吟詠旅譚

太陽の謡 第三章 // 砂中の灯

043 : Joculator -1-

「盗賊に、……」
 呟いて、脳裏に地図を思い浮かべる。ガアラの町といえば、道中何度か聞いた名だ。確かアバンシリより北西に位置する地名だが、そこからアバンシリへ至るためには、北方の大砂丘を避けて通る必要がある。南西の方角からやってきたラト達も、近い道を通ったはずだ。
(実際、アバンシリへ着く少し前に、キリが話していた旅人は、ガアラの町から来たと言ってた、……)
 ふと、途中で精霊達の警告を受け、避けた進路があったことを思い出す。何も知らぬ旅一座は、その進路を通り、盗賊に襲われたということだろうか。
「俺は担架になりそうな板とか、布とか、そういうのを集めて行くから、先に行っててくれよ」
 男が勝手に話を進めるのを聞きながら、ほんの一瞬思案する。怪我人の手当。盗賊に襲われたのであれば、報酬を期待できそうにはないが、行ってみる価値はありそうだ。とりつく島もなかった昨日に比べ、鷹匠の青年に薬を売ってから、人づてになんだかんだと仕事が回ってきている。薬の代金を得られるだけでも、ラトにとっては上出来であったのに、ここの女店主など、『知識に対する代価』などと言って、金額を上乗せしてくれたほどだ。
(品物を売るばかりが商いじゃない、ってことだ)
 町を学び、人を学び、商売を学ぶ。そうだ、――クレモナという予期せぬ客の来訪に、すっかり時間を取られてしまったが、――ラトには他に、するべきことが幾らもあるではないか。
「行ってみます。怪我人は、今どこに?」
 店の奥へ入っていってしまった男の方を覗き込みながら、そう声をかければ、「セザン広場だ」と簡潔な答えがある。セザン広場。そう言われても、土地勘のないラトにはぴんとこない。昨日いくつかの広場を横目に眺めたが、その内のいずれかが、そういう名前だったのだろうか。
「なら、薬師先生のことはあたしが道案内するよ」
 ラトの心中を読んだかのようにそう申し出たのは、クレモナをこの店まで連れてきた、あの女性である。確かルクサーナと呼ばれていただろうか。彼女は店の椅子にもたれ掛かるように腰掛けたまま、ラトに向かってひらひらと手を振り、「昨日この街に来たばかりじゃ、広場の名前を言われてもわからないだろう?」と笑みを作る。
「はい。あの、助かります」
「いいのいいの。昔からオアシスではね、寄せ集まった人間同士、助け合わないといけないことになってるんだから。女将さん、水瓶借りていくね」
 そう言って彼女はからりと笑い、両手に水瓶を抱えると、ラトにも二つ手渡した。「途中に井戸があるから」と言われ、頷く。だがその態度に、何やらいささか違和感があった。
 随分手慣れた対応ではないか。そういえば先程の男も、近くで盗賊が出たというのに、それ程焦った様子はなかった。もしかするとこういう事が、この町ではよく起こるのだろうか。
 それに、違和感と言えばもう一つある。
「……、昨日この町へ来たばかりだって、僕、言いましたか?」
 問うてみれば、ルクサーナがふと立ち止まり、くるりとラトを振り返る。切れ長なその瞳が、楽しそうににやりと笑んだ。
「言ってたよ。昨日、ウチで飲んだくれてた時にね」
 どうやらこの女性にも、昨晩の失態を見られていたらしい。ラトが言葉を詰まらせる一方で、ルクサーナは構わず支度を済ませると、ラトの居る方へ歩み寄る。だが次の瞬間、彼女が手を差し伸べた相手はラトではなく、――
「行くでしょ? あなたも」
 あまりに自然にそう言った、ルクサーナの前に立ち尽くしていたのは、涙を堪える様子で眉間に皺を寄せていた、クレモナである。
「ごめんね、話の途中だったのに。行きましょ。あたしが手を引いてあげるから」
 「えっ?」と聞き返す二人の声が、その時ぴたりと重なった。一つは眉をしかめたラトの声、もう一つは、弾かれたように顔を上げたクレモナの声だ。彼女はラトの袖口をぎゅっと握りしめたまま、しかし「いいの?」と恐る恐る、ルクサーナに問いかける。
「何か話したいことがあったから、あんなに一生懸命、この先生のことを探してたんだろう? 何の話かは知らないけど、うまくまとまったようには見えなかったし、それに、――」
 それまではクレモナを向いていたこの女が、唐突に、くるりとラトを振り返る。その表情は笑んでいた。だが、
「薬師先生、これだけは覚えておきなさい」
 静かに聞こえるその声は、明らかな怒気を含んでいる。
「一人前の男になりたければ、――そうおいそれと、女を泣かすもんじゃないよ」
 
