つむぎうた

前編


「――行くんだね」
「うん。明日の朝、この町を発つわ」
 問いかければ、幼馴染の少女は嬉しそうに笑った。
 夕暮れ時、橙色の光の幕が、二人の間に下りていた。未来への希望に瞳を輝かせ、リンゴのように頬を染めて。風吹く野原の舞台の中で、くるりと一度、華奢な体をひるがえす。
「王都かぁ――楽しみだな」
 茜の空を見上げ、希望満ちたる明日の色を眺める彼女の姿は、直視するには眩しすぎた。
(僕は、)
 笑顔で送り出してやりたかった。けれども強張りだした頬の筋が、うまく笑わせてはくれなかった。
 長い影が落ちる地面を睨んでいると、少女の軽やかなステップが止まってしまう。「どうしたの?」と少女が俯く顔を覗きこんできたけれど、こんな酷い顔など見られたくなくて、思わずくるりと背を向けた。
「……シオちゃん?」
 なぜそんな顔をするの?
 そう問いたげな顔すらも、今は見ることができなくて。
(僕は――喜べないよ)
 眩むこの場から逃げ出す様に、シオは野原を駆け出した。背の高いラーミナの葉の花穂が、シオの頬をなぜていく。その感触が煩わしい。早く野原を抜け出したくて、シオはひたすら駆け抜けた。
 呼び止める声は、かからなかった。

***

「――シオ、起きなさい! 劇団カミノ座の最終公演が始まるわよ」
 自室のベッドに突っ伏していたシオの肩を、母親のオーベル女史が強く揺すった。
「ほら、表に馬車を待たせてあるんだから早くおし」
「……いいよ。僕は行かない」
 顔も上げずに返事をすれば、オーベル女史の手が止まる。
「なに言ってるのよ。この町での最終公演なのよ? マレアちゃんの晴れ舞台、見てあげなくちゃ」
「別にマレアが舞台に立つわけじゃないだろ。あいつはただの仕掛火師(パム)だもの」
 「まあ、なんてことを」と憤りながら、オーベル女史は息子の肩をむんずと掴んだ。教師として毎日町の子供らの相手をしているこの母親は、なかなかの腕っ節をしているのだ。少年同士の取っ組み合いさえ、女一人で仲裁してみせる。そんな母の力に叶うはずもなく、シオはベッドから力任せに降ろされた。どしんと床に尻もちをつくと、しくしく痛む臀部を撫でる。
「痛いよ!」
「何をいじけてるか知らないけど、さっさと見に行く準備をおし! マレアちゃんはカミノ座の一員なんだ。この公演を最後に、王都公演に行ってしまうのよ。次にこの町へ戻るのは、一年先か、二年先か――」
(そんなこと、言われなくても分かってる!)
 反論などしようものなら女教師の鉄槌が飛んできそうだから、心の中でだけ反論した。けれどそれすら見透かすような母の目は、言外にシオを非難していた。「夢に一途な幼馴染を、どうして心から祝ってやれないのか」と――
「……情けないねえ。それでもあんたは『海の鷹』の末裔かい」
 小さくつかれた溜息に、シオはぐっと歯の根を噛みしめた。
(僕だって……)
 夢をみなかったわけじゃない。なりないものだって、確かにあった。
(でも僕には――その名前は、重すぎるんだよ、母さん)
 シオを見降ろすふくよかな母の姿の向こう、天井から吊り下げられた鷹の模型が、静かに翼を広げて佇んでいる。
――あなたの曾おじいさまもね、『荒野の鷹』に憧れて、小さい頃に鷹の模型を持っていたそうよ。
 今よりもっと幼い頃に、母にそう聞かされてから、シオは鷹の模型が欲しくてたまらなかった。ねだりにねだり、母の手伝いをいつも以上に真面目にやって、ようやく買ってもらった宝物だった。
 曾祖父と同じ者を手にすることで、シオは憧れの英雄の姿に自分を重ね、ほんの少しの間でも、自分自身が『海の鷹(ニケ・リーリカ)』その人になれたような気がしたのだ。
 その広がる大きな翼のように、当時はシオの胸にも、夢の翼が広がっていた。
 けれどもシオは今、その大きすぎる翼の先にすら、少しも手を引っ掛けられていない。こうやって下から見上げるばかりで、翼の影に押しつぶされている。
「五分で仕度して表においで。来なかったら承知しませんからね!」
 長いスカートを翻して、オーベル女史はシオの部屋を後にした。バタンと強く扉を閉められ、シオはびくりと首を竦める。その振動で、天井の鷹がゆらゆら揺れた。
 その広げた両翼の勇ましい姿は、シオの憧れであったのに。
 けれども今は、シオの自身を根こそぎ奪う、魔物の翼のようでもあった。

