吟詠旅譚

太陽の謡 第三章 // 砂中の灯

037 : Crusis -2-

「人捜し、……」
 ラトがきょとんと繰り返せば、鷹匠はまたにこりと笑んで、邪気のない様子で頷いた。
「そう。捜してくれって依頼を受けて」
「相手は、この町の人なんですか?」
「ううん、旅人なんだ。ここ数年、レシスタルビアの西域を放浪している人物らしくてね」
 そんな話をしている内に、ふと、二人の近くの席が空く。鷹匠の青年が何気なくそれに腰掛け、正面の席をラトに勧める素振りをするのを見て、ラトもそれに従った。疲れ果てた足が悲鳴を上げていたこともあるし、ちらりと様子を窺ったキリも、例の傷の男との話を続けている。まだしばらくは、どうせ時間を持てあますことになるだろう。
「……、その口ぶりだと、相手は知り合いですらないって事ですよね」
 やっと一息つける、とばかりに店員に注文を申しつけた青年にそう問えば、彼は相変わらずの笑みを浮かべたままで頷いた。「そう、仕事として引き受けただからね」
「人捜しが、仕事」
「本業じゃないけど、足跡を辿るのは得意なんだ。それで色々と手がかりを集めている内に、どうもそろそろこの町を通るんじゃないかって情報を得て、待ち構えてたんだよ」
 人捜し。確かにここを訪れるかどうかもわからぬ旅人を、ただでさえ人間のごった返す大オアシス、このアバンシリの町で。
 一体、誰を、どのように、見つけ出すつもりでいるのだろう。途方もない話だが、好奇心が湧いて出た。その好奇心が、顔にも表れてしまったのだろうか。瞬きしたラトを見て、鷹匠の青年はくすくすと面白そうに笑ってから、問いを待たずに「ご心配には及ばない」と先んじる。
「目的の人物は、もう特定済みだからね」
「どうやって」
「その人物が接触しそうな相手や場所を、洗いざらい調べたり」
「それだけで?」
「今までに調べた履歴から、相手が選びそうな宿や店を見繕って張り込んだりもしたかな。やり方は色々あるよ。一見無茶な依頼でも、目的がなんなのか、それを果たすために何が必要なのかを考えて、一つずつ実行に移していけば、案外道は見つかるものさ」
 得意げに青年がそう話す傍ら、その腕に止まった鷹が居住まいを正すかのように、羽を広げてまた閉じる。その一方で、こちらへ寄ってきた店員が、無愛想にラト達の机へグラスを二つ置いたのを見て、ラトは眉間に皺を寄せた。一つはこの鷹匠の注文した分なのだろうが、もう一つには覚えがない。間違いではないだろうか。そう考えたラトが慌てて店員を呼び止めようとするのを、鷹匠の言葉が遮った。
 「おごるよ」と笑う様子は、何やらやけに大人びて見える。
「ごめん、僕の話ばかりしちゃった。これもご縁だし、君の話も聞かせてよ。君はどこから、この町に来たの?」
「えっ? あ、僕は、」
 マカオから、と素直に答えかけ、慌てて言葉を詰まらせる。相手にとっては何気ない世間話にすぎぬのだろうが、あまり馬鹿正直に答えてはまずかろう。キリは上手く言いくるめたと話していたが、バーバオの人間の中には、ラトの生存を疑う声もあったという。こうして人捜しを生業にする人間が居るくらいだ。旅の痕跡は出来る限り、残さぬ方が良いはずだ。
「僕は、その、西の方から」
 いくら何でも、漠然としすぎていただろうか。しかし鷹匠は気にした様子もなく、空中に地図を描くかのように指を動かすと、「それじゃ、これから暁の都へ?」とラトに問う。
「どうしてわかったんですか」
「そりゃ、西からわざわざ砂漠を越えて、アバンシリまで来たんでしょう。このまま更に、東に行くんだろうと思ってさ。でも、何をしに? 僕、最近まで都にいたから、都のことはちょっと詳しいよ」
 「どの宿が安いかとか、どの食堂が美味しいかとか、聞きたい?」明るい声でそう問われ、ラトは思わず苦笑した。疲れ果てていたはずが、ついつい相手のペースに流されて、すっかり話し込んでしまっている自分に今更ながら気づいたからだ。
「……、占者を育てるマドラサのこと、何か知っていますか」
 試しに一つ尋ねてみれば、「キハナ・マドラサ?」と青年が聞き返す。ラトが頷くと、彼は少し考えてから、「確か、西の大通りにあったマドラサのことだと思うけど」と記憶を辿る様子で言った。
「もしかして、そこが君の目的地なの? 君は占者より、医者になる方があいそうだけど」
「僕じゃなく、その、……妹がそこにいるはずなんです。面会が出来ればと思って」
「ああ、それで。キハナ・マドラサには行ったことがないけど、マドラサは大抵、入り口の門番に用件を伝えれば、中の学生まで話を通してもらえるよ」
 「妹さんに会いに、キハナ・マドラサへ、ね」鷹匠がそう繰り返し、その言葉を咀嚼するように、二度大きく頷いた。
「すぐ発つの? それとも、まだしばらくアバンシリに?」
