時の環

後編


 ゲーラ砦を陥落させるにあたり、フェデル・クラディエという名の地図書き(ガラバード)の助力を仰ぐこと――。それが、タモナがレガニサから受けた指令であった。
 ゲーラ砦のあるグラハド山脈付近の地形は複雑で、それを理解しないままでは、周囲の地形を熟知しているファムニ王国軍に後れを取る。それ自体はタモナにも理解のあるところであったが、それでも、目の前にいるぽやんとした様子の男が、本当に今回の戦いの役に立つのかどうかは甚だ疑問に思っていた。タモナは見定めるようにじっとフェデルを見ていたが、彼は気にする様子もなく、笑いながらぼろ小屋の窓を開け放つ。そうして机に積もった埃を払うと、「俺達、旅ばかりであんまり事務所を使ってないんですよ」とまず言った。
「このご時世、しょっちゅう国境が変わるものだから、地図書きは大忙しです。文字通り、東奔西走してアヴニールの国中を……時には隣国へも潜入して、土地の測量をし、地図を記していてね。まあ戦いには疎いので、戦地へ赴いても戦うことはしませんし、騎士の皆さんの影に隠れているだけなんですけど。――あ、そうそう。タモナさんはグリフォンって見たことありますか? 俺、ついこの前オリゾン公国との国境付近へ行った時に……いや、あれはもう、エストラル領に忍び込んでからだったかな……ともかくその時に、グリフォンが森から飛び立つ瞬間を、ちらっと見たんです。あいつは最高に格好いいですよ。魔物だけど知性はかなり高いらしいし、すらっとした立ち居が、こう、気高い感じがして……。同僚にその話をしたら、怖いもの知らずって言われちゃいましたけどね。ああ、でもタモナさんは確か、ザナ地区の出身でしたよね。それだったら、海の話の方が珍しいかな。海、行ったことあります? 俺はこの前ハンディアナに行ってきたんですけど、あの辺りもきな臭くてね。そろそろ蒼海を隔てたヘルバンド王国が何か仕掛けてくるんじゃないかって……、いや、その手の話は、騎士団に所属されてるタモナさんの方がお詳しいですよね。それよりセイレーンの噂話とか、」
 埃を払っただけの椅子を勧められ、タモナがそこに腰掛けると、フェデルの話が始まった。それがいつまで経っても終わらないのを見て、タモナは黙ったまましばらくの間圧倒されていたのだが、不意に目があったフェデルに微笑みかけられて、また言葉を呑み込んでしまった。ラーミナ騎士団の中でも、特にタモナの所属している北方特殊戦術部隊に所属する隊員達は、口数があまり多くない。だからこんなふうに息を吐く間もなく話し続ける人間を前に、一体どうするべきなのか、タモナにはちっともわからなかったのだ。
「それでね、俺は思ったわけですよ。小柄なクラーケンと、大きめのイカとは何が違うのか。クラーケンだって、焼いて食っちまえばイカと同じように美味いんじゃないかってね。でも漁師に聞いてみたら、」
「フェデルさん、あの」
 恐る恐る話しかければ、フェデルはようやく口をつぐみ、それからまるで、母親に窘められた子供のようにおずおずと、タモナの方を振り返る。
「できればそろそろ……本題に、移らせていただきたいのですが」
「あっ、すみません。俺、つい、」
「いえ、私は構わないのですけど……。フェデルさんは、色んなことをご存じなんですね」
 遠慮がちにタモナが言えば、フェデルはぱっと明るい表情になり、それからようやく思いあたった様子で、「そうだ、お茶。こういう時はお茶をお出しするものですよね」と言って、小屋の奥へ駆けていく。
(――子供のような人)
 思わずくすりと、笑ってしまった。しかしそうしてから、タモナは自らの行動に驚き、思わず目を瞬かせる。
(こんなふうに笑うの、いつ以来の事だろう……)
「タモナさん。珈琲と紅茶、どちらがお好きですか? あっ、違うな。珈琲豆がないんだった。あの、紅茶で良いですか?」
 「はい」と答えてから、しかし食器の割れる音を聞き、慌てて水場へ駆けつける。タモナの姿を見たフェデルは、心底恥ずかしそうに頬を赤らめ、顔を背けてから、「すみません」とぼそりと言った。その足元には、割れたコーヒーカップが落ちている。