 結局、せっつく母親に負けたシオは、劇団カミノ座の特設舞台へと向かう馬車に揺られていた。辺りはすっかり日も落ちて、天鵞絨(ビロード)のような闇に包まれている。鏡のようになった真っ黒な硝子窓に、シオの顔が映り込む。遠くをぼんやり見たかったのに、けれども目に入ってくるのは、府抜けた自分の顔ばかり。嫌気がさし、特設舞台へ着くまで寝てしまおうと、椅子へ深く座りなおして目を閉じた。
「……シオは、どうしたんだ? せっかくカミノ座の舞台が見れるのに」
「マレアちゃんが王都へ行ってしまうから、きっといじけているのですよ」
 両親が声を顰めて話しているが、そういう声こそ不思議と耳が捉えてしまうものだ。シオは耳も塞ぎたくなったけれど、それをまた「いじけている」などと言われるのが嫌で、眉間に皺を寄せるにとどまった。
 馬車の揺れに集中して、両親の会話を意識の外へと無理やり押し出す。今から幼馴染の『夢』に触れに行かなければならないのだ。馬車の中で鋭気を養わなくては、きっと圧倒されてしまう。そうして心に残るのは、きっと愚かな自己嫌悪だけに違いない。
――シオちゃん? なぜそんな顔をするの?
 本当にそう問われてしまったら、いったいなんと答えればいいのか。この胸に渦巻く醜い感情を吐き出してしまえば、きっと優しい彼女は泣いてしまうだろう。
(それこそ、自己嫌悪極まるよ)
 ああ――行きたくない。
 馬車の揺れに、次第に眠気が襲い来る。シオが待ち望んだものだ。それに身を委ねてしまえば、この荒れる感情と、束の間だけでもおさらばできるのだ。

