吟詠旅譚

海の謡 番外編 // 青いリボン…のおまけ

番外編 : 青いリボン-おまけ-

(黄色いリボン……と、いってもなぁ)
 心の中で独りごちて、辺りをちらと見回してみる。そんな事をしても、今彼が立っている場所――軍の執務室でそれが見つかるはずのない事は十分理解のあるところだったが、しかし他にどこで見回せば見つかるだろうかと考えてみても、答えは出そうになかったのだ。
 腕を組み、首を傾げて、セーマは短い溜め息をついた。
 ノクスデリアスから「リボンの付いた箱を探せ」と突然言い渡されてから、既に一週間が経っている。始めはリボンさえかかっていれば何でも良いのだろうと思っていたのだが、昨日持参した青いリボンの箱は、どうやらお気に召さなかったようだ。
(かといって――)
 人口の九割が男性で構成されている軍の訓練所を思いだし、セーマは切ない溜め息を付く。あいにくだが、リボンをかけたプレゼントをやり取りするような相手がいないものだから、そういったものは滅多に手に入らないのである。
(シダ……は、少し前なら持っていたかもしれないけど、今、そんな話題をふったら殴られるか。ティラにも聞いてはみたけど、彼女もあまり、リボンなんかを取っておくタイプじゃないしなあ)
 実家に手紙を出してみようかとまで考えたところで、セーマははたと思考を止める。考えに没頭するあまり、仕事に必要な書類を忘れてきた事に気付いたのである。
 自分自身に苦笑する。急ぐ仕事でないとはいえ、いささか気を抜きすぎていた。
 こんなところを上司に見られたら、頭ごなしに叱られるだろうな、などと考えながら、セーマは今来た道を戻る事にする。
 
 執務室を出て、広く外へ開かれた廊下を歩く。
 空の晴れ渡った、気持ちの良い日だと思った。
 雲のない、青い空。
 一年中変化のない草花は、熱のない太陽の下でそれでも照り輝いている。
 美しいな、とも思う。
 だがそれを美しいのだと思えるようになったのは、ごく最近の事だった。季節のない、一般的な自然環境から孤立した全知の塔に住む者は、大概そういう事に疎いのだ。
 晴れ渡る日には目一杯に息を吸い、雨の日は恵みに感謝する。セーマはそれを、異国からやって来た一人の少女に教わった。
(私だって、自分の事をこんなに変わったと思うんだから)
 恐らく『彼』は自分以上に、自身の考えの変化に戸惑っている事だろう。仏頂面をした十以上も年下の少年の顔を思い浮かべて、セーマはくすくすと小さく笑った。
 
 ノクスデリアスという少年に対するセーマの第一印象は、「まるで貝のようだ」というものだった。
 幼くして能力を認められ、全知の塔の上層部に住む事を許されたその少年は、その頃、およそ他人と関わろうという意思を持ち合わせていないようだったのだ。
 否、恐らくは自分以外の全てに対して関心がなかったのだろう。
 人に対しても、物に対しても、彼は常に「閉じて」いた。それは拒絶というほど意思の堅いものではなく、どちらかといえば、それらからのらりくらりと逃げ回っているようでもあった。
 そんな事を思い返していると、ふと、兵舎の脇に立つ一本の若木が目にとまった。それはセーマが、初めてノクスデリアスと出会った場所である。
 何年前の事だったか、詳しいことは忘れてしまった。だがセーマはある夕暮れ時、一人の少年が若木の脇で空を見上げているのを見つけたのだ。
 生来、世話焼きの代名詞のようにして生きてきたセーマである。もう陽も落ちようという時間に、一人佇む少年を放っておけようはずもなかった。すぐさま近寄っていって声をかけてみたが、返答がない。少年が凝視している先へ視線をやっても、彼が何を見ているのかを知ることは出来なかった。
 もう一度、声をかけてみる。しかし、やはり答えはない。
 セーマはいくらか迷った末に、結局、少年の隣に座り込んで、同じように空を眺めることにした。大した理由は、特になかった。ただ、この気むずかしそうな顔をした少年が、何を思って空を睨んでいるのか、興味が湧いたのだ。
 いくらか雲のある、少し曇った夕焼けの空だった。鳥の声もしない、静かな日だったことを覚えている。
「空って、どうして存在するんだろう」
 少年がぽつりと言った。セーマは驚いて目を瞬かせたが、少年はそんな様子になどお構いなしで、さっさとどこかへ行ってしまった。どうやらセーマに話しかけたつもりなど、少年の側には毛頭無かったようだ。
 恐らく帰路に就くのだろう少年の足取りは、空を睨み付けていたあの視線と同じように、危うげの無いしっかりとしたものだった。
 
「こんな所で、何をしているの?」
 背後から突然こづかれて、セーマは短く声を上げた。振り返った先に立っていたのは、同僚のティラである。その手に黄色のリボンがかかった紺色の箱が握られているのを見て、セーマは思わず、顔をほころばせた。
「見つけてくれたんですか」
「ちょうど同室のレジィが持っていたから、譲ってもらったのよ。――それにしてもあなた、最近ノクスデリアス殿の使いっ走りばかりね。何か弱みでもつかまれたの?」
 からかうような素振りで言う彼女へ、セーマは困ったように微笑んだ。周りからはそんな風に見られていたのかと思うと、何とも言い難い心持ちがした。
「違いますよ。別にそんな訳じゃ、無いです」
「あら。それなら何故?」
 そう、何故だろう。セーマは自分自身に首を傾げ、しばらく考えてから、思いついたままこんな事を口にした。
「多分私も、お礼に参加したかったんです。――空が存在するわけを、教えてくれたある人に」
 「ロマンチストね」と言いながら、ティラがくすくすと笑う。セーマも些か照れくさくなって、つられるように笑った。
 何故言われたとおりに箱を探していたのかなんて、考えてもみなかった。答えた言葉だって、口から出任せだ。
 だが、あながち間違ってはいないだろう。そんなことを考えながら、セーマは指で、頬を掻いた。
――Fin.

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