吟詠旅譚

風の謡 第一章 // 「別れの唄」

004 : The Imperial Guards -1-

 アルトはしばらく、その奇妙な試合を眺めていた。
 同じ顔をしているだけでなく、背丈も同じほど、年もそう変わらない様子だから、もしかしたら双子だろうか。親でも見分けがつかないほど似ていることがあるとは聞いたことがあったが、こうして見るのは初めてだ。
 見ている分には奇妙な感じがしたが、こうして観察していると、戦い方にはそれぞれ癖があり、二人がやはり別々の人間なのだということが知れた。片方、威勢の良い方にはストレートに力のこもった一撃があるが、もう一人にはどんな技を仕掛けられても受け流す、柔軟性がある。
 それにしても、こんなふうに誰かの戦っている姿を見るのなど何年ぶりだろうか。普段は近衛の稽古など見に来ないし、最近では自分の稽古までサボりがちだ。
 見ているうちに、片方が大きく態勢を崩した。立っているのは、ストレートな剣技で勝負をしていた方だ。
「三百七十八戦中、百八十五勝……」
「百八十五勝百八十五敗八引き分け。ちぇ。ここしばらくリードしてたのにな」
「リードって言ったって、二試合分程度だろ?」
「まあね。……ねえ、だけどね、一つ言わせてもらえるなら、僕ははやめに試合を終えなくちゃと思ったんだ。随分言い訳じみているけど」
「なんだよ」
「だって」
 双子の一人がためらいもなく、真っすぐにアルトの方へと視線をやった。目があって、アルトは思わず目を瞬かせる。もう一人も視線を追うようにアルトの方へ視線を向けたので、二つの同じ顔に見つめられる形になってしまった。言うまでもないが、珍妙なことこの上ない。
 互いに顔を見合わせながら、三人はしばし黙っていた。次第に負けた方の騎士の顔がにへらとして、対照的に、勝った方の騎士の顔が引きつっていく。
「やばい! シロ、ずらかるぞ!」
「ずらかるなんて。クロちゃんってば、盗賊みたいだよ?」
「バカ、そんなことを言ってる場合か!」
「わかってるわかってる。隊長に知れたらクビかもだもんね、僕たち」
 緊張感なく笑っている相方を睨み付けると、一人がさっさと走っていってしまう。驚いたアルトはしばらく事の成り行きを見ていたが、ふと気がついて、立ち上がった。
「待てよ! 逃げなくて良い。闘技場の無断使用のことなら、黙っておいてやるから」
 それを聞いて、先に走り出していた方の騎士がはたと足を止める。アルトは慌てて観客席から下へ降りると、自らも舞台の上へとよじ登った。
「おまえ……マラキア宮の人間か?」
 聞かれて、アルトは頷いた。嘘ではないから良いだろう。
「お前達は、スクートゥムの近衛騎士だろ? 着いたばかりですぐに稽古なんて、随分元気が良いんだな」
「そんなこと、どうだって良いんだ」
 騎士の一人、ストレートな戦法で戦っていた方が、きっぱりとそう言い切った。意志の強そうな瞳が、すっとアルトの方へ向く。
「それより、本当に誰にも報せないだろうな?」
 マラキア宮に、少年近衛騎士はいない。そうでなくともこんなに砕けた物言いでアルトに接するのは、普段もデュオくらいのものである。本来ならば無礼な物言いであると厳罰に処するべきなのだろうが、アルトは逆に気が良くなって、頷いた。
「誰かに言いつけて、何になる?」
 アルトがにやりと笑ってみせると、相手の仏頂面も緩んだ。アルトの登場にも動じなかった方の騎士が、その隣で苦笑する。柔らかい質の髪が、ふわりと揺れた。
「ごめんね。クロちゃんってば、初対面とか関係ないから……。僕はシロフォノ。こっちが双子の弟で、クロトゥラ。君は?」
「俺は、アルト」
 平然とそう名乗って、アルトは少し、帽子を緩ませた。スクートゥムからやって来たばかりのこの二人が、マラキア宮の主の顔を知らないのは好都合だ。
「この闘技場は滅多に使われないから、もし無断使用がばれたとしたって、誰も咎めたりはしないさ。たった三人でも、人がいることの方が珍しいんだ」
「こんなに良い闘技場なのに?」
 驚いた様子でクロトゥラが言う。アルトはふと思い立って、二人の提げた剣へと視線をやった。稽古用の、刃の研がれていない剣。これならアルトも、いくらか扱ったことがある。
「なあ。次の試合、俺も参加して良いか?」
 アルトが言うと、二人は少々驚いたようだった。使用人のようなアルトの今の身なりでは、剣など少しも持ったことがないように見えるのだろう。その証拠に、クロトゥラが苦笑しながらこう言った。
「一応言っておくけど、俺たち、これでもスクートゥムの近衛騎士だぜ?」
「それは知ってる」
「怪我しても知らないぞ」
「構わない」
 断言したアルトの言葉を聞き、シロフォノがにへらと笑ってみせた。「それじゃあ」と言ってアルトに剣を持たせると、自分は審判位置の方へと歩いていく。そうしてふと振り返り、弟にむけてこう言った。
「クロちゃん、あんまりなめてかからない方が良いかもよ」
 クロトゥラが何かを聞き返す前に、審判位置に立ったシロフォノが、重々しく右腕を上げる。試合開始の合図だ。
 アルトが地面を蹴るのと同時に、クロトゥラも剣を構えて向かってきた。正面へ向かって剣を振り下ろす。クロトゥラがそれを軽々受け流したのを見て、アルトは受け流されるまま、剣を横へ逸らした。力での押し合いになったら負けてしまうだろうと、先程の試合を見て確信していたからだ。
 しかし無防備な体勢のままではいられない。アルトは剣を右腕だけで握ると、左足を大きく引いて半身になる。クロトゥラの剣が空を切ったのを見て素早く持ち直すと、距離をとって互いに牽制した。
「アルト。おまえ、剣を習ったことがあるんだな」
 クロトゥラが言ったので、アルトは浅く頷いた。一時は、剣の稽古が何にも勝る暇つぶしだったのだ。しばらく離れていたために腕は随分落ちてしまったが、相手を手こずらせるくらいならば何とか出来そうだ。
 アルトは心底楽しんでいた。長旅の後ですぐに自主稽古などと、物好きな奴らとも思ったが、確かにこれなら気持ちもわかる。彼らにとっての剣技は、戦い以前にスポーツなのだ。互いの力を高め合い、互いを思い切りぶつけ合うための。
「けど、まだまだ初心者だな!」
 言って、クロトゥラがもう一度地面を蹴った。アルトは剣を逆手に持って、クロトゥラのそれを受け止め、はじき返す。震える金属音がおさまる前に、クロトゥラが今度は剣を横へと薙いだ。アルトは逆手に持ったまま持ちかえることも出来ず、相手の剣を受け、弾く。それを何度か続けるうちに、段々と腕がしびれてきた。
(このままじゃ、圧し負ける!)
 クロトゥラの剣が高い位置を薙いだのを見て、咄嗟に体勢を下へ落とした。すぐに立ち上がって剣を構えなおすと、それを正面へ振り下ろす。クロトゥラは読んでいたかのようににやりと笑って、それを腰から引き抜いた鞘で受けた。
 アルトが驚いて息を呑んだ、その瞬間。クロトゥラが鞘を手放し、勢い余ったアルトの剣の切っ先が、大きく落ちる。そのすぐ隣でクロトゥラが剣を振り上げ――
「そこまでだ!」
 闘技場の入り口から、憤慨した声が聞こえた。驚いたクロトゥラが動きを止めて、振り返る。アルトも上がった息を整えながら、剣を下ろして入り口を向いた。いつの間にかかいていた汗が、つうっと頬を伝う。
 同時に、目眩がした。試合のせいではない。こちらへ向かってやってくる、二つの人影を見てしまったからだ。

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