「数日後には、発つつもりです」
「そっか。まあ、その方が良いだろうね。都の辺りは標高も高いし、冬場は相当厳しいらしいから、冷え込む前に着くよう、調整することをお薦めするよ。それに、……」
 鷹匠がにこりと微笑んだ。何故かそれにつられるように、ラトもちらと顔を上げる。食堂の中は相変わらず、喧噪にごった返していた。酒を呷っては笑い声を上げる者、店の人間に絡む者、己の武勇伝らしき事柄を、大声で周囲に宣う者――。だがそんな中で、正面の席でグラスを傾ける、この鷹匠の青年と再び目があった、その瞬間。
 ラトはぎくりと、思わず肩を強ばらせた。
 先程までは人懐っこい笑みを浮かべていたその青年の表情が、今は何やら張り詰めて見える。否、彼自身の表情は先程までとそう変わらないように見えるのに、彼を取り巻いていた精霊達が、急に居住まいを正したかのように感じたのだ。
 一体何だというのだろう。この緊張感は、
 何を意味しているのだろう。
「それなら『処刑祭』を見学するにも、十分間に合うだろうからね」
 処刑祭。
 さらりと続いた彼の言葉が、ラトの注意を他所へと逸らす。その祭のことならば、以前キリからも聞いていた。ブルの月に暁の都で行われるという、例の祭のことだろう。父親殺しの王族が、レシスタルビアで裁かれるのだと言っていた――。
「話は済んだ」
 唐突に聞こえた低い声に、弾かれたように顔をあげる。そうしてみて初めて、ラトは鷹匠の青年の側へ、いつの間にやら大柄な男が佇んでいたこと、そして――その男の顔に、見覚えがあることに気がついた。
(顔に傷、……さっきまで、キリと話していた人……!)
 咄嗟に立ち上がったラトの様子を横目に、青年が鷹の羽を撫でる。「首尾はどう」と問う声は、先程までラトと話していた時と同じように、楽しげだ。
「他人の指図は受けんとさ」
「そっかあ、残念」
「穏便に済ませたかったが、それならそれで、こちらにもやり方がある」
「おっと、物騒な話は後にしよう」
 青年がひょいと左腕を上げれば、鷹が軽やかに飛び上がり、相手の男の肩へ乗る。慣れた様子だ。ぶかぶかのグローブといい、もしかすると鷹の主人は、元々この傷の男なのかもしれない。
「まあ、問題はないよ。別のルートで裏が取れたからね。僕らが策を講じずとも、将軍との約束は果たされる。期日にも間に合いそうだ」
 グラスを一気に傾け、立ち上がった青年が、にやりとラトを振り返る。そうして空いた両手をひらひらとふり、「そろそろ行かないと」とまず言った。
「君達と都でまた会えるのを、楽しみにしてるよ」
 『君達』。彼の言葉には含みがある。
「別のルートっていうのは、僕のこと? キリの関係者だと知っていて、話しかけたの?」
 睨みがちにラトが問えば、彼は笑った。やはりそうだ。彼はおそらく、目的の人物――キリに関する何かしらの情報を得るために、ラトに近づいたのに違いない。
「実際、薬も欲しかったんだけどね。色々と話せて楽しかったよ。君、名前は?」
「……これ以上の情報は、高いよ」
 悔し紛れにそう言えば、相手はまた楽しげに笑ってみせる。だが同時に。
「ああ、ラト。ラト・ヘリオス君。もうこっちへ来てたのか」
 当てつけのようにそう呼ぶ声は、キリのものだ。胸の内に湧いた靄へ舌打ちしそうになるのを、辛うじて堪えて振り返れば、相変わらずの飄々とした態度でキリがそこにいる。
 酒でも飲んだのだろうか、心なしか顔が赤い。見ればやはりと言うべきか、右手に大瓶をぶら下げた出で立ちだ。
「ケチだな。名前くらい教えてやれよ。ついでにハティアの正体と、妹の居所も調べてもらえ」
「はあ? 何言って、……。酒くさっ……」
 無理に肩を組まれたラトが、不快感に顔をしかめても、キリは全くお構いなしだ。そんな様子を見ていた鷹匠達は、どうやら長居は無用と判断したようで、さっさと背を向け去ろうとする。
「おい、あんた。マルカートとやら」
 キリに呼び止められ、振り返ったのは、顔に傷のある大柄な男の方だ。男が「なんだ」と短く問えば、キリはいくらか姿勢を正し、ほとんど空になった酒の瓶を相手に突きつけて、はっきりとした口調でこう言った。
「帰って依頼主に伝えろ。なんでもかんでも、お前の思うとおりになってたまるか、ってな」
 「――、承知いたしました。その通りにお伝えしましょう」やけに格式張った態度で返したのは、鷹を手放した青年の方だ。それから彼はちらりとラトに顔を向け、「それじゃ、またね」と微笑んだ。
 夜も更けた食堂の雑踏の中に、二人の姿が消えていく。このまま行かせて良いものだろうか。そうは思うものの、酒臭いキリは肩を組んだまま放そうとしないし、彼らを引き留める言葉も、明確な理由もラトにはないのだ。状況を判ぜぬままそれを見送ったラトは、ちらとキリを見、大きく深い溜息を吐いた。
「今の、――僕の名前、わざわざ教える必要あった?」
「だってお前、さっきの感じじゃあ、俺が都に向かってるってバラしちゃったんだろ。折角隠してたのにさ。だから仕返し」
 すかさず聞こえた返答に、致し方なく不平の言葉を呑みこんだ。酔っ払いの言う「仕返し」は訳がわからなかったが、ラトがキリにとって不都合な情報を話してしまったことは、確かなのだろう。
 ラトが再び溜息を吐く一方で、「飲み直そうぜ」とぼやいたキリが、ぐいとラトの肩を押す。
「待って、キリ。僕はもう休みたいんだけど」
「バカ言うな、オアシスだぞ? 旅人が、一体何のために砂漠を旅すると思う。オアシスの夜を楽しむためだろ?」
「はあ? そりゃ、キリは勝手にすればいいけど」
 組まれた肩を引きはがそうと、思い切りキリの足を踏む。それでもキリは引き下がらない。更に深く溜息を吐き、キリの顔を覗き込む。
 砂漠を旅する何でも屋。この旅の連れについて、ラトが知っていることなど高が知れているのだが、それにしたってこんな風に酔っている姿は初めて見た。タトリーズの町や、旅の途中でも度々酒を飲んでいたようではあったが、顔色一つ変えてはいなかった。それに少し前まで、傷の男と話をしていたはずだ。ならばこの短時間に、余程強い酒を飲んだのだろうか。
 そうだとしたら、それは何故。
 「何かあったの」気乗りしないながらもそう問えば、「ええ?」と笑いを含んだ相槌がある。
「あんた大概変わってるけど、今日は特に変だ」
「ラト君ほどではないけどなあ」
「……。さっきの人達、何者だったの」
「知人の知人。つまり、赤の他人」
「向こうもそう言ってた。仕事として依頼を受けて、キリを探してたって」
「だろうな。特にガキの方は」
 ガキというのは、はじめに鷹を連れていた青年のことだろうか。言われてみれば、キリよりは幾らか年下だったのかもしれない。だがラトにとってみれば、こうして酒気を帯び、ラトの肩にもたれ掛かってようやく立っているキリよりも、先程の青年の方が幾らも大人びて見えたのだが。
「友達が死んだらしくてさ」
 唐突に切り出されたその言葉に、「えっ?」と思わず聞き返す。するとキリはからから笑って、「だから飲もう」とラトに言った。
「亡くなったって、その、どうして」
「友達って言うか、正しくは親父の友達なんだけど。だから飲もう、ラト。思いっきり」
「飲もうって、そんな不謹慎な」
「不謹慎? そんなわけないだろ。酒が好きな友達だった。そういう送り方もある。行こう。飲もう。だから飲もう」
 ぐいぐいと肩を押され、ラトはまた深く溜息を吐いた。最早「飲もう」しか言わないキリを、言いくるめるのは困難だろう。「少しなら」と答えれば、キリはまた調子外れに笑ってから、「美酒の味を教えてやる」と意気込んだ。
 友人が死んだとキリは言った。こんな風に調子を崩すくらいなのだから、きっと大切な友人だったのだろう。「そういう送り方もある」。キリはそうも言った。そんな考え方もあるのかと、やけに新鮮にそう思う。ばあさまを看取った時にも、タシャの死を知った時にも、ラトはちっとも、そんな気分にはなれなかった。
(でもこう見えて、落ち込んではいるんだろうし)
 ラトだって、今日は落ち込むことばかりで疲れ果てているのだが、少しくらいキリに付き合っても良いだろう。色々と世話にもなっている。義理を果たそう。そう思う。しかし。
「どうせなら、綺麗なお姉さんの居る店にしようぜ。ラト君もそろそろ、そういうの覚えといた方が良いと思うし? ハティアとどういう関係なのか知らないけど、触れないんじゃ物足りないだろ?」
 無邪気な笑顔を浮かべたキリが、当然のようにそう問うた。
 思わずその場に足を止め、同時に眉間に皺を寄せる。この男は、一体何を言い出すのだ。
「別に、そんな風に思ったことないし、大体、……」
「またまたー、ハティアって昼間はアレだけど、夜の姿は可愛い方だし、あれだけ懐かれたら、ラト君だってそういう気分になったこと、あるだろ? 絶対」
 その瞬間、ふと、棺の中の世界に居た頃のことが、ラトの脳裏に湧いて出た。鐘楼で色づいた町を初めて見た時、タネット川の濁流に呑み込まれた時、ラトに触れたハティアの肌がやけに温かく、
 柔らかかったのを、思い出す。
「おや、身に覚えがあるようだ」
 にやにやと話すキリの笑顔に、気づかぬうちに気色ばむ。肩を組まれたラトの腕が、咄嗟にキリの首に伸びた。そうして捕らえたその首を、渾身の力で締め上げる。
「……、……ハァ?」
 そう聞き返すラトの声には、容赦のない怒気が籠もっていた。

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