「この町には全部で九つの広場があってね。その内、西の砂漠側にあるのがセザン広場なんだ。この時間は市が立っているはずだから、旅一座は多分、祈念碑の辺りにいると思うよ。砂漠には、ならず者も多いからね。今回の一座みたいに、この町へ命からがら逃げてくる人達も多いんだ。だから町の人間も、こういうことには慣れててね、……ほら、ラトももっときびきび歩いて。怪我人が待ってるんだから」
 人混みの中をするすると通り抜けながら、ルクサーナがそう言い振り返る。ラトはその後をやっとの事で追いながら、「はい」としぶしぶ頷いた。天秤棒に吊して担いだ水瓶から、ちゃぽんちゃぽんと水の音。すれすれまで水の入った水瓶を、四つも担がされている。男手は一つなのだから当然だと言われ、致し方なく井戸からここまで、ラト一人で担いできたのだ。
 水運びはマカオでも日常的に行っていたし、その事自体は良しとしよう。だがそれにしたって、こちらは水の他に薬剤の入った鞄も担ぎ、慣れない人混みの中を歩いているのだ。多少の遅れは大目に見てもらいたいものである。しかしクレモナの手を引くルクサーナは、難なく彼女を誘導しながら、どんどん先へと行ってしまう。
「あの、盗賊が、……この町まで追いかけてくるようなことは、ないのかしら」
 不安げに問うクレモナに、ルクサーナが明るく笑う。「大丈夫よ」と返す様は、気心の知れた友人同士かのようだ。
「オアシスは中立地帯だからね。争いごとを持ち込まないって掟があるのさ。町の中では抜刀も禁止。流血沙汰なんて起こそうものなら、町の人間総出で滅多打ちにされるからね。盗賊だって、そうそう馬鹿な事はしないんだよ。だから、町の中にいれば安全さ」
 「そう」と答えるクレモナも、もう随分とルクサーナに懐いて見える。
(一体何なんだ……)
 クレモナが泣こうが喚こうが、ルクサーナにはなんの関係もない話であったはずなのに、何故こうも構いたがるのだろう。女同士の連帯感に奇妙を覚えながら、しかしはっきりと文句も言えないまま、ただ黙々と先導に従い歩いて行く。そうしてしばらく行けば、前を歩くルクサーナが、「ついたわ」と明るい声を上げた。
 ようやくか。首筋に浮いた汗すら拭えないまま顔を上げれば、確かに、これまで左右の視界を遮っていた建物の陰が尽きている。代わりに先には拓けた空と、色とりどりの布が張られた、巨大な幕屋が見えていた。
「おや。どの程度盗賊にやられたのかと心配したけど、興行用の幕屋を建てるくらいの余裕はあったみたいだね」
 見聞したルクサーナがそう言えば、「興行用の幕屋?」とクレモナが聞き返す。
「そう。普通の幕屋の何倍も大きな骨組みで、象でも入れるような大きな幕屋を張ってあるのさ。この広場には備え付けの舞台があるから、見世物自体はそこでやるんだろうけど、ああいう旅一座は事前に見世物のネタがわれないよう気を使うからね。ああやって大きな目隠しで、道具の類を覆い隠しちまうのさ。クレモナ、象がどんなものかは知ってる?」
 先程までの涙はどこへやら、問われたクレモナは「ええ」と明るい声で答えて、興奮気味にこう返す。
「象なら知っているわ。わたくし、乗ったことだってあるもの。でも、……そうね、かなり大きそうだったわ。そんな生き物ですら入れる幕屋なら、さぞかし立派なのでしょうね」
 そんなやりとりを聞きながら、ラトは服の袖で汗を拭い、広場をちらりと見回した。
 大きな広場だ。中心に立った石塔は、ルクサーナが話していた祈念碑だろうか。人の身長の三倍はありそうなその塔のそばには、石で作られた広い台があり、くだんの幕屋はその向こう側に建てられている。だが見る限り、観客席の類はない。舞台らしき石台の手前の空間には、ずらりと市が立っているのだ。
「見世物が始まる頃には、この辺りの市場が片付いて、全て観客席になるんだよ」
 そう話し、ルクサーナがまた進んでいく。きょろきょろと辺りを見回しながらその後に続き、しかしラトは幾らも行かぬうちに、ある物を見つけて足を止めた。
「ルクサーナ。……すぐそこにも、井戸があるけど」
 不満を隠さずそう言っても、ルクサーナはお構いなしだ。「あたし達が汲んだ井戸の水の方が、良い水なのよ」と無邪気にそう言って、またさっさと歩いて行ってしまう。
 それを聞いたクレモナが、くすりと笑ったのがわかる。それをちらと睨み付け、しかしラトは、またすぐに深い溜息を吐いた。こうして視線で訴えたところで、目の見えぬ彼女にはなんの効力も成さないことを、苦々しく思い出したのだ。
(なんにせよ、今はこれ以上、この二人を敵には回すまい……)
 自らにそう言い聞かせ、ルクサーナ達の後を追おうと歩き出す。しかし、
 不意に視界に入ったそれを見て、ラトはもう一度足を止めた。
 市場の屋台を挟んだ一つ向こうの通路を、何某かの大きな荷が通り過ぎていく。布ですっぽり覆われているが、周囲の屋台程度なら、ひとつすっぽりと入ってしまいそうな大きさの、箱状のものだ。台車に乗せてあるのだろうか。それを、ボロ布を纏った人間達が三人がかりで押していく。
 その人員のみすぼらしい服装も気になったが、しかしそれ以上に、何故だかラトはその箱から視線を逸らすことが出来ず、じっとそれを見送った。よく見れば、布の上から巻かれているロープが、一部解けてたなびいている。その隙間からほんの一瞬、布の中身がラトにも見えた。
(檻……?)
 ちらと見えたそれは、どうやら鉄格子のようであった。そういえば先程、象がどうとかと言っていた。もしかすると、その手の獣が入れられてでもいるのだろうか。
(象は、本の挿絵でしか見たことがないな)
 だがレシスタルビアの東方では、よく見る動物らしいと読んだことがある。もしかすると、旅一座が何らかの演目のために連れてきたのかもしれない。
「ラト、こっちだよ!」
 ルクサーナに呼ばれ、慌てて再び歩みを進める。荷物を持って、喧噪の中を歩むのは困難だ。だが水瓶を担いだままのラトは、それでも例の大荷物を追い越して、またルクサーナの後へと続いた。市場の区画を通り抜けると、遠目に見えていた大きな幕屋のそばに、他にも幾らか小さな幕屋が建てられているのが見て取れる。
「薬師を連れてきたよ。怪我人はどこだい?」
 ルクサーナが問うたのは、新たに幕屋を建てようとしていた男であった。体格は良いが、先程の荷を押していた人間達と同じように、随分とボロを纏っている。この強い日差しの中、身に纏っているのはほとんど布きれ一枚と言ったような出で立ちなのだ。見れば彼自身も左の肩口に傷を負っているのに、手当てをされた痕跡もない。
「手当てを、……」
 早速ラトが薬を取り出そうとすると、何やら随分と慌てた様子で、相手が首を横に振る。そうして彼は何も語らぬまま、身振りで、奥の幕屋へ顔を向けた。
「手当てが必要なのは、あっちだね」
 心得たといった様子でルクサーナがそう言えば、男が小さく頷いてみせる。ただじっと口をつぐんだままのその表情から、その思惑を汲み取るようなことは出来ない。
 奥の幕屋に、彼より重傷を負った怪我人がいるという事だろうか。しかし、――
「見たろ、あの肩」
 ルクサーナに問われ、頷いた。「刀傷だ」とラトが答えれば、ルクサーナが些か驚いた様子で、はっとラトを振り返る。
「違う、右肩だよ。焼き印があっただろ」
「焼き印? 人間の肌に?」
 怪訝に思い問い返せば、ルクサーナがちらとラトを見て、「そう」と簡潔に頷いた。「見たことないのかい」と続くその言葉に、何やら歯がゆい思いがする。答えを急いた、ラトの様子に気づいたのだろう。ルクサーナはやれやれと肩を竦めると、また端的にこう言った。
「奴隷だよ。さっきのはね」

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