***

 幼き折、幼馴染であるシオとマレアは、オーベル女史の昔話が大好きだった。過去の偉人らの伝記を一度紐解けば、日が沈むまで読み聞かせをねだった。
 中でもシオが特に好きだったのは、アヴニールの少年たちなら誰もが憧れる、国の英雄譚たる『鷹』話だ。動乱期を支えてアヴニール王国の土台を築きあげた『荒野の鷹(ベルトラン)』と、蒼海の魔物を討伐して安全な貿易航路を確保し、富国に大きく貢献した『海の鷹(ニケ)』。とりわけ『海の鷹』に至っては、シオの母方の曾祖父にあたる人物だ。英雄の血が、自分にも流れている――。シオはそれを、とても誇らしく思っていた。
 いつからか、曾祖父ニケは、シオの『夢』となっていた。
 自分もいつか曾祖父のように、『鷹』を冠する偉大な騎士になれたなら――
「かくごしろ! 『海の鷹』のニケ様が成敗してくれるぞ、クラーケンめ!」
 二人は小川のほとりに集まって、よく日が暮れるまで騎士ごっこをして遊んだ。玩具のキャラック船を浅瀬に浮かべてラーミナ騎士団主力艦隊を作り上げ、蔦を集めて紐で縛り同じく浅瀬に浮かべれば、流れに揺れる姿はまるで、『孤立せる無風の群島地帯(グラニシア)』の化け物クラーケンのよう。
「うりゃあー! その足、切り落としてやる!」
 剣に見立てた木の枝を振り上げ、勢いよくジャンプする。靴も脱がずに浅瀬に飛び込み、蔦のクラーケンに枝を突き立てた。派手に水しぶきが上がるなか、ちょうど蔦のクラーケンに枝を突き立てたあたりから、ちらちら赤い火花が舞い散った。
「なんだよマレア。そこは水魔法(コリエンテ)でもっと派手に水しぶき上げた方が格好いいのに」
「無茶言わないで。私は焔の民(フラシナ)だもの。火魔法(イグニート)しか使えないわ」
 不満そうに頬を膨らますマレアは、シオが上げた水しぶきをハンカチで拭っていた。スカートばかりか髪まで濡れて、ほんの少し不満げだ。「ひどいわ」と言いながら、くるくる巻く赤毛を一生懸命真っ直ぐにしようとする。シオにはそんな必要がどこにあるのかさっぱり分からないが、どうやらマレアの朝の日課に、『彼女の巻き毛を真っ直ぐ伸ばす』という項目があるようだった。
「髪なんてどうでもいいよ。ここからもっともっと『海の鷹』が活躍するんだ、続きやろうよ」
「まあ! どうでもよくなんかないわ!」
 心外だとばかりにマレアが鼻息を荒げたが、シオはどうしてそんなに怒るのか分からなかった。きょとんとする幼馴染に、マレアは「鈍感ね」と言って、呆れたように肩の力を抜く。
「まあいいわ。でも、『海の鷹』ごっこはおしまいよ」
「ええー」
「ええー、じゃない。今度は私が『翼の君(スパルナ)』のエテをやる!」
 濡れたハンカチを握りしめ、瞳をきらきら輝かせながらマレアは言う。同じ炎を操る者として、『荒野の鷹』と共にアヴニール王国の動乱期を支えた女騎士は、マレアの憧れなのだ。
 両手を広げ、空に羽ばたき上がるように、マレアは軽やかに歌い踊りだす。
「異国の地を駆け抜ける、鋭き刃の騎士たちよ。空と大地を貫き繋ぐ、翼の君の焔を辿れ――」
 走る風の音色に合わせ、マレアは歌い、詩を綴る。地を蹴り跳びはね、ターンをするたび、長いスカートがひらりと舞った。
「なんだよ、一人で踊っちゃってさあ。そしたら僕は何をやればいいの?」
「シオちゃんの好きな鷹をやればいいわ。今度は海じゃなくて、『荒野の鷹』をね」
 踊るマレアに文句を言えば、くすりと笑われ、そんな言葉を返される。
(『荒野の鷹』になって、どうやって歌うマレアと遊ぶんだよ)
 軽快なステップを踏む彼女を眺めながら、しばし「ううん」と腕を組む。そうして閃いた妙案に、シオはぽんと、拳を叩いた。
「そうだ! なあマレア、僕の背中におぶさりなよ」
 にやりと笑うシオの考えに気がついたのか、マレアがぴたりと足を止める。「しっかりおぶってね」と言って、屈んだシオの背中にしがみ付いた。
 膝に力を込め、立ち上がる。ほんのちょっと、予想より重かったけれど、そんなことを言ってはマレアに怒られてしまうから、そうとは気付かれないよう足を踏ん張った。
「いっくぞぉぉ――グリフォンさまのお通りだ!」
 『翼の君』の翼、彼女の母たるグリフォンを演じ、シオは野原を駆け出した。背中でマレアが、楽しそうにきゃあきゃあ言っている。揺れに慣れればまたすぐに歌いだし、シオの耳をくすぐった。
 マレアが片手を掲げ、炎を呼ぶ。シオが走ったその後に、うつくしい炎の帯が流れていった。

***

「シオ、着いたわよ」
 肩を叩かれ、はっとして目が覚めた。既に馬車は止まっていて、御者が扉を開けてシオが降りるのを待っている。
「良く寝る子だね、全く」
 呆れ顔のオーベル女史が、スカートの裾をつまみ上げて颯爽と馬車を降りていく。慌ててシオも馬車のステップを降り、御者の男に礼を言った。
(……眠らない方が、よかったかな)
 いまだ靄がかった頭をゆるく振り、シオはそんなことを考える。
 まさか昔のことを夢に見てしまうなんて。家を出る時から重かった足取りが、さらに重くなったように感じられた。
 特設舞台は、町外れの空き地に作られていた。後ろの観客にも見えるよう、一段高く舞台が組まれ、左右の袖には役者らが待機するための幕が張られている。また周りには何本もの松明が灯され、舞台を明るく照らし出している。観客席にも小さな色とりどりの硝子で作られたランプが置かれ、幻想的な雰囲気を醸し出していた。
(いつも仕掛火師が控えるのは、あのあたりだったよな……)
 向かって左の袖近くにある松明を眺めながら、シオはぼんやり考えた。
 マレアは、シオの住む町があるアヴニール王国西域クルラム地方を中心に活動する劇団カミノ座に幼い頃から所属して、舞台演出を担当する仕掛火師を務めている。炎を操る北方民族『焔の民』を母にもち、その娘であるマレア自身も、類い稀な火魔法の才能に恵まれていた。
 舞台の主要なところで様々な色の炎を出して、仕掛火師は役者の演技に花を添える。舞台を盛り上げるための要であるこの仕事を、マレアは誇りに思っていた。
 しかしシオは一度だけ、マレアの『夢』を聞いたことがある。
「仕掛火師の仕事は大好きだけれど、私もきれいな衣装を来て、舞台に立ってみたい。この『焔の民』の力を使って、いつか『翼の君』を演じてみたいの――」
 裏方ではない。役者になって舞台に立つことが、マレアの夢であったのだ。だから昔から歌も踊りもよく練習していたし、それこそシオと一緒に騎士ごっこをするときだって、自然と体が舞っていた。それほどに、マレアは表現することが好きだった。
(マレアがこれからもカミノ座に所属していたら……いつか、本当に演出から役者になるのかな)
 手元の演目表を近くのランプに翳しながら、シオは思う。
 劇団カミノ座が行う本日の演目は――『うつろわざる炎の翼』。マレアが大好きな『翼の君(エテ・ベリエ)』の英雄譚だ。炎の演出が重要なこの演目では、仕掛火師の役目が最も重要となってくる。
 「楽しみねぇ」と、隣の席で両親が話している。聞きながら、シオの気持ちはどんどんしぼんでいくようだった。
(マレアは、着実に自分の夢に向かって頑張っている……)
 彼女との差が、劇場にいると浮き彫りになる。
 ひどく居心地が悪かった。醜い魔物が、シオの心を蝕み始める。
(僕、最低だ)
 マレアに、こんなにも嫉妬してる――
 ぐしゃりと、演目表が握りつぶされる。刻まれた複雑な皺模様は、シオの心の内を表すようだ。
 やはり何か理由を付けて、舞台を見ずに帰ってしまおうか。そんなことを考えた瞬間、会場の松明が一斉に落された。既に満員となった観客たちがわっとざわめき、舞台の始まりを喜ぶ拍手をする。
(……しまった)
 会場を抜け出すには、一歩遅かったようだ。
 仕方がない。シオはあまり仕掛火師がいるであろう舞台袖近くを見ないように、極力舞台の真ん中に視線をさだめた。そうすれば、マレアの姿を見ないですむに違いない。
「少年少女、紳士淑女の皆様方。今宵はようこそお越しくださいました! この夜が皆様方の良き思い出の一ページになることは、この座長レガロ・カミノがお約束いたします! ここクルラム地方での我が劇団カミノ座の最終公演、最後までごゆるりとお楽しみくださいませ!」
 座長が舞台の前に立ち、仕掛火師のつくる明りに照らされ、滔々と挨拶を語りだす。
「さあさ今宵の演目は、英雄譚の中でも人気の高い『うつろわざる炎の翼』。アヴニール王国の礎を築きし英雄たち、『荒野の鷹』と呼ばれたひとりの男と、『翼の君』と呼ばれた一人の少女の物語でございます!」
 座長が袖に引くと、一度舞台が暗転する。その直後、ぱっと火花が舞い散って、夕暮のような茜の炎が、舞台の上で煌めいた。
 楽師のうつくしい音色に合わせ、舞台の袖から一人の少女が躍り出る。舞ったあとには炎の帯を引き、舞台を蹴って跳びはねれば、炎の花が花弁を落とす。
 役者の舞いを見ながら、シオは不思議な既視感を覚えていた。あの動き、あの火の散り方。確かどこかで見たような――
(……まさか、)
 見間違うはずもない。あの動きは、今まで何度も近くで見てきたのだから。
(マレア――!?)
 仕掛火師であるはずの幼馴染その人が、『翼の君』として、堂々と舞台に立っていた。

 ***

「すごいわ、シオちゃん。ついに騎士になったのね! これで、曾おじいさまみたいな『鷹』に一歩近づいたのよ!」
 士官学校の卒舎を迎え、久方ぶりに家に帰ると、マレアがまるで自分のことのように喜んでくれた。しかし昔のように、シオは喜ぶことはできなかった。マレアの心からの称賛が、胸にちくりと突き刺さる。
 『鷹』話は、もううんざりだったのだ。
「ちゃん付けはやめてよマレア。それにもう……『鷹』になりたいだなんて、子供っぽいこと言うのやめたんだ」
 ぶっきらぼうに返事をすれば、嬉々としていたマレアの花のような笑顔は、みるみるしぼんでいってしまう。
「シオちゃん……?」
 気遣わしげな表情が、逆にシオを責めているように感じられた。
「……ごめん。疲れているから、今日はもう寝る」
 マレアが何か言う前に、シオは部屋の扉を閉じた。カチャリと鳴った固い鍵音が、部屋と同時に、シオの心も閉ざしていく。
(僕なんかが……曾おじいさまみたいな『鷹』になれるはずがない)
 見上げた天井から吊るされた、鷹の模型が滲んでいく。シオは垂れそうになる鼻水を、ずず、と啜った。
――『海の鷹』の末裔だぁ? お前みたいなウスノロが?
――まともに剣すら振れないで、よくそんなことが言えるよな。
――もうタカ話はやめとけよ。お前のせいで、『海の鷹』の名に傷が付く。
 漏れそうになる嗚咽を隠したくて、枕に顔を深く埋めていた。
 シオは、思い知ったのだ。
 騎士を目指す少年達の中、いかに自分にその才がないか。剣術の成績は下から数えた方がはるかに早く、また実地訓練でも、体力不足で班の友人に迷惑ばかりかけていた。
 入学当時、「『海の鷹』は僕の曾おじいさまなんだ!」などと吹聴していたことが、ひどく恥ずかしく思えた。心ない言葉たちがシオの『夢』の翼を毟り取り、いまではもう、昔思い描いていたその形すら、思い出せやしなかった。
 それはシオの人生での、始めて味わった大きな挫折であったのだ。

 不貞寝から目覚めた明くる朝、シオは母親からあるものを渡された。
「マレアちゃんからよ。昨日お前に渡せなかったからって……あとできちんと、お礼を言いなさいね?」
 息子の挫折を知る母の声色は、いつもの闊達とした話し方より、いくらか優しげだった。
 受け取った封筒を、シオは雑に封を切る。
 中から現れたものに、シオは眉間に皺を寄せた。
(こんなもの――)
 マレアからもらったそれは、このときから一度だって身に付けなかった。今でも机の引き出しの奥に突っ込んだままだ。
 お礼すら、言ってはいない。

***

 マレアの演技は素晴らしかった。
 鈴が転がるような歌声で詩を綴り、軽やかに踏むのは無邪気な小鹿のようなステップだ。そして卑屈な魔物の『常闇の口(テネブル)』から、英雄たる『翼の君』へと成長してゆく、少女の細やかな表情の変化さえも――マレアは得意の火魔法を交えながら、色彩豊かに演じていた。彼女の迫真の演技は、観客たちをざわめかせ、涙を誘い、確かに心を打ったのだ。
(マレア……いつの間に、こんなにうまくなったんだ)
 彼女を見まいと決め込んでいたのに、シオはいつしか、マレアの演技に見入っていた。
 マレアは、シオが士官学校で学び、そして挫折していじけている間に、仕掛火師の仕事をこなしながら、歌い、踊り、たゆまぬ努力を積み重ねていたに違いない。その結果、彼女は『夢』を掴み取ったのだ。――そう。シオとはまるで、正反対に。
(僕は……)
 ずっと、このままでいるのか。
 挫折にいじけ、幼馴染の門出を祝いもせず、己の殻に閉じこもるばかりなのか。
(僕は、)
 ふと、舞台の上のマレアが滲んだ。炎の影と混ざり、うねって、彼女の舞いが見えなくなる。咄嗟に俯いた。隣でマレアに夢中になる両親に、ぽろりとこぼれた涙を覚られたくなどない。
 膝の上で握った拳に、ぽつりと一滴、塩辛い涙が落ちていった。

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