「俺、さっきから舞い上がっちゃって」
「いえ、私の方こそ突然お邪魔してしまいましたから」
「そうじゃなくて、その……」
 フェデルの耳が、まだ赤い。タモナが首を傾げて見ていると、彼は少し迷った様子で頬を掻き、それから、こんなことを言った。
「実は俺、前に凱旋パレードであなたを見かけた時、一目惚れを……してしまって。タモナさんは立ち居が凄くすらっとしていて、こう、気高い感じがして、素敵だなって、一度お話ししてみたいなって思っていたんです。だから今日お会いできて、……あの」
 すらりとした立ち居。気高い感じ。聞き覚えのあるその言葉に、タモナはまた、笑ってしまった。
「それ、グリフォンのことを話すときにも同じように言っていたわ。まあ、私は影縫い(グリムザ)だし、不気味さでいったら、グリフォンと似たようなものかもしれないですが」
「えっ、……ええ!? ご、ごめんなさい。そういうつもりじゃ、なかったんですけど。あ、でもグリフォンは本当に格好いいんですよ。だからグリフォンと同じように言ったのは、俺の中ではけっして悪い意味ではなくて、いや、その、」
 子供のように屈託のない、明るい人。だがそれを、タモナは不思議に思っていた。フェデル自身が言うように、彼がアヴニールの国中を歩き、国境の様子を見聞きしているというのなら、戦線で傷つく騎士達の姿も、ラーミナ騎士団に攻め込まれ、国を失う人々の姿も知っているはずだ。戦線を知るラーミナ騎士団の中にも明るく快活な隊員は多く存在しているし、好戦派の人間達が勇んで戦場へ向かっていく姿もタモナはよく目にしていたが、しかし彼らの瞳はもっとぎらぎらと輝いており、フェデルと彼らの間には、随分な隔たりがあるように思えてならなかったのだ。
 タモナの胸中に、その疑問が渦を巻く。何故だろう。何故この人は、こんなに屈託なく、無邪気に、笑うことが出来るのだろう。
 そんな事を、思っていたせいだろうか。
「フェデルさん。……私はあなたを、戦いのまっただ中に連れて行こうとしています」
 割れたカップを拾いながら、タモナはぽつりと呟いた。そうしてじっとフェデルの目を見据え、一言一言、噛みしめるかのように、胸の内を言葉で綴る。
「それも、『国民の生活を守る』というラーミナ騎士団の大義とは離れた、侵略戦争の真っ直中へ、です。上官からはあなたが騎士団に力を貸す気があるかどうか、意向を聞いてくるようにと言われていますが、これは騎士団からの徴兵行為ですから、実質、あなたに拒否権はありません。――だけど、もし、」
 もし、フェデルがそれを厭うなら。
 ここにいるのはタモナだけ。タモナがじっと口を閉ざし、フェデルとは話が出来なかったのだと、フェデルは仕事でアヴニールの国内を点々としており、彼を掴まえて徴兵の事を伝えることは出来なかったのだと、そう報告をすれば、少なくとも今回だけは、彼は戦いの渦に飲まれずに済むはずだ。
 しかしそう伝えようとしたタモナの口元に、
 フェデルはそっと、自らの人差し指をあてがった。
「タモナさん。……騎士であるあなたが、それ以上言ってはいけません」
 困ったような彼の笑顔が、タモナの胸を痛ませる。
「あなたが俺の名前を口にした時から、『そういう話』になるだろうとは予想がついていました。優男に見えるかもしれませんが、俺だって、国境付近をうろついていれば、何度か死線をかいくぐったこともありますからね。戦地に赴くこと自体に、恐れはありません。実際、そうして徴兵されていった地図書きは沢山居ます。俺の場合は、……迎えに来てくれたのが、憧れのあなただったことにむしろ、感謝をしているくらいです。それに、」
 フェデルの指先が優しく、タモナの黒い前髪を掻き上げる。こののち、幾度も彼女と戦地を駆け回り、やがて授かる娘の顔を見ることもなく、若くして命を落とすことになる地図書きは、この時笑ってこう言った。
「   」
 
