蛙と象

【 エピローグ 】

「楓ちゃん。お礼がすっかり遅れちゃったけど、本当にありがとね……!」
 紙袋いっぱいの土産物を持参して、サツキ姉ちゃんが我が家を訪れたのは、ある日曜日のことであった。
 私の短い夏休みの終わりと共に、象太が私の実家へと移ってから、既に数週間が経っている。私ははじめにサツキ姉ちゃんの抱いた赤ん坊に声をかけ、それから隣で大きな紙袋を抱えたまま突っ立っている、象太の頭をくしゃくしゃと撫でた。
「うわ、この紙袋、結構重いね。象太一人で運んできたの?」
 私が思わずそう問うと、「当たり前だ」と象太は笑った。
「ショウタたちの母さんは、アカネのだっこで大変だからな」
 その表情はいつか夢の中で見たときのようにきらきらと輝いて、なんだかやけに、頼もしい。
 ロスで生まれた象太の妹は、朱音と名付けられていた。早産のためしばらくの間はあちらの病院で様子を見ていたのだが、生後の発育も問題なく、母子共に健康そのものだという。そんな話を嬉しく聞きながら、私たちはその日の午後中、すっかり機嫌を直したエアコンの下で、色々なことを語らった。
 特に面白かったのは、朱音と暮らすようになってからの、象太の話を聞いていた時のことであった。象太がいかに頼もしいお兄ちゃんであるかをサツキ姉ちゃんが語る度、象太は居心地悪そうに、何度もトイレへ出かけていく。それなのに、ひとたび朱音がぐずってみせれば、とにもかくにも駆けつけるのだ。そんな様子を見た私たち二人がまた褒めれば、象太はいかにも照れくさそうに、私たちに背を向けた。
 ああ、象太は大丈夫だ。そんなことを思う度、私はなんだか嬉しくなった。
 『象の国』で私を支えてくれたように、魔女と戦ったときのように、これからはきっとこの象太が、朱音の事も、サツキ姉ちゃんの事も、そしてロスに残ったタツマ兄の事も、大事に守ってくれるだろう。私の兄のこの家族を、導いていってくれるだろう。そんなふうに思えたからだ。
 帰り際、私はおんぼろ階段まで、彼らのことを見送りに出た。階段がぎしぎしと軋んだ音を立てるのを聞くと、あの日、ロスへ向かうサツキ姉ちゃんが、軽やかに階段を駆け下りたときのことが思い出される。
 ああ、そろそろ日が暮れる。
「カエデ!」
 唐突に名前を呼びつけられて、私は思わずはっとした。そうして階段の下を覗き込むと、こちらを見上げる象太と、目があった。
「なあに、忘れ物?」
「うん。一つ、言い忘れた」
 言い忘れたとは、一体何の事かしら。そうして私が首を傾げると、象太はほんの少しだけ照れくさそうに頬を赤らめて、私に向かってこう言った。
「ショウタは、いいお兄ちゃんになるぞ!」
 聞いて、私は思わずきょとんとした。そうしてすぐに吹き出して、「そうね」と短く答えてみせる。「あんたは既に、いいお兄ちゃんよ」と答えてやってもよかったのだが、それはなんだか違う気がした。
「いつもじゃなくていいんだよ、象太。もしまた魔女と戦う時には、いつでも力を貸すからね!」
――Fin.
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