辺りに散らばり落ちていた。他にも羽ペンにインク壺、誰かに差し入れられたのか、ビスケットまでもが床に置いてある。
——俺はここで、やりたいことを見つけたんだ!
「……あの時、あんなに苛立たしかったのは、」
 悲しさもあった。寂しさもあった。けれど、あんな風に食ってかかってしまったのは。
「オイラ、ヤキモチ妬いたのかなぁ。ねえ、どう思う? 花びらの尾」
 また溜息を吐き、件の箱をその場に置いた。サナブの仕事場であることは間違いないだろうから、ここに置いておけば、そのうち本人の手に渡るだろう。
 今日はもう、キャラバンへ戻ろう。そうしてさっさと寝てしまおう。どうせこの次元では、昼夜を問わず星空しか見えないのだ。多少早く眠ったところで、誰も咎めはしないだろう。けれどそう考えたオザンが、出口へと向かった、その時だ。
 聞き覚えのある歌が、不意にオザンの耳へと届いた。誰が歌っているのだろう。そんな疑問も脳裏を過ぎったが、同時に疑問がもう一つ湧いた。
 この歌声の持ち主は、一体何故、このメロディを知っているのだ。
 慌てて辺りを見回せば、歌声はどうやら、部屋の奥にある申し訳程度の窓の向こうから聞こえている。この建物の裏側で、誰かがこれを歌っているのだ。
 高い声だ。女性だろうか。耳を傾けている内に、より違和感が強くなる。所々音程が違うようにも思うが、間違いない。これは以前オザン自身が、ある次元の旋律を真似て作った曲である。
(一体、誰が——)
 慌てて部屋を出、廊下から裏に回り込む。声を追って進んでいけば、何の整備もされていない、裏口らしい出口を見つけた。そうして外へ飛び出せば、
 積みかけの煉瓦に腰掛けて、ひとりの少女が歌っていた。
 目が合う。彼女はいささか驚いたような顔をして、しかしすぐににこりと笑って見せた。
 そばかすの浮いた白い肌が、月光の下で仄かに瞬いている。
「『キャラバン』の人ね。もう丘に戻ったと思っていたけど、あなたははぐれちゃったのかしら?」
 悪戯っぽくそう言って、彼女がすっと立ち上がる。
「ううん、違うわね。さっき見た中にはいなかったもの。折角だから、当てて見せましょうか。サナブからよく話を聞いているから、私、ちょっと詳しいのよ。年齢的にはサナブと同じくらいかしら。ああ、でも見た目だけで判断しちゃいけない人もいるんだったわね。そう考えると、……」
 迷う素振りをさせながらも、彼女の目は既に真っ直ぐオザンを見ている。そうして彼女は無邪気に笑い、両手でオザンの手を取ると、「はじめまして」とまず言った。
「私、サナブの助手をしているビナと言います。あなた、オザンさんよね? 色々と話を聞いていたから、一度お会いしてみたかったの」
(つづく)

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