 * * *
 
「タモナ。……よく、戻ってくれた」
 静かな口調でそう話したのは、北方部隊参謀の、レガニサ・ルーラその人である。馴染みのある、見慣れた、――しかし既に懐かしささえ覚えるラーミナ騎士団の詰め所を訪れたタモナは、その男の前に深々とこうべを垂れていた。
 北方特殊戦術部隊隊長として前線で活躍していたレガニサが、前線を退き参謀役にまわったのはほんの一年ほど前のことであったと聞いているが、それにしては、顔を合わせなかったしばらくのうちに、随分覇気が失せたように思われる。しかしそんな思いはおくびにも出さず、タモナはすらりと顔を上げ、かつての上官に向けて敬礼した。
「タモナ・クラディエ、参じました。此度は北方特殊戦術部隊および特別潜入部隊連隊長就任の御下命をいただき、恐悦にございます。参謀殿には多大なるご恩を受けながら、軍籍を離れ三年もの間、ご挨拶もせず申し訳ございません」
 騎士らしく、胸を張ってそう言えば、レガニサがそっと目を伏せた。そうして彼はタモナに席を勧めると、自らも座り、書斎机に肘を置く。続けて話したその声には、疲労の色が滲んでいた。
「お前が騎士団を離れ、田舎で娘と暮らしていることは風の噂に聞いていた。そんなお前の生活を踏みにじるようなことは、できればしたくなかったが……。ファムニ王国にゲーラ砦を奪還された話は、お前も聞いているだろう。このままではグラハド山脈を越え、ファムニの軍がアヴニールへ攻め込んでくるのも時間の問題だ。だがグラハド山脈は自然の要害。あの地形を完全に把握しているのは、タモナ、お前と……死んだお前の夫だけだ」
――少し変わった奴なんだが、お前とは、うまくやれそうな気がしてな。
 そう言って、自らのあり方に悩むタモナをフェデルと引き合わせ、二人の結婚を誰より祝福してくれた、この上官の顔を思い出す。
「出産のためにお前が前線を離れた、そのすぐ後に、フェデルが戦場で命を落とした。ファムニ王国軍の奇襲にやられたんだ。助けたかったが、間に合わなかった――。フェデルの死を知ったお前は、娘を産んでからも騎士団には戻らなかった。だがお前がそれを選んだのなら、その選択を尊重したいと思っていたんだ。それこそが、フェデルを守れなかった私に出来る、唯一の償いだとさえ思った」
 レガニサの声が、後悔という闇の中へ、ずるりずるりと沈んでいく。この暗闇には、覚えがある。
 フェデルが戦死した当時、臨月を迎えていたタモナは、出産を終え、体調がどうにか持ち直すまで、彼の死を知らされないままでいた。それは周囲の人々の、せめてもの思いやりからの配慮であったのだが、それでも事実を知った彼女は、彼の死に立ち会えず、その死の事実すら知らずにいた自分をおおいに責めた。
 もしその場に自分が居合わせていたなら。彼を守れたかも知れないのに。
 あるいは彼の盾となり、代わりに死ねていたかも知れないのに。
 後悔の真っ直中に居た頃は、そんな事ばかりを考えていた。そうして強く、苦しんだ。それはまるで自分自身の影を縛る、愚かな影縫いの姿であった。
 「すまない」絞り出すような声で、レガニサが低くそう言った。タモナはすぐには声をかけられずに、しかしそっと微笑んで、ゆっくりと首を、横へ振る。
「ラーミナ騎士団への復帰は、いずれ自ら志願していたことと思います。私にはここで果たすべき、フェデルとの約束がありますから」
 そう言ってすっくと立ち上がると、タモナは再び頭を下げ、明瞭な声でこう言った。
「夫の死から三年間、長く腑抜けていた私を、戦線へ呼び戻してくださりありがとうございます。どうぞこの影縫いの力を、また存分にお使いください。ファムニ王国軍が南下すれば、私の母や娘の住むディリヤ地区も、すぐに戦禍に脅かされましょう。私もそれを、防ぎたいのです」
 
 * * *
 
「いつかちいさなこのたねが、おおきなはなをさかせるとき、」
 フィアの歌うその声が、窓の外から聞こえてくる。それを聞きながら話を終えると、タモナの母親は何も言わず、ただ黙って頷いた。
「ゲーラ砦は護国の要所。それを奪還されたとなれば、近隣諸国はラーミナ騎士団の弱体化と見て一気に攻撃を仕掛けてくる。今度の戦に出れば、私も無事では済まないでしょう。だから母さんに、フィアのことをお願いしたいの。……わがままばかりの無鉄砲な娘で、本当に、ごめんなさい」
 タモナがそう言い、こうべを垂れると、母は黙って席を立ち、静かに庭へ出て行った。タモナはそれを見送ると、小さく深く、息を吐く。既に決意を固めている事とはいえ、老いた母の打ちひしがれる姿を見れば、やはり胸が鈍く痛んだ。戦で夫と娘婿を亡くし、今度は娘まで失うだろうこの母は、何を想っているのだろう。
(私が母さんの立場なら。……フィアがもし、私と同じことを言ったら)
 それでもすっくと立ち上がり、自らの部屋へ赴くと、すぐに荷物をまとめ始めた。少しの着替えと、食糧と、それから生前、フェデルの書き残した地図を、小さな鞄へ放り込む。武器や食糧は、騎士団の支給品が出るだろう。こんな時、娘の肖像画でもあれば、せめて心の慰めになるのにと思いながら、タモナは思わず微笑んだ。そんな悠長なことをしている暇がどこにあるのだと、己の声に問われたからだ。
 しかしタモナが部屋を出て、庭にいるはずの娘の姿を覗こうとした、その時。
「おかあさん」
 フィアの声が、そう呼んだ。はっとしたタモナが振り返れば、幼い娘は祖母に付き添われて玄関に立ち、キラキラした眼でタモナを見ている。
「おかあさん、あのね、おばあちゃんがおしえてくれたの。おかあさんはおうこくをまもるきしさまで、フィアたちをまもるために、しばらくおでかけするんでしょう。フィア、しってるよ。きしさまのなまえは、このラーミナのはっぱとおんなじなまえなの」
 そうして差し伸べたフィアの小さな手には、とてもフィアがしたとは思えない、美しく編み込まれたラーミナの葉のお守りが握られている。はっとしたタモナが母を見れば、彼女は歯を食いしばり、しかし消え入りそうな声で、「止めたって、どうせ行くのでしょう」とそう言った。
「だけどしっかり覚えていなさい。あなたがそうであったように、あなたの無事を祈っている人間が、ここに確かに居ることを。フィアは既に父親を失っている。この子から、母親まで奪うようなことはしないでちょうだい」
 フィアの小さな幼い手が、タモナにラーミナのお守りを握らせる。タモナはそれを受け取ると、言葉もないまま、そっと庭へ出ていった。
 風が強く吹いている。庭に群生したラーミナの葉が、風に吹かれてさらさらと鳴る。
「いつかちいさなこのたねが、おおきなはなをさかせるとき、」
 またフィアが歌っている。生前のフェデルが、よく口ずさんでいた歌だ。タモナの歌うそれを聞いたフィアは、父のことも知らずにただその歌を気に入って、知らないうちにすっかり覚えてしまった。
(フェデル。……私、騎士団へ戻るわ)
 心の中でそう呟き、ラーミナのお守りをその腕に身につける。そうしてふと、微笑んだ。タモナも、一度だけラーミナのお守りを編んだことがある。フェデルが一人で戦場へ赴くと決まった日のことだ。いつもお守りをもらってばかりの立場であったタモナは、これを上手く編み込むことが出来ず、フェデルに随分からかわれた。
(騎士団へ戻る。フィアのいるこの国を守るために。――そして、あなたとの約束を果たすために)
 
 * * *
 
「『国民の生活を守る』。その大義を掲げて侵略戦争を続けるラーミナ騎士団の方針を、俺は、一概には否定できません」
 フェデルの言ったその言葉が、タモナの胸に残っている。
「確かにラーミナ騎士団は力をつけ、これまでの防戦一途の戦略からは、大きくやり方を変えました。必要とあれば自ら戦いを起こし、相手の領土を獲得する。けれど一度戦いの手を緩めれば、近隣諸国はこぞってこの国を潰しにかかるでしょうし、物資の乏しいアヴニールが長く生き残るためには、領土を拡大させていくより他に道はありません」
 「だけど」小さくタモナが言葉を零せば、フェデルがそっと、その先を促した。「私の父は、ファムニ王国軍の侵略戦争で死にました。私もアヴニール王国のため、祖国の民のためにと言って、多くの人を殺めています。その中には、自国に子供を残してきた、父親だっていたでしょう。戦いに巻き込まれ、命を落とす子供だっているでしょう。それをわかっていながら、黙っているしかないなんて」
 聞いて、フェデルは微笑んだ。
「あなたが居ます。……タモナさん。ラーミナ騎士団には、あなたのような誇り高い騎士が居ます」
 
 * * *
 
(……百年)
 ゲーラ砦に向かうグラハド山脈の獣道を歩みながら、タモナは一人、心の中で呟いた。「きっと、百年はかかるでしょう」フェデルが何気ない口調で言った、その途方もない歳月を、胸の内で噛みしめる。
「まずはファムニ王国と、オリゾン公国です。地続きで隣接する二国は、古くからアヴニール王国の港を狙っていますから、この二国との戦争は長引くでしょう。それに、内海と蒼海を挟んだヘルバンド王国。彼らもまた、東南の国々との貿易拡大のために、アヴニールの土地と蒼海の制海権を奪おうと躍起になるはずです。三十年以内には、大きな戦が起こるでしょうね。その為にもラーミナ騎士団は、今からでも海軍の整備に力を入れた方が良い。諸国を歩き回った地図書きが言うんだから、間違いありません」
 いやに自信満々に言い放つフェデルを見ると、何故だか思わず、微笑みが湧いた。それを見た彼は、まるで内緒話をする子供のように悪戯な目をして、タモナに対してこう続ける。
「そこまでは予測が付いているんです。だから俺達は、その戦を乗り越えた後のことを考えなくちゃならない。俺達がただ無益に、血で血を拭う争いを続けなくて済むように、今から準備をしなけりゃいけない。主張の違う国同士が隣接しているんです。争い自体を無くすことは難しいでしょう。だけどその争いの方法を、せめて別の形に出来たら? 国同士の代表が同じ会議の席に着き、答弁で争いを終わらせることが出来るようになったなら。そうできたら、素敵でしょう。その為には、タモナさん。この国の為に戦うラーミナ騎士団を、殺戮を好み浅はかに他国を蹂躙する兵力にしてはいけません。矜持を持ち、勝ち取った領土をその土地の人間と共に善く耕し、かつての敵にも敬意を払う。そういう騎士でなくては、いつか武力以外の力で国同士が戦うようになったとき、他国と同じ円卓には着けません」
 「きっと、百年はかかるでしょう」フィアに受け継がれた、あのきらきらした目を輝かせながら、彼は何気ない口調でそう言った。「その円卓が整うまでに、百年はかかると思います。だけど今生きている俺達が、その百年後を見据えて行動しなければ、」
「……、この先何百年経っても、私達がその円卓に着くことはできない」
 タモナが言葉を引き継ぐと、フェデルは満足そうに微笑んだ。
「その頃には俺もあなたも、……あなたのお腹の中にいる、俺達の子供も、既にこの世に生きてはいないでしょうね」
「あら。それでも、私達の孫やひ孫は生きているかもしれないでしょう」
「気の長い話だ」
「あなたが、その話を始めたのよ」
 フェデルと明るく笑いながら、そうして夢を語り合った日のことを思い出す。タモナは自らの指揮する騎士達の前に立ち、じっと彼らの一人ひとりと見据えながら、厳かに、こう語りかけた。ふとその腕に身につけたお守りを――、環に編み込まれたラーミナの葉を見れば、亡き夫の語った『円卓』の夢が、彼女の脳裏に蘇る。
「ゲーラ砦を奪還され、我らが祖国アヴニールは、再び侵略の危機に晒されている。出撃に対して貴殿等の、守るべきものを今一度、その胸の内に思い返してみて欲しい。そうして、彼らを守るために最も必要なものが何か、貴殿等に出来る最良のことは何なのか、常に自らに問いかけながら、この隊旗に続いて欲しい、……」
 
 * * *
 
 百年後に住む見知らぬあなたへ、最初の手紙を贈ります。
 こうしてあなたに手紙を書くのは、私の自己満足に過ぎません。けれどもし、もしこの手紙を受け取ったあなたが、百年旧い私の言葉に共感してくれたなら。あるいはもし、既に私の理想とする世界を生きていてくれたなら。
 それは戦いの内にいる私にとって、どんなに励みになることでしょう。
 あなたからの返事が、今の私には届かないものと知りながら、私はどうしても、この手紙を通して願わずにはいられないのです。
 あなた達がどうか、手に手を取って、平和の円卓に着いてくれていることを。
――『時の環』